E04『ボクの好きな色』

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 6月下旬。
 梅雨の晴れ間の土曜日の午後。
 ファミレスで箱学自転車競技部シングルゼッケンの3年生4人は、各々目の前の1枚のプリントに筆記具を走らせている。
 プリントは『月刊サイクリング毎朝』の「インターハイ直前号特集アンケート」。来月発売の「インターハイ直前号」に掲載予定の「出場校の登録選手紹介」記事。出場校の方で準備する顔写真に添えられる、本人記載の一問一答アンケートである。
 内容は「ゼッケン番号」「氏名」「学年」「脚質」「主将、エース又はアシスト」「出身中学」「使用バイクメーカーとカラーリング」「高校でのロード公式戦での主な成績(1年生の場合は中学での主な成績)」「好きな又は目標とするロードレース選手」「好きな言葉」「大会に向けての抱負(一言)」
 そしてなぜか『好きな色』。
 箱根学園はインターハイ「王者」、神奈川県の絶対的代表である為、インターハイ前に『月刊サイクリング毎朝』から送られてくるこのアンケートは、箱学レギュラーを務める者にとって毎年の恒例行事だ。記入項目は毎年ほぼ同じ。内容は「脚質」といったロードレース特有のものを除けば、他のスポーツ専門誌の大会出場選手紹介記事とさほど変わらない内容である。
 しかし『月刊サイクリング毎朝』の「インターハイ直前号特集アンケート」には、なぜか毎年質問が異なる項目が一項目だけある。昨年は『好きな補給食』だった。今年の質問は『好きな色』だ。
注文が届くまでの短い間に記入を終わらせる為、4人は黙々とアンケートを埋める。最初に手が止まり、イライラと声を上げたのは荒北だった。
「ダ―ッ!なんでこんなコトいちいち書かなきゃならねーんだヨ!」
 荒北のアンケートは「好きな又は目標とするロードレース選手」以降が空欄のままで止まっている。
「うるさいぞ荒北。黙ってさっさと記入しろ」
 吠える荒北に東堂が咬みついた。
「お前は書けたのかヨ!カチューシャ!」
「オレはもう書き上げた!それからカチューシャ言うな!」
「ヒュウ!早いね、尽八!」
「スプリンターはスピード自慢なんだろう?お前は書けたのか?新開」
「オメさんほどのスピードは出なかったけど、オレもちょうど今書きあがったところだよ」
「…ム、オレもだ」
「エェ―ッ!福ちゃんも書きあがっちゃったのぉ!?」
「大丈夫だ荒北、お前なら書ける」
「…チェッ、オレだけかヨ」
「靖友、特にないなら『なし』でいいんだぜ?毎年先輩も空欄はそうしているし」
「後ろ半分が全然埋まんねーんだヨ!いくらなんでもそれじゃこっぱずかしいダロ!?」
「…荒北よ、いくらなんでも『好きな色』ぐらいは埋まるだろう?」
 東堂がやれやれ、とため息をつく。
「おめーら、『好きな色』ってなんて書いたヨ?」
「金だ」
「うーん、黒?」
「銀鼠だな」
「銀鼠ってなんだヨ!?」
「荒北知らんのか?銀鼠とはな…「もういいヨ!」」
「靖友が好きな色はアレだろ?」
 イライラと東堂をさえぎる荒北に、新開は、窓のすぐ外の駐輪場に厳重にチェーンを掛けられたビアンキに視線を移す。
「…」
 荒北は新開の視線の先を追うと、慌ててビアンキから、そして3人から顔をそむけ、
「うぜッ」
 と、通路のさらに先の観葉植物の方を見つめ、つぶやく。
「荒北、あの色は『碧空色(チェレステ)』だ」
 福富が、新開の視線の先を見つめながら言った。
「気に入ってくれているのなら『チェレステ』と書けばいい」
「…福ちゃん」
 荒北は福富の声に振り返る。そんな荒北の様子に、東堂はフッっと笑うと腕を組み、新開は頬杖をついて嬉しそうに口の端を上げる。
「荒北、碧空までオレたちチームを引けるお前は、強い」
 福富はいつもの揺らがぬ表情で、荒北に言った。

