【B01】環

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「悪ぃな。事務引き継ぎがこんな遅くなっちゃってさ」
「いえ、むしろ助かってます。部外の面倒ごととか俺どうしていいもんか」
「はは、わかるわ。最初オレもびっくりしたからな。雑務多すぎだろ」
「サラリーマンかよって。ウチの親父みたいすもん。しょっちゅう接待飲み会ってやつ」
 
接待ってのとも違うけど、まあ自転車より疲れるわな。そうこぼして笑うのは前主将。そして、新主将は俺だ。ひと月ちょっと前、夏休みが終わる頃に告げられた。
 
「ま、待たせたけど今日からはおまえの仕事だからな」
「うす。正直自信ないですけど、やるだけっす」
 
総北高校は今夏、インターハイで2年ぶり6回目の優勝を飾った。といっても初めの2回は昭和の時代の話で、3回目は7年前の神奈川大会だから、全国レベルで強豪校と言われるようになったのはここ数年のことだ。
 
代替わりをいつにするかは、メインイベントの時期が異なるから部によって違うのだが、うちは最大の目標のインターハイが7月末に終わってしまうので、夏休み明けにあわせるのが通例になっている。が、今年はここ2年続けて逃した頂点に立った反響が大きかったようで、部のOB会に同窓会主催の歓迎会、市やら区、おまけに県からも表彰されて知事に会いに行ったりと、9月になっても祝賀行事が目白押しだった。
そういった外交は主将か副主将のどちらかが出かけていくものだから、新チームで主将を欠いた練習が続くよりは、そもそも主将の交替を待つことにしたのだ。それに、祝われるのは実際に戦ったメンバーの方がいいという後輩の思いも加わってのことで。
 
「いやまじで、不安すよ」
「はは、大丈夫だって。さっきの挨拶もよかったし」
「うあーまじすかー、大ミエ切っちゃって恥ずかしいっす」
 
部室が新しくなった。
ここ数年でウチの部員数はめちゃくちゃ増えたらしい。俺の学年も14人いる。ひと昔前、チーム結成が危ういくらいだったと聞く頃ならともかく、今の部屋じゃひどく手狭で雨天時にローラー台も置けない。
前々から顧問を通じて新設の要望はしていたものの、予算不足と取り合ってもらえなかったのが、優勝のご褒美として実現したのだ。コンクリで固めただけっぽい簡素なものだけれど、それでも互いの肩肘が邪魔にならない空間はありがたい。
顧問が教頭から新しい鍵を受け取り、部員で古い看板を外してまっさらな壁に付け替えた。少しちぐはぐだが、味わいはある。そして部員総勢47名の前でひとこと挨拶を。その贈呈式が、俺の主将としての初仕事だった。
 
『目標は連覇です』
慣れない場面に舞い上がってるところにあいさつを促され、そうぼろっと零れた。だけど今年は全員3年のチームで、誰ひとりレギュラーになれなかった2年の俺たち。そんな俺らが口にするのは大それてたんじゃないかと今さらびびってるんだけど。
 
「ボクはいいと思うよ。それにそのセリフ、前にも聞いてるしね」
「先生?」
 
贈呈式から立ち会っていた、顧問である新任数学教師の、ゆるい肯定の言葉がかかる。
 
「夢だろうと奇跡だろうと信じて諦めないのが総北なんだ」
「はぁ…」
「昔っから全員で拾ってつなげてくチームなんだよ、ウチは」
「つなぐ、ですか」
「うん。あ、寒咲さん駐車場着いたって」
「え、はい」
 
先生はスマホアプリを眺めながら「諦め悪い総北を作ったのこの人じゃないかな」なんて笑ってる。機材でお世話になってる寒咲さんだ。優勝を知らない、でもマシンで総北の優勝を支えてくれた元主将。たしかに繋がってる。ふと先の言葉を思い出して訊いてみる。
 
