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「ほんとなんです!確かに見たんです!カーテンに人影が映ってるのを!」
部室の鍵を渡しに来た一年は、今にも泣きだしそうな顔でそう東堂に訴えた。
「もしかして誰かが残ってたいたのに鍵をかけてしまったのかもしれんぞ。確認はしなかったのか?」
「確認なら鍵をかける前にちゃんとしています。ロッカールームもシャワーブースも備品室も、全部確認しました。誰もいませんでした!」
「じゃあ見まちがいか何かだろう。見たところお前は相当怖がりのようだ。怖い怖いと思っているからなんでもないものが怪異に思えたんだろう」
「いえ、確かに人影でした!」
一年は叫ぶように言うと、とうとう泣き出してしまった。
部室の鍵は顧問と主将副主将がそれぞれ1本ずつ持っている。部活が終わったあと片付けや掃除洗濯をするのは一年の仕事だから、彼らはこの夏に副主将となった東堂の鍵を借り、寮生の一年が帰寮後東堂に返しにくるのが常になっていた。
目の前で泣いている一年の言によると、部室に最後まで残っていたのは二人だったが、鍵をかけ寮へ向かい歩きだして三分も経たないうちに忘れ物をしたことに気づき、自分一人で部室に戻ったところ外から室内に人影を認め、しかもその人影が動いたため恐怖のあまりそのまま逃げ帰ってきたということだった。
「では忘れ物は結局取りに行けてないんだな?それは明日の授業に必要なものなのか?」
一年は涙を浮かべたままコクコクと頷いてみせた。
「それはいかんな。よし、オレが一緒に行ってやる」
東堂は上着を羽織り、腰の引けてる一年生を引きずるようにして裏口から寮を抜け出し部室へと向かった。
「そのとき誰かがいたのだとしてもさすがにもう出ていってるだろう。だから大丈夫だ。霊とかそういった類はまず信じられん」
怯える後輩を安心させる言葉を呟きながら鍵穴に鍵を挿す。カチャリと音がした。確かに鍵はかかっていた。
完全下校後に煌々と灯りをつけるわけにもいかないので、東堂は入口ドア近くの非常用懐中電灯を手に取り、まずロッカールームへと向かった。
「あったか? 忘れ物」
「は、はい。助かりました」
後輩の震える声を聞きながら、東堂は部室内のあちこちを懐中電灯で照らす。人の気配などどこにもない。やはりカーテンの人影とやらは後輩の見間違いだったのだ。
建物の奥にあるロッカールームから入口と直結している室内練習場に戻ってくる。自分達以外の人の気配はまったく感じられないが、東堂念のためは部屋の端から端までひととおり懐中電灯で照らしてみた。
「ん?」
何かひっかかりを感じ、もう一度室内をくまなく照らしていく。
後輩は既に部室の外へ出ていた。
東堂が握る懐中電灯から発せられる灯りがある一点で止まる。
「なるほど」
得心の笑みを浮かべた東堂は、しかしそれ以上の言葉を発することなく後輩の元へ戻っていった。
裏口から寮内へ入ると早々に後輩と別れ、東堂は自室ではなくある場所へ向かう。やはりそういうことか、と次に向かったのは福富の部屋だった。
「フク、お前が持ってる部室の鍵、どこにある?」
「鍵?」
福富はポケットや引き出しの中をぞんざいに探してみせたが、それがいかにも「ふり」なのがわかる。
「今、ここにはないのだろう?」
追及の割に東堂の口調は穏やかだった。
東堂が事情を覚ったのだとわかった福富は観念したかのように口元を和らげフッと息を漏らす。
「見逃してやってくれないか」
「見逃せとは……。フクは奴らを甘やかしすぎだ」
「奴ら?」
奴ら??新開と荒北。おそらく福富から鍵を借りて持っているのはこの二人のどちらかに違いない。
東堂が部室で感じた違和感、それはとっくに下校したはずの荒北のビアンキと、まだ練習を休みがちな新開のサーヴェロがなかったことだ。ここへ来る前に両者の部屋を訪ねてみたが案の定二人とも不在だった。そのことを、後輩が鍵を返しに来たところからの顛末を、東堂は福富にすべて報告した。
「そうか、新開もいるのか」
福富の顔が一瞬緩んだ、ように東堂は感じた。
福富曰く、普段鍵を借りているのは荒北で、一年の頃に福富から言われた「人の三倍練習しろ」を忠実に守っているらしい。初心者で入部してきた割に上達が早いと感じたが、そういう裏があったのかと東堂も今更ながら納得した。
「荒北はともかく、新開は今部活に顔を出しづらいだろうから大目に見てやるが、せめて一年が完全に下校してから部室に入るよう言ってくれ。幽霊さわぎで済めばいいが、もし校則や寮規を破っていることがバレたら先輩として示しがつかん」
「そうだな、言っておく」
同意の言葉は返したものの、福富は鍵を貸し出すことをやめるつもりはないのだな、と東堂はやれやれといった感じで肩をすくめてみせた。