【E02】鍵を渡す

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 プレハブ小屋の窓を開け放って風を通すと、この部室での仕事はほとんど終わったようなものだった。いつから始まった行事なのかは知らないが、この部活では引退する者はみな、レギュラーも補欠もメカニックも、三年間お世話になった部屋を自分たちで掃除して出ていくきまりになっていた。
 オレたちの代は三人だから、一人頭の負担が大きいなと笑っていたのが去年のことで、まさかそこからさらに一人減るとは思ってもみなかった。一つ下の後輩たちは手伝うと言ってくれたが、これも自分たちの仕事だからと、遠慮させてもらった。
 どうしておまえは四角い部屋を丸く掃くんだと、三人の中で一番体が大きくて几帳面だった男が、ぼやきながらすみの埃を掃き出している。くたびれたほうきの使い方も堂に入ったもので、これだから安心して仕上げを任せられると、自分の持ち分に専念することにした。
 持ち帰らない古雑誌を縛り上げて、二人分のロッカーを水拭きする。スチール製の扉に差し込まれていたネームプレートを引き抜くと、あっという間に入部当初の姿へと戻った。いや、片方は扉の中央がべこりと凹んでいる。内側から叩いて戻そうとしたが、完全には直らなかった。振り上げた拳を、基本的には人に向けない男だが、どうにも収まりのつかない時だってあった。それでも、被害を自分のロッカーだけにとどめるような奴だった。
 もう一つ、こちらは三ヶ月以上からっぽだったロッカーも、扉から中まで拭き清めていく。中にはぽつりと、小さな鍵が置きっ放しになっていた。ずっと閉ざされていたせいで、先の二つよりもわずかに黴くさい。鍵を回収して、しばらく扉を開け放し、風を通す。完全に乾いたら、また閉める。いつもの癖で、ロッカーに鍵を閉めてしまいそうになった。
 新たに空いた三つのロッカーは、来年の新入生たちに譲り渡されるだろう。今までは部員数よりも、ロッカーの方が多かったが、来年はもしかしたら足りなくなるかもしれない。校内で、ロッカーが余っていそうな場所はあっただろうかと考えて、意識してやめた。
 こういう瑣末なことも、新しい部長と副部長で頭を使って、解決していくのだ。頭のめぐりが早い後輩のことだ、ひょっとしたら、もう手はずを整えているかもしれない。それにしても、部室で手持ち無沙汰な気持ちになるなんて、初めてのことだった。いつだって自分たちには、解決したり挑んだりしたい事柄が山のように待ち構えていて、本当にめまぐるしく、楽しい三年間だった。
 相方がゴミ袋の口を縛っている間、窓から身を乗り出して、外を眺める。風は冷たかったが、からりと晴れわたった秋空は高く澄んでいて、おしまいには、ふさわしい。
 もう出られるぞ、と声がかかったので、窓を閉めて、鍵もかける。掃除のために脱いでいたジャケットを着なおして、なんとなく互いに身なりを確認した。外にゴミ袋と鞄を放り出して、直立する。そして、誰もいない部室に深々と頭を下げて、ありがとうございました、ととびきり大きなあいさつをする。
 外に出ると、ロッカーの鍵を返された。飲み物のおまけについていた、ほとんど塗装の剥げ切ったアクリルキーホルダーを外すと、大きな手に隠れてしまいそうだった。
 手のひらには、いかにも大量生産といった風の、折れそうに小さな鍵が三本集まった。ポケットからもう一本、持ち重りのする大きな鍵を取り出す。「総北高校自転車競技部」のキープレートがついた鍵で施錠をすると、キャプテンとしての仕事は本当におしまいだった。あとは、この鍵を顧問の元に届けたら、部活との縁もひとまず切れる。
 たま屋寄ってこうぜ、ラーメン食いてえ、と田所が楽しい提案をする。ソースも塩海鮮もあんかけもある、いい店だ。校門前で落ち合うことにして、それぞれごみ捨て場と職員室に向かう。金城のポケットの中では、四本の鍵が揺れている。

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