 7月下旬。
 京都の蒸し暑い夏はもう始まっている。
 部室で御堂筋は『月刊サイクリング毎朝』の最新号をパラパラとめくった。「インターハイ直前号」の各校出場選手紹介記事を見るともなしに見る。各校の情報はザクに調べさせているのでこのような当たり障りのない情報など御堂筋には不要だが、京伏も取材を受けたので一応確認である。御堂筋はあのアンケートに当たり障りのない回答しか記していない。もちろんレギュラーメンバーにも記させていない。挑発パフォーマンスは開会式まで当然秘密である。
 つまらなさそうにページをめくる御堂筋の手が止まる。千葉県代表総北高校の6人目、大きな丸メガネの選手紹介。『好きな色:黄色』。
「…かぶっとる。キモッ。キモイわ」

 8月下旬。
 残暑厳しい千葉県の夜。
 自室で、今日は後はもう寝るだけの坂道は、未だあの夏の3日間を夢のように思う。
『月刊サイクリング毎朝』の最新号は「インターハイ総集編」で、総合優勝の総北高校と共に、個人総合優勝の坂道自身も大きく記事になっている。
 しかし坂道が手に取ったのは、「インターハイ直前号」の先月号である。
 インターハイでは色々なことがあった。たくさんの人に出会った。可能性、そしてペダルを回す先に広がっていた世界…
 ついこの前のことなのに懐かしい。青い、青い空に彩られた3日間。
 各校の選手、一人一人の紹介記事を指でなぞるように読む。
「鳴子くんが『赤』、今泉くんが『青』、ボクが『黄色』。…信号機だよね」
 特集の最終ページ「学連選抜」までなぞり終え、坂道はもう一度、慈しむように特集記事の始めに戻る。
 ゼッケン番号順なので、最初に紹介されているのは箱根学園のメンバー紹介記事。
「福富さんが『金』、荒北さんが『チェレステ』…さっきも思ったけど、どんな色だろう?東堂さんが『銀鼠』…これもどんな色だろう?アニメの設定資料で指定されている色名ならわかるけど、おふたりの『好きな色』って、色指定で見たことない色の名前だからなあ…。新開さんは『黒』、泉田さんが『青』、真波くんも『青』…真波くんの青は、山頂のさらに上の『空の青』だ、たぶん…」
 真波との出会いから3日目のゴールまでの思い出を反芻し、坂道の顔はさらにほころぶ。
 ページをめくると、9校目が京都伏見。
「御堂筋くんは “王立軍”の“人型兵器”2号機が好きって言ってたから、絶対『真紅』が好きだと思ったのに。…今度黄マニュの話、してみようかな」
 来年のインターハイでも会えたら、また真波くんと、御堂筋くんと、出し尽くすんだ。

 年が明けて、3月初旬。
 この日は青八木の高校最後の美術の時間だった。3年生は芸術科目がない為、この絵が青八木の美術の時間の最後の作品となる。傍らには『月刊サイクリング毎朝』の「インターハイ直前号」が開かれている。
 青八木は、絵筆を置いた。
「先生、出来ました」
 美術教師に手渡したのは、スーラのような点描で描かれた「ロードの選手がゴールゲートへ向け疾走する後ろ姿」だった。
「佳い絵だ、青八木」
 美術教師の言葉に青八木は静かに破顔する。
「でも点描は大変だっただろう?日曜にも描いていたじゃないか。どうして点描にしたんだい?」
「今年のインターハイ出場選手全員の『好きな色』を使って、点描で描きました」
 美術教師は、インターハイ後から青八木が自転車競技部で副主将を務めていることを知っている。
「お前の夢だな、青八木」
「ゴールは、オレたちの…オレたち全員の夢です」
 青八木の絵を持つ手をいっぱいに伸ばし、点描画を見つめた美術教師は
「ああ、期待してるよ」
 と、眩しそうに笑った。

E04『ボクの好きな色』の作者は誰でしょう?

  • すみっこ (33%, 4 Votes)
  • トリ (25%, 3 Votes)
  • 秋燈 (17%, 2 Votes)
  • 茜子 (17%, 2 Votes)
  • 病ました (8%, 1 Votes)
  • お粉 (0%, 0 Votes)
  • ちあき (0%, 0 Votes)
  • しとらぽ (0%, 0 Votes)

票数: 12

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