D05『クライマーを一人ください』

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二人とも帰りの電車に揺られて、すごく眠くなっていた。
輪行バックを抱えているので車両の後ろを二人で占領しているようなもので、迷惑そうな視線は受けるものの、東堂の笑みでほぼ黙認されていた。
俺は吊革に東堂はその前の出口横のステンレスの棒に捕まったまま、無言でこちらを見ていた。たぶん東堂も眠くなっていたのだろう。
瞼が閉じかけているように見える。
がたごとと揺れる車内で東堂の顔を見つめながら、ほんとに顔良いッショ。と巻島は思っていた。
顔だけではなく、学校の成績も運動神経もいいらしい。もてて仕方がないだろう。と勝手に推測する。あ、推測じゃなく、本当にもてている。ファンクラブがあるくらいだから、相当ッショ。
でも、こいつは今、女の子よりも、俺と走ることに夢中なので練習のない休みの日はほとんど俺と山を登っている。
二人で登るときだけはファンクラブの子もついてこない。

今日は東堂をつけてきて、山に来たつわものがいた。
山頂にいた数名の女の子にはっきりと告げていた。
「個人練習は巻島との勝負のためにある。だが、俺の方からお願いして相手をしてもらっているので、巻島に迷惑が掛かるようなことは避けたいのだ。応援はレースの時だけにしてほしい」
「そんなぁ」と口々に言う。その様子を俺はぼんやりと少し離れたところに座って、見ていた。一人など、敵意を込めてにらみつけてくる。
そんな顔で見られても、どう対処していいのかわからなくて、ポリポリと頬をかき、いつも困っているような眉をさらに寄せる。
「あんな人よりよっぽど東堂君の方が早いでしょ」
その女の子の一言で、東堂の表情が一変した。
「巻ちゃん。いや。巻島裕介の走りを一度でも見たことがあるのなら、そういう事は言ってほしくない」
冷たく言い放つ東堂に女の子たちは息をのむ。
「君たちは今の彼との勝負を見ていなかったようだね」
確かに今日は俺が勝った。数秒の差だけれど早く山頂についた。
けど、それを女の子に見極めろって、何酷なこと言ってんっショ。
「わがライバル巻島裕介の走りを馬鹿にするものは、俺のファンであってほしくないのだが」
え、なんだかえらく物騒なことになってきちまったな。
女の子の事は俺に聞け。と言うくせに女心はわからないってか。
俺をかばってくれるのはいいんだが、この雰囲気どうするんっショ。
東堂を怒らせたと思った女の子達はここから分かるくらいに表情を硬くしている。
まったくあんなにファンサービスを欠かさない男が何を言ってるんだ。
「巻島裕介は俺の唯一のライバルだ。この俺が山で初めて背中を見た男だからな」
本気で思っているのかよ。本当にきざな奴ッショ。呆れるね。
でも、なんだかくすぐったいッショ。
「ご、ごめんなさい」
女の子が謝ると、東堂はようやく表情を緩めた。
「わかってくれればいいのだよ」
いつもの東堂に戻ったのを見ると、女の子たちはホッと緊張していたのか組んでいた手をほどいた。
「この時だけは巻ちゃんと山の事だけを考えていたいから。集中させてほしいのだよ」
もう一度女の子達に言った。
東堂は女の子に背を向けて、こちらにやってきた。
預かっていたリドレーを渡すと、東堂はにっと笑った。
「もてる男はつらいな」
「お前、その自信どこから来るンッショ」
東堂に呆れた目を向ける。
「巻ちゃん。俺がもてるのは事実だ。これでこれからはお前と二人、存分に勝負ができる」
「俺は女の子いた方が張り合いあっていいッショ」
にやりと笑って、ちゃちゃを入れる。
「なんだと。巻ちゃんは俺の背中だけ見ていればいいのだよ」
東堂の慌てた様子を見ながら、よっと立ち上がった。
「背中見るなんて、冗談じゃねーッショ」
尻についた砂を払い、汗を拭いたハンドタオルを背中のポケットに入れる。
「クハッ。じゃあ、もうひと勝負しようぜ。東堂」
「もちろんだ。さあ、下まで行こう」
東堂はリドレーに、俺はタイムに同時にまたがる。
女の子達の横をすり抜けて、山を下りた。
また勝負するために。一滴を絞り切る走りをしたくて。
その勝負は東堂が勝った。

