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大学でも広報に精を出していたら、いつの間にかカメラの沼にはまっていた。プロダクションの雑用から始めて、フォトグラファと名乗れるくらいにはなって、今ではプロになった同級生たちを撮ることが飯の種になっている。
こっちで仕事を始めて、聖書が元になった言い回しやネタなんかが多いことに気がついた。最初は理解が追いつかなかったり、戸惑うことが多かったが、よく聞くフレーズは耳に馴染んでいく。今、牧師が朗読しているところも、すっかり諳んじられるようになった。
「たとえ死の陰の谷をゆこうとも、私は災いを恐れない」
なんだか妙にあの人にぴったりだなと思って、少し笑ってしまった。隣のばあちゃんが怪訝そうな顔をしたので、すかさず真面目な表情を取り繕う。葬儀中に失礼しました。でも、本当に似合うんだよね。
参列者の献花が終わり、教会の中からは人が減っていく。遺族と少しばかり言葉を交わして、最後に会場を出ると、今井、と声がかかった。東堂だ。少し離れたベンチには、福富と巻島が並んで腰掛けている。すげぇ話の弾まなそうな組み合わせだ。
しばらくぶりに顔を合わせたので、待っていてくれたらしい。飯でも、と言いかけて、お茶でも、に言い換えた。オレはともかく、こいつらはシーズン真っ只中だ。
広い霊園を最短ルートで突っ切って、裏通りに向かう。福富のチームのスポンサーである、コーヒーショップがある。飲み飽きてるかもしれないが、ドーピング汚染を気にしなくていい実利を取らせてもらおう。
木陰が気持ちのいい中庭の席を陣取った。六月のフランスは梅雨とは無縁で、からりとした風が心地よい。木漏れ日と淡い影がテーブルの上に、まだら模様を作っている。真冬の葬儀は寒くて寒くてかなわないので、ありがたい時期ではあった。ひとしきり、故人の思い出話に花を咲かせた後、福富がぽつりと呟いた。
「いい写真だった」
思わずにんまりと笑って、だろ? と軽口を叩いて、福富と肩まで組んでしまう。福富は案外付き合いが良いので、素直に肩を組み返してくれる。荒北がいれば、てめぇ調子乗りすぎィって突っ込んでくれるけど、この面子だと鼻は高くなるばっかりだ。
遺影のモノクロ写真は、去年のツール・ド・フランス最終日、パリのゴールに向かう彼を撮影したものだ。オレが撮ったやつ。訃報から間もなく、遺族から連絡があった。遺影に使わせて欲しいと依頼されて、大きく引き伸ばせるデータをすぐさま送ったのだ。確かに良かったがな、と東堂が苦笑する。
「今にもあの雷が聞こえてきそうで、むやみに背筋が伸びたな」
それは他の参列者にも言われた。巻島も肩をすくめて笑う。
「すげぇ落ち着かなかったショ、たぶんオレが一番聞いた」
今日の主役、って言っていいのかわからないけど、故人はオレらの大先輩。何十年も前に箱学を出て、欧州でプロコンのレーサーになって、引退後も珍しくこっちに残って、セカンドキャリアは大会の警備部門を務めた人。先導バイクのカーブ取りなんかは、さすがといった腕だった。最近は後ろに乗ってることが多かったけど。
表情筋落っことしてきたとか、ロボだってもっと愛嬌があるとか言われる仏頂面で、鬼のようにおっかないことで有名だった。しかも空を割らんばかりの大声で、いかつい胴間声。飛び出しそうになった子供に優しく注意をしたつもりなんだろうが、号泣されることもしばしば。オレが仲裁に入ったこともある。
レース中なんかは、なにぶん行儀のいい観客ばかりではないので、警備側も言葉が荒くなっていく。道を埋め尽くしそうな観客を割って進む途中、何度も彼の雷が落ちた。巻島のダンシングは、他の選手よりも道幅を確保する必要があるんだよな。だから進路を確保しようとしてくれてるんだけど、レーサーもぎょっとする声量だった。
バイクカメラの音声に入っちゃったこともあって、それ以来、実況陣が「雷が落ちそうですね」って言ったら、天候じゃなくてこの人のお怒りのこと。もう聞けないな。
しばらく思い出話や、今後のスケジュールなんかを話した後、コーヒー二杯でおひらきとなった。駅前で手を振って別れる。大通りのデジタルサイネージには、来月から始まるツール・ド・フランスの日程が大きく告知されていた。
去年の最終日のことを思い出す。念願叶ってカメラバイクに乗せてもらった。シャンゼリゼまでの道中を共にし、選手たちよりも先にゴールに向かい、待ち構える。前にいた警備バイクには、あのおっかない声の彼が後部座席に、でんと跨っていた。
ゴールも近づいてきて、警備バイクを追い越す瞬間、彼は後ろを振り向いた。怒鳴られるようなことしてませんけど!? と思ってしまったのは許してほしい。マジでおっかなかったんだって。
幸い、危険行為を咎めるためではなかった。彼は振り向いて、遠くを見晴るかして、にぃっと満足げに笑った。それがあんまりいい顔だったから、反射でシャッターを切って、それからオレも後ろを振り向いた。
旅の一団が帰ってくるところだった。もちろんリタイアも怪我人も出てるんだけど、それでも、選手生命を断ち切られた者は誰もいなかった。晴れ晴れとした気持ちで最終日を迎えられる、そういうレースは、実はとても少ない。死と隣り合わせの道を先導し、災いを退けて、彼は選手たちを導いた。
追い抜きざま、彼はオレに親指を立てて、手を振った。たぶんシャッターチャンス逃すなよって、激励してくれたんだと思う。もちろんゴールも表彰シーンもばっちり撮ったけど、あの人の写真も、けっこう好評だったんだよね。レースレポートに乗っけたら、意外と反響があった。マイヨジョーヌより貴重とまで言われる笑顔ってのも、なかなかすごい。
三週間後のレースに、あいつら三人は出場する。もちろんオレも、撮影で付きっきりだ。あいつらは、濡れた路面で踏み込み、集団の落車をくぐり抜け、死の山でしのぎを削るだろう。
彼らが、死の陰から遠くありますようにと短く祈る。陰を打ち払う雷はもうないけれど、それでも、みんなで帰るんだ。