「先生、副主将だったんですよね。さっきの連覇の主将って、先生の代の今泉さんすか」
「うん? ひとつ上だよ。手嶋さんって言ってね」
「! 伝説のいろは坂の!!」
「んんん、それ聞くかい? ボクは生で経験してるからねェ、ちょっと詳しいよ」
「ちょ先生! それオレもゆっくり聞きたいし! こら、先に引き継ぎすませっぞ」
 
 
 
 
 
「ほい。これがマスターキーな」
 
引き継ぎが再開され、前主将から渡された部室の鍵。仮主将ということで渡されていたスペアキーともちろん形は同じだが、使い込まれた風合いが異なる。そして、やたら大きなキーリング。
 
「これが、あの」
「歴代総北自転車競技部の魂な」
 
半ば御守りとなっている、部室の鍵。3年の先輩の間で管理されていたから、手にとってまじまじと見るのは初めてだ。鎖でつながった大きなリングにまた小さな輪っかでたくさんのプラスチック片がつながっている。
 
「これ、いつから」
「金城さんの代からだねえ。7年? 前になるのかな」
「総北が強くなったって頃っすね」
「金城さんたちが卒業するときに、手嶋さんが、さっきのいろは坂の。その手嶋さんがなにか形に残るものがほしいって、っても制服の第2ボタンはまずいだろって」
 
それでコレになったんだ、と指さす先の輪っかに並ぶのは、黄色といくつかの色がまじった、ジャージのファスナーのプルタブ。
 
「インハイ闘った証だし、心臓に近いとこにあるし、気合い入れるときに引き上げるやつだし、これしかないだろうってなったんだよ」
「でもレギュラージャージだけじゃないすね。なんだろこの緑と紫」
「それ巻島のな」
 
つい今しがたやって来た寒咲さんが楽しそうに被さってきた。巻島。知ってる。日本人トップクライマーの小野田さんの尊敬する人。
 
「大分のインハイの祝勝会な。3年前になるか。そんときこのリングの話が出てな、巻島がオレ知らねえショっつって。そりゃおまえもうイギリス行ってたろっつったらオレも送るから混ぜてくれってな」
「いやなんでこんなシマシマ」
「そんで、外そうにもはずれないつって、やっと去年だぞ。去年の正月にうちにジャージ持ち込んできてさ、外して別のタブ付け替えてやって。そんときあいつが店先の広告用のポスカで塗ったやつだ」
 
へえ。配色の理由は不明だけど、すげーセンスっすね。
あ、そしたら
 
「先生のもあるんすか?」
「あるぜ、杉元のはこれだろ、この白いの」
「え、寒咲さんよく覚えてますねえ。あのね、ボクもなんだけど、全員がレギュラージャージもらえるわけじゃないだろう?」
「っす」
「金城さん手嶋さんの代は全員インハイ経験者だったけど、ボクの代は違ってね。けど、今泉がさ、あ、君たちも知ってる今泉だよ。ボク世代の主将でね、全員の残そうって言ってくれたんだ」
「…だからこんな数」
「そうだぞー、最近どんどん部員増えてっからなあ。黄色の方が少数派になってんな」
 
寒咲さんにポンと背中を叩かれた。結構強めに。
がんばります。オレも黄色のタブを付けられるように。
 
 
 
 
 
「ってことで。今日からはこれだからな」
「は?」
「おいおい、さっき式やったばっかりだぞ」
 
手渡されたのは、新しい部屋の、新しい鍵。
何の飾りもなく、白く光る真新しいそれと、鈍い金色の、輪っかと小さな欠片をつなぎ止めたそれ。
しばらくじっと眺めて、古い鍵はリングごとしまっておこうと貴重品箱を取り出したら、なんだリング新しい鍵に付け替えないのかと一斉に言われた。
 
「や、だって重すぎませんか」
 
じゃらり、とリングを揺らしてみる。
数十個の魂のかけらが音を立てる。
重すぎて、俺のポケットには入りきらない気がするんですけど。
 
「重かねェよ」
「重いぞー」
「重くてこそじゃないかな」
 
ちくしょう、あんたら好きなこと言いやがって。
だったら腹くくりますよ。
 
「わかりましたよ!」
 
 
『今年の目標は、連覇ですっ!』

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