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買ったパンを抱えながら目的地へと向かう途中、待ち合わせ相手が廊下に座り込んでいた。
「何してんの、靖友」
「東堂に教科書貸してっつたら、ロッカーから勝手に取っていけと言われてんだけどォ、暗証番号知らねェ?」
「知らない。本人に聞けばいいじゃん」
「福ちゃんと部長会議」
「オレの貸そうか」
「おまえ、世界史だろォ? 借りてェのは日本史の資料集なんだヨ」
「尽八の誕生日は?」
「試した。0808」
「生まれた年、学生番号、電話番号」
「全部試した。あークッソ。わかんねーし、東堂を待つかァ」
「せっかくだし、尽八が来るまで試してみようぜ。昼飯は買ってきたし」
「何賭ける?」
「明日のA定食は唐揚げとハンバーグらしいぜ」
「んじゃァ、それで」
最近オレたちの間では何かを賭けた勝負が流行っている。賭けるものは掃除当番だったり、昼飯やおやつだったり、英語の宿題だったりと様々だ。オレが靖友を探していたのも、昨日勝負に負けてオレが昼飯を調達することになっていたからだ。ちなみに靖友はえげつなくて、焼きそばパンやメロンパン、コロッケパン、味噌カツバーガーなどの人気のあるパンを指定してきた。手に入れるのにどれほど苦労したことか。
「今まで試した番号教えてくれよ」
「さっき言った番号と、あとは1234」
「了解」
じゃんけんで勝ったオレから始めることにする。
靖友はンコ座りして、袋から出した焼きそばパンにかぶりつく。昔とった杵柄というやつか、座りなれている。一方でオレは胡座をかくことにした。
「最近さ、しゃがむとズボンがキツいんだよな。ケツのとこから裂けそう」
「今日パンツ何色ォ?」
「やだー靖友クンったらえっちー」
「ウッゼ」
「はは。サーモンピンク。なあ、サーモンピンクって響きがエロくね?」
「バァカ。――破けたらすぐわかるなァ」
「靖友クンは何色?」
靖友の舌打ちを聞き流し、「さてと」と呟いて、ダイアルを回す。0000。
「アイツに限って、初期値はねーよ」
「逆に盲点かも」
期待を込めてつまみを回すが、びくともしなかった。
忘れないように番号をパンの紙袋に書くことにする。オレの丸い字が4つ並ぶ。
次に靖友が設定したのは0001。残念ながら開かない。
「なんで0001?」
「ナンバー1的なァ」
「あんまり尽八のイメージじゃないなあ。どっちかと言うと……」
一番右端のダイアルだけ2つ回す。0003。王者箱学のにおけるエースクライマーのゼッケン番号。靖友は「アイツならやりそうだな」と鼻で笑ったが、これも外れだった。
オレは肩をすくめて、あんクリームサンドを取り出した。パンは腹にたまる気がしないなあと思いながら、かぶりつく。
靖友がダイアルを回した。1010。
「とーどー」
「どっちかと言うとトイレみたいだけど。――そういう語呂合わせもありえるのか」
しばらく考え込んで、1031にした。靖友が首を捻る。
「誰かの誕生日だっけェ?」
「スラムダンク読んだことねぇの? てんさいって」
それから靖友はダイアルをじっと見つめていたが、やがて携帯電話を取り出し、操作しはじめた。
「尽八に聞くのはナシだろ」
「そんな反則すっかヨ」
覗くと写真を見ているようだったが、やヵて「あーこれこれ」と呟いて、ダイアルを合わせた。
「0707ってなんだっけ?」
「巻ちゃんの誕生日」
「みんなで尽八の写真撮影につきあったな」
「残念ながら違ったみたいだけどなァ」
それからオレたちは自分たちの誕生日を試したが、どれも開かなかった。まあ、期待していなかったが、少し寂しい気持ちも否めない。
髪をくしゃくしゃかき乱して、靖友が呟く。
「誕生日も違うか。おまえ、東堂が初めてレースに勝った日とか知らねーの?」
「携帯で調べてみる」
