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友達は選んだ方がいい、という有り難い忠告をしてくれたのは、自分を呼び止め引き留めたどこかで見たような女子だった。
「寒咲さんって、男子ばかりの部のマネージャーでチヤホヤされてるってウワサなの!」
「あんな子と付き合ってたら、橘さんまでみんなから悪く言われちゃう!」
「あの今泉くんっていうカッコイイ男子にもしつこくまとわりついてるみたいだし!」
そう口々にのたまう三人の女生徒達に、校舎一階の渡り廊下でつかまった橘綾は、はぁ、としか返すことができなかった。
事実、はぁ、だから何なの? という感想しか湧いて出てこない。異性の目に留まり、ともすれば同性の鼻につく、そんないかにも女子らしい外見の反面中身は大の自転車オタクで、という友人・寒咲幹について、ことにその同性連中がこうして綾にやっかみをぶつけてくることは大なり小なり昔からあった。見るからに息巻いた彼女らは、しかしその激情のまま当人に直接、ではなく、大抵の場合その友人の綾に対してアドバイスを寄越してくるのである。無論、良い気はしない。けれどこの手の相手に、同様に気色ばんで言い返してもどうしようもないのだということは、綾はこれまでの経験上嫌と言うほど解っていた。こういう時に毎度ダシにされてしまう、あのイケメンも可哀想だと同情する余裕まで綾にはあったのだ。
渡り廊下のザラついたコンクリを、綾はスニーカーの底でざり、となじる。彼女らも各々ローファー等の外履きの靴を履いていて、普段、テニス部の練習帰りにこの付近を通り掛かる綾をわざわざ待ち構えていたのかもしれなかった。こんな話をするために、だ。呆れていっそ感心してしまう、自分達の都合の良いように脚色された『ウワサ』を、よりにもよって中学からの付き合いの綾に報告してくるなんて、彼女達は本当に何も知らないのだろう。綾のことはもちろん幹のことも、何も。
「今日だって私、寒咲さんに雑用押し付けられたんだから!」
綾はすっかり醒めてしまっていた。そして果たしてそのお陰なのか、冷静に思考を巡らせてもいた。それは彼女らの内の一人にどこか見覚えがあったからだ、いや、見覚えと言うより話に聞いた覚え、だったか。
だが、綾がその何らかに思い当たるより早く、盛大に声で、否、体ごとでその場に割って入る者がいた。
「お前らぁああ!!」
ざざーッ、と上履きでスライディングし、見事に綾と彼女達の間に割り込んだ自転車競技部の部員、鳴子章吉は、その相手らに真っ向から食ってかかる。
「さっきから黙って聞いとれば、何を好き勝手言うとんねん!! 寒咲が男目当てで自転車競技部におるやて!? アホか!! そない甘ちゃんな部やないし、ロードに関する知識やったらウチの部でもアイツの右に出るモンおらへんわい!」
威勢の良い鳴子にまくし立てられ、女生徒達は途端にひるんだようだった。詰め寄ろうとする彼と距離を置くべく、じりじりと後ずさりしてゆく。
綾は、あーあ、と思う。
「ウチのマネージャーとその親友のこと、これ以上悪く言うんやったらこの鳴子章吉が許さんで!! わかったか!!」
イヤ私は何も言われてないけど別に、と綾は胸中でそうツッコんだが彼の耳には届かないだろう。鳴子のそのタンカを最後に、行こ、うんと彼女達は渡り廊下から飛び出し、植木やベンチのある中庭の方へばたばたと逃げて行った。それをすかさず追おうとする鳴子は、綾と同様部活帰りなのか制服姿ではあったが何故か外履きの靴は履いていない。上履きのままじゃないと綾は思ったが、やはりこれも、言ったところで聞きはしないだろう。
すると、鳴子が唐突に綾の方を振り向いた。
「それとなぁ!」
「はっ?」
虚を突かれた綾は思わず返事をしてしまう。赤い頭の、自分の友人も所属している自転車競技部の男子部員は、綾をまっすぐに見据えてこう言った。
