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「一年の荒北…ってアレだろー、元リーゼントの」
「あ、やっぱり知ってた」
「寮でもちょー有名人じゃん。何、新開知らなかったの?」
「リーゼントの面白い生徒は知ってたけど、それが一年の荒北くんとは知らなかったな」
パワーバーに齧りつきながら飄々と答える新開の表情は、いつもより少しだけ硬い。
直線鬼のような解り易い激情よりも、その少しだけ硬い表情の方が要注意だとこの時初めて今井は学んだ。
「で、荒北がどーしたって?ていうかマジで自転車競技部入るの?毎日ローラーに乗りに来てるけど」
「どうだろうな、入部届けは寿一が初日に書かせたから部長に行ってるらしいけど」
「あーそりゃ部長もむげにできないけど困るよなー」
「どうして?」
「解って言ってんだろ新開、部長だって爆弾は抱えたくないだろうしさぁ」
「あれ?今井は?」
「それ言われたらオレどうしようもないんだけどね!言っとくけどオレは更生済みだからな!」
慌てる今井の言い方に、新開が、はは、と笑いをこぼす。
正直なところ今井にとっては、今みたいに部活の休憩時間に世間話をするような間柄になったことは予想外でしかなかった。
予想外だが、納得はできる。
福富は当たり前として、新開もそのズバ抜けた実力ゆえ、部の先輩たちには一目置かれている上に極一部(というか、同じほどズバ抜けた実力の持ち主である東堂)以外の同級生には憧れの目では見られつつも遠巻きにされている。
他の同級生と違って今井には、秦野の二人に寄ってこられて断れない理由がある。
拒絶しようと思って閉ざしても、自分という扉の鍵を持たれているようなものだと今井は思った。
「…あー、鍵で思い出した」
「かぎ?」
「いや荒北のこと。寮長が言ってたんだ、荒北がよく鍵拾ってくるって」
「へぇ、今井、寮長と知り合いなんだ」
「入寮してからだけどなぁ」
眼鏡の寮長のことは新開も知っている。だが、その彼が寮長であること以上の何も知らない。
既知でもないのに関係を作ったという今井に、新開はゆっくりと首を傾げた。
「…なんでわざわざ寮長と知り合いになったんだい?」
不思議そうに訪ねてくる新開に、今井の眉が困りながら寄る。
部室の外で壁にもたれたままパワーバーの二本目を開ける新開の隣で同じように壁にもたれていたのをゆっくりしゃがみこんでから、今井は話し出した。
箱根の山から下りてくる風だけが、話の中に隠れた不穏さとは裏腹に爽やかに吹き抜けて、練習で火照った体の表面を撫でていく。
「自転車競技部ってただでさえ箱学で一大派閥なの解るだろ?そこに今年は福富が居るもんだから入学前から先生たちがザワついてたらしくてさあ」
「まぁ、だろうね。寿一、親父さんと春休みに挨拶来てたらしいし」
「あのな…」
そんな話初耳だ。
どんどん困っては険しくなる今井の表情に反比例して、新開の表情からこわばりは抜け、いつもの飄々としてるだけの日常の顔になっていた。
そこから今回の話の意図を理解しつつ、今井は本気ではないが抗議じみた声をあげる。
「お前も福富も、もっとフクトミジュイチの持つ影響力自覚してくれよ頼むから!そして自覚があるなら印象良くする努力をしてくれ!」
「けど、今井がそうして手回してくれるんだろ?」
「…いやそうなんだけどさ、何その今後も末永く決定事項みたいなの」
「で、鍵が何だって?」
ああ、いつもの新開隼人だ。
直線鬼でも不穏さを含んだ硬い表情でもない、いつも通りの。
内心安堵しながら、今後も末永くについて否定しないのはそういうつもりなのだろうなと思いつつ、今井は溜息をついてから新開を斜め上に見上げ直した。
「荒北がよく拾ってくるんだって、落ちてるの。自宅の家の鍵から通学組の自転車の鍵まで、色んな鍵を」
「…鍵マニア?」
「いや、だとしたら寮長には届けないよな?違うんだって。荒北の実家、湘南でさ、親は不動産業らしいんだよ、寮長によれば」
寮長は、他の寮生の情報をある程度教師から教えてもらうことが出来る。
生徒と先生の中間に位置するような存在の彼があれこれ教師から聞いていたというのは、寮長も荒北に恐怖していたんだろうなと今井はその話を聞いたときに思った。
だが、寮長が荒北に抱いてるのが畏怖や恐怖だけではないと話を聞きつつ今井は感じた。
『アラキタくんはね』『アラキタくんがね』と話すその声色は、困惑や恐怖に覆われているが、その底で何処か微かに優しいのだ。
『どうしてこんなに拾ってくるんだいって聞いたんだ、万が一があってはいけないからね…そしたらアラキタくんがね、話してくれたんだよ。”親が家の貸し借りとかそういう仕事してて、鍵は絶対無くすなって小さい頃から口酸っぱくして言われてンだよ”って!物凄くぶっきらぼうだし、うん、怖かったけど…けど、アラキタくんは、拾った鍵を悪用しようとかそんなつもりは全然なくて、鍵の大切さを知ってるだけなんだな、って』
話す寮長の言葉を思い出して口で再生しながら、今井は少し驚いた表情の新開を見上げてにやりと笑った。
「『だから、決して根っこから悪い子じゃないんだ、と、ボクは思いたい。願望に過ぎないかもしれないけど』…ってさ。で、寮長の荒北への評判悪かったら、本気で荒北の入部止めようとしてたとか、そういう魂胆だったんだろオレに聞いたの」
「……スゴイな。今井は将来、報道官とかインタビュアーになればいいのに」
「皮肉かな?そりゃお前たちよりは口が回る自覚はあるからね、東堂には負けるけど」
「いや、素直に褒めてんだぜ?あと詐欺師になったら大物になりそうだから、それは止めて欲しいなと思って」
「やっぱり皮肉じゃん」
「政治家とかどうかな、そして日本の道路でもっと自転車が走りやすくしてくれたら最高なんだけど」
「なれる訳ないからそんな大物!…で、荒北が部に入るの、反対すんの?」
部室の中から、ローラーを終えた荒北が福富に怒鳴る声が響いてくる。
ここ数日の恒例となりつつあるその声を聞きながら新開はパワーバーの包みを手の中で握り締めて纏め、今井は立ち上がって体を伸ばした。
「しないよ。というか、最初からする気はなかったし」
「じゃあなんでオレに聞いたんだよ」
「判断材料としてかな、今後の接し方のさ。それに荒北くんの入部に反対するようなら、オレは今井の入部にまず反対してるだろうし」
「…まあそうだよな。オレちょっと覚悟してたもん」
しおらしく声のトーンを落とす今井の背中を新開はぽんと叩いた。
「しないさ、おめさんは寿一に気に入られてるし」
「…へ?」
「寿一は変なのが好きだからね」
「……うん?ちょっと待って新開!?」
どういう意味だよと問い詰めようとする今井をかわして、新開は部室へと歩を進める。
振り返らないその背を見送って、今井は空を仰いで大きな溜息をついた。
「…新開は色んなヤツの”鍵”持つの好きなのかなあ」
囁かれた言葉は吹いてきた風に四散して、もう一度溜息をついて今井も部室へと戻っていった。
この翌年、少しだけ硬い表情のままインターハイを辞退した新開を解く鍵になるのが荒北だということは、今は誰も知らない未来である。