尽八が初優勝したレースは当人から武勇伝として何度も聞かされたから、朧気ながら覚えていた。確か小田原の有料道路で行われたはずだ。
靖友は忌々しそうにロッカーを指で弾いた。
「ったく、鍵なんて掛けンなよなァ」
「え、靖友は鍵しないの?」
「ハァ? 誰も盗まネェだろ?」
「オレは物が無くなるから、鍵掛けるけど」
「――あーそういうことォ?」
女子に人気があるのは嬉しいが、たまにその好意が暴走して、物を盗んでしまう子がいる。オレが鍵をしていなかった頃は、タオルやシャツ、パワーバーなどが無くなっていた。もっとも尽八に言わせると、「パワーバーは自分で食べてしまったのを忘れてるだけだろう」とのことだが。
「モテるヤツは大変だなァ」
靖友は口を歪めて笑った。他人事のような口振りだが、靖友にだってファンはいる。だが、靖友のファンは割と静かに見守る子が多いし、そもそも見た目も穏やかな好青年とは言い難い。盗んだことが発覚したら、どんな目に遭わされるかわからないと、畏怖されていてもおかしくはない。
「日程わからないな」
携帯電話を放り投げて、ため息をついた。袋から照り焼きバーガーを取り出す。マヨネーズに七味が隠し味で入っていて、大人の味だ。靖友は不機嫌そうな顔をして、コロッケパンを口に押し込む。ああ、もう少し味わってくれよな。せっかく苦労して買ってきたのだから。
そう肩を落としたとき、後ろから声がした。
「大会に出るのか?」
振り返ると、寿一が仁王立ちをしていた。片手には会議の資料らしきプリントを持っている。
靖友は手をひらひらと振った。
「福ちゃん、東堂が初めてレースに勝った日って知ってる?」
む、と寿一が小さく呟いて、靖友、オレ、パン、後ろのロッカー、そして再びオレに視線を巡らせた。靖友の質問の意図がわからなかったのだろう。助け船を出す。
「えっと、尽八のロッカーの暗証番号知りたくて、初優勝した日とかかなあって。尽八の暗証番号知らねえよな?」
「知らないな。今まで試した番号はわかるか?」
紙袋を渡すと、寿一は眉間に皺を寄せながら考え始めた。今回は没収試合かと諦めたとき、寿一がオレと靖友の間に座り込んだ。
「お、福ちゃんわかったァ?」
靖友の問いに寿一は頷き、骨ばった指をダイアルに伸ばした。慎重に1つずつダイアルを回す音が響く。寿一の肩ごしに覗き込んだ。
8888。
「ああ」
そう呟いたのは、オレか靖友か。なるほど、どの番号よりも尽八に相応しい番号だ。
寿一の指が厳かにつまみに掛けられた。つまみごと手前に引くと、整理整頓されたロッカーの中が見えた。口笛を吹くオレに靖友もため息を付く。
「ことごとく、8かァ」
「覚えやすかろう!」
突然オレたちの頭上から降ってきたのは、張りのある声だった。呆気にとられているオレたちの間をくぐり抜け、ロッカーから資料集を掴むと、尽八は靖友に「ほれ」と手渡した。
「――どーも」
「今日は使わんから、後で適当に入れておいてくれ」
苦虫を噛み潰したような顔で靖友が受け取るのを一瞥すると、尽八はオレたちを見回した。
「まったく人のロッカーの前で、野郎3人が雁首揃えて何をしているのかと思ったが。――フク、よく番号がわかったな」
「オレと同じ付け方だ」
そう言って、寿一は手に持っていたプリントの裏面に数字を書き付けた。プリントを誇らしげに見せる。筆圧の濃い字で記されたのは、1が4つ。
その数字を見て、誰ともなく吹き出した。尽八が低く唱える。
「じゅいち、じゅいちか」
「1しかねぇって、福ちゃんらしいなァ」
「へーオレも語呂合わせにしようかなー。8810ではやととか。靖友も鍵を掛けたら?」
「あらきたもやすともも語呂合わせできなくね?」
「荒北は2929にすればいい」
寿一のナイスアイデアに尽八が笑う。
「わんわんにゃーにゃーで、1122とかな」
それからしばらくして、靖友はロッカーの鍵をかけるようになった。寿一や尽八と靖友のロッカーの鍵開けに挑戦した話はまた別の機会にしよう。