「親友のお前が、あっこまで言われて言い返さんかったんは、なんか考えがあるからやろ。そんならそうと、寒咲にちゃんと言うとけや!」
言うや否や、鳴子はやはり上履きのまま待たんかいコラー! と賑やかしく中庭を駆けて行った。目まぐるしいこの展開に、その場に残された綾はぽかんとしてその背を見送るだけである。
「何なの、一体……」
「綾ちゃん」
背後から聞こえたその声に、げ、と綾は顔をしかめた。振り向いた先には、少し眉を下げて笑う友人。こちらに歩み寄って来る話の当人は、どうやらこの一部始終を目撃していたらしい。
自分の前まで来て立ち止まり、幹がこちらを見つめてくる。綾は少々視線をさまよわせ、それから、はーっと息を吐いてから口を開いた。
「今、帰り?」
「うん。でもその前に、鳴子くんに古典のノートを貸してあげようと思って、教室まで一緒に取りに行ってたの。古典なら今泉くんが得意だから、私じゃなくてそっちに借りたらって言ったんだけど」
「ふーん。そうなの」
「うん。綾ちゃん」
す、っと幹が綾の手を手で取る。
「……私が言いたかったこと、アイツに全部取られたんだけど」
「あはは、さすが鳴子くんだよね。でも綾ちゃん。綾ちゃんはあの子達の中に、私と同じ委員会の子がいるってこと、知ってたんでしょ?」
両手で包み込むようにした綾の手を、きゅっと握って幹は笑う。
「だから、最初から強く言い返したりして、後で余計に波風立たないように気を遣ってくれたんだよね」
「同じ委員会っていうのは、今言われて思い出したんだけどね。……雑用押し付けられた、なんて言ってたけどウソでしょ? あんなの」
「うーん、確かに当番を代わってほしい、ってお願いはしたんだけど……今日はいつもより早く、部活に行かなきゃいけなかったから。その時は、その子もいいよって言ってくれたんだけどね……」
校内で活躍し、実績のある部の部員ほどその活動に重きが置かれるのは言うまでもない。そしてそれにより、委員会やクラスの係の仕事や当番といったものについて、自身へ、あるいは他の生徒へそのしわ寄せがいくこともままあるのだということは綾もよく知るところだった。
総北の自転車競技部は強豪であるし、マネージャーである幹も充分に多忙だと言える活動をしている。それでも、だからと言ってあの女子が言っていたようなことはないだろう。あるはずがない、綾はもう一度あーあ、と思う。何の隔たりも憚りもなく、友達を庇って立ち向かえるあの男子が今だけは少し羨ましい。寒咲幹を、自転車に一途な、明るくて優しいこの子のことを知ってさえいれば、人をねたむ気持ちなんかどうでもよくなるに違いないのに。
「あの子達とも委員会とかで、これからも付き合っていくことになると思うから……だから、鳴子くんがああやって言ってくれたのも、綾ちゃんが言い返さないでいてくれたのも、私、おんなじくらい嬉しかったよ」
こちらの掌にぬくもりを残し、そっと彼女の手が離れる。幹が、くすんと小さく鼻をすすった。耳元で聞こえたその所作も、ふわりと綾を包み込む両腕の柔らかな感触も、まったく、確かに同性からすればいっそ憎たらしいほどではあるけれど。
「ありがとう、綾ちゃん」
「……やめてよ、今更。照れるじゃん」
「ふふ、鳴子くんにも後でお礼言わなきゃね。綾ちゃん一緒に行ってくれる?」
「なんで私が!」
朱に交われば何とやら。綾は内心一人ごちつつ、文字通り赤い顔をしながら親友の背中をぱしんと叩いた。
E03『朱から赤へ』の作者は誰でしょう?
- 病ました (21%, 3 Votes)
- トリ (21%, 3 Votes)
- しとらぽ (14%, 2 Votes)
- すみっこ (14%, 2 Votes)
- 秋燈 (7%, 1 Votes)
- お粉 (7%, 1 Votes)
- ちあき (7%, 1 Votes)
- 茜子 (7%, 1 Votes)
票数: 14

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