トータルで俺が勝ったので、今日は俺の勝ちと言う事になった。
コンビニでアイスを買わせ、駅前のベンチで二人並んで食べた。
その後、汗でジャージはべたべた。着替えをしようにも駅内のトイレくらいしかない。
仕方がないので、建物の陰で汗を拭きとり、Tシャツに着替え、下はサイクルジャージの上に少し大きめの運動用のジャージをはいた。
「次は俺が勝つから、その時はドリンクがいいな」
「ちっ、何言ってンッショ。次も俺だ」
今年の夏。俺たちには忘れられない出来事があった。
金城が福富にジャージを引っ張られて落車し怪我をした。報告すれば福富は処分されるだろう。
けれど金城はそれをしなかった。どんなスポーツでも相手に勝ちたいという気持ちは純粋だから。と。
一年生ででていた奴も金城の分までと気負った結果、もっとひどい怪我をした。
今年の総北は正直ぼろぼろだった。
俺自身は東堂がメンバーに選ばれていなかったから勝負できなかった、と悔やむことはなかった。
でも、山を登りながらここに東堂がいたらどんなに楽しかっただろう。
チームを引いている間も、ここまでは普通に、ここから集団から抜け出して、ここで二人だけになって勝負をかける。
息が止まりそうなくらい、足の筋肉がぴくぴくなるくらい、必死になって駆け上がる。
そんなことばかりを考えていた。
こんなに必死に誰かと競う事が出来るなんて昔の俺には想像できなかった。
もしこんな未来があるとわかっていたら、兄貴からの渡英の誘いにも乗らなかったのに。
「なあ、東堂」俺がいなくなったら、お前は誰と山を登るんッショ?
「なんだね」
見つめてくる東堂の澄んだ瞳に思わず笑みが出た。
いや。こんな事今考えたってしょうがない。
来年までまだ一年ある。三年の夏のインターハイはきっと勝負が出来るはずだ。
「いや、なんでもないッショ。今度のレースは俺が獲るからな」
「それは無理だな。次も俺が獲るのだよ。巻ちゃんは俺の背中を見ていろ」
着替えを済ませて駅の中に入った。
電車を待つ間、疲れが出て二人とも無口になった。
蝉のなき声だけがワシャワシャと聞こえてくる。

東堂はきっと、俺が思っているのと同じくらい山を登るのを楽しみにしているだろう。
俺だって一緒に登る山は楽しくて仕方がない。
一回一回の勝負に血が滾り、苦しくて仕方がないのにそれでも前にペダルを漕ぐ。
誰もが経験できる勝負じゃない。俺には東堂がいたから、お前が俺よりも先に行こうと必死になる、だから前に行ける。
心臓が破裂しそうなくらい激しくペダルを回す。
その先にお前がいるから、俺も追い越そうと足掻くんショ。

あと、一年。
今の総北高校にクライマーは俺一人だ。
誰かクライマーが入るか転向させないとインターハイで勝負は出来ねぇッショ。
最後の勝負に間に合えばいいけど。
俺たちは早くなりすぎてお互いだけしか見えなくなった。
周りにいる奴らは風景にしか見えないくらいだ。
極色彩色の俺がいなくなったら、東堂は色が抜け落ちた味気ない世界を見ながら登らなくちゃならねぇ。
だから、山神様。それまでに総北にクライマーが一人ほしいッショ。
なるべくなら、こいつに色を与えてやれるような。そんなクライマーを一人ください。
電車の中からドアの窓ガラスの外に流れていく紅や黄に染まる山を見ながら、切実に願った。

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