D02『彼の金色』

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 ざわめきの中に、相棒の名が混じるのを何度も聞いた。
 総北高校、キャプテンの手嶋――。
 つい先日まで、その役職は金城が担っていたものだ。三年生から二人で受け継いで、この峰ヶ山ヒルクライムが初めてのレースになる。
 ――二人で。そう思っていた。そのつもりだった。確かにキャプテンは手嶋で、自分は彼を支える副将だ。でもそれは今までと大差がない。もともと手嶋のほうが頭も口もまわるから、舵取りは手嶋が担ってきた。手嶋が頭で自分は脚、その関係は自転車を降りても同じだ。器用ではないが体力はあり、決めたことはあまりくよくよ思い悩まないのが自分で、手嶋がそういう部分を頼りにしてくれている自負もあった。
 だが、違う。
 インターハイ優勝校の総北高校の主将。その立場にいるのは手嶋一人だ。ロードレースの一着と二着が天と地ほども違うように、主将と副将もまるで違う。青八木がこのレースに出ていないことを差し引いてもその事実に変わりがないことは、昨年の金城が総北の顔で在り続けたことを思えば明らかだ。
 金城は総北のエースだった。インターハイこそ膝の痛みで完走を断念したが、自他共に認める総北第一の選手だった。
 手嶋は違う。
 努力をした。強くなった。それでも、総北で最も実力のある選手が手嶋だとは言えない。
『この話、おまえには初めて話すな――』
 着替えをしながら語った背中を青八木は思い浮かべた。クライムのために絞った薄い背中が黄色のジャージに隠れる。ゆっくりとファスナーを上げながら眉を下げて笑ったのが、今日彼が見せた “素の手嶋純太” の最後の瞬間だ。シューズを履いた足を一歩踏み出したときには、手嶋はキャプテンの彼になっていた。
 自転車乗りのだれもが憧れる鮮やかな黄色。痛いほどに憧れたジャージだった。誇らしく、胸を高鳴らせて身に纏うのだと思っていた。けれどきっと、それだけじゃない。
(純太――)
 青八木の見守る前で、手嶋は全力を振り絞って箱学の選手と競っている。二人で天下をとろうと約束したというかつてのチームメイトとの必死のデッドヒート。
「無理だ」
 金城が断定した。前主将であり、当然のように期待を背負ってきた男の言葉は重い。この車は報道車両だ、前方にいる記者にも彼の言葉は説得力をもって伝わるだろう。むしろ金城はそれをも織り込んで言っているのかもしれなかった。
 優勝校の主将でありながら才能もセンスもない凡人。金城が語った率直な評価は、これからずっと手嶋にまとわりつくのだろう。
 小野田が手嶋に追いついた。ひとことふたこと会話を交わし、手嶋はその背中を送り出す。先頭に追いつき追い越した小さなクライマーの偉業に沸く車内で、青八木は振り返り、後方を走る一台の自転車を見つめた。ひとりきり、ふらつきながら、最後の坂道をゆっくりと登ってくる黄色いジャージ。
 汗にべったりと濡れたその黄色は、どれだけ重いだろうか。
 その重さを、どうやって分かち合えるだろう。
 
 
 
 ――ずいぶん髪が伸びたじゃない、今日お休みなら床屋に行ってきたら?
 母親の言葉にうん、と答えて、青八木は読んでいた本を閉じて立ち上がった。あら、いまから行くの? じゃあ散髪代、ハイ。渡された千円札数枚をありがたく財布にしまい、いつもの床屋に向かったはずの足を、どうしてそこで止めてしまったのだろう。
「あの」
「はい?」
 ありがとうございましたぁ、ドアの前で腰を折る若い男性に声をかける。しどろもどろの言葉を男性は微笑んで聞いて、どうぞと店内に招いてくれた。ドアにぶら下げられたベルが、カラカラと賑やかな音を立てた。
 
 
 
「おーっす、青八木」
「おはよう、純太」
 学内ではバイクは押して歩く決まりだ。掛けられた声に振り返ると、トレーニングを兼ねて裏門坂を攻めてきたらしい手嶋が軽く息を弾ませていた。青八木は無難に正門派だ。朝からの裏門坂はスプリンターには荷が重い。
 並んで部室に向かい、バイクを停めて顎のベルトに手を掛ける。
「うわっ」
 隣から上がった声に青八木はひっそりとほくそ笑んだ。
「すっげ、思い切ったなー! 脱色?」
「うん」
 頷いて、頬にかかる一房をつまむ。床屋でカットする代わりに、足を運んだのは美容院だ。親切な美容師は青八木の要望を辛抱強く聞き、毛先を整えて色を抜き、手入れのコツまで教えてくれた。財布の中が冷え切ったので勧められたシャンプーは買えなかったが、数ヶ月後にまたおいでという言葉には素直に頷いた。
 もとから色素の薄かった髪だが、色を抜いたいまは見事な金髪だ。母親も仰天していたが、まあアンタの部って派手な子多いものねという言葉で受け入れられ、派手な頭の先輩後輩に内心で感謝したというのは余談である。
「びっくりしたわー。長さはそのままなんだな、伸ばす?」
「そのつもりだ。……似合わないか」
「まさか! いいじゃん、すげぇ似合ってるよ。カッコイイ。でもなんで突然」
「目立つかと思って」
 そう答えると、手嶋は驚いたように瞬きをした。そうだろう、と自分でも思う。目立ちたいなんて言ったこと、人生で一度もない。手嶋だってそれはよく知っているだろう。
 でも、それが髪色を変えた、たったひとつの理由だ。目立ちたかった。手嶋の隣で、自分もここにいるぞと周囲の目を引きたかった。髪色でなんて安直だとわかっている。走ってこそ、実力を見せてこそだ。その努力を怠るつもりもない。
 それでもなにか、ひとつでも多く、できることをしたかった。少しでも、一瞬でも、手嶋に注がれる視線を奪えるなにか。手嶋のまとう黄色の重み、自分が着るそれとは違う重みの何十分の一かでも分かち合えるなにか。
 派手な髪色で目立とうなんて子供っぽい考えだ。これだけでなにかを変えられると、本気で信じているわけじゃない。
 この髪は決意の証しだ。もうこの背中に隠れない。副将という立場に甘えない。並ぶのだ、手嶋に。
「いちばん、の、色だろう」
「――ハハッ!」
 一本指を立てて言うと、手嶋は楽しげな笑い声をあげた。いいじゃんいいじゃん! 再びの言葉とともに背を叩かれ、青八木はよろめきながら小さく口元を綻ばせる。
 青八木の内心のすべては、手嶋に伝わってはいないだろう。それでいい。それがよかった。ふたりきり以心伝心で前に進む時代はもう終わりだ。手嶋が背に負うほんとうの重さを青八木は想像しかできないし、手嶋は青八木の胸の痛みを理解することはないだろう。
 それでいい。
「行こう、純太」
「おう」
 脱いだヘルメットをハンドルにかけ、足を部室に向ける。そろそろ部員たちもやって来るだろう。朝練、授業、練習、ミーティング、次のレースへのエントリー、やることは山積みだ。
「今日も頑張ろう」
「うん」
 今日も、明日も、明後日も、夏が来るまでずっと。
 おまえと並んで。ともに視線を浴びて、進んでいこう。

 

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