C06『奇跡の色』

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「色即是空、空即是色…ってンだよ、これ…」
センター試験を一か月前に控えたある日。校内にある図書館で荒北靖友は、唸るように呟いた。
部活を引退した後、放課後はこうして図書館で勉強するのが日課になっている。一人で居ることが多いが、今日は約束したわけでもないのに箱根学園自転車競技部の一員であった仲間たち、福富、新開、東堂の三人も共に椅子を並べていた。

辞書にあるその言葉の意味を何回読みこんでも、いまいち理解ができないので、とりあえずこの言葉をそのまま暗記でもしておこうかと、口に出してみることにする。
「色即是…空…?」
「――難しい言葉だな」
隣に座る福冨が声をかける。東堂と新開もいつの間にか視線をこちらに向けていた。
「…ネ。わけわかんねー」
二人で正面に座る新開と東堂を見やったが、同じように首を傾げられる。
「誰もわかんねーのォ?大丈夫かヨ、箱学チャリ部」
自分のことは棚に上げて、荒北はニヤリと笑う。
「いや、意味は分かるんだが…説明するのが難しいんだ」
福富は顎に手を当て、眉間に皺を寄せている。
「とりあえず辞書に書いてあることをそのまま言えば『この世にある全てのものは因と縁によって存在しているだけで、その本質は空である』『また、その空がそのままこの世に存在する全てのものの姿であるということ』だそうだ」
荒北の手元から辞書を奪った東堂が、連なる文字を朗読してみせた。
「それは何度も読んだんだって言ってんだろ、バカ東堂」
「何!?俺はとりあえずと言っただろうが!とりあえずと!」
「だーかーらァ!その意味を教えろっつってんだろーが!」
「…二人とも、ここは図書館だ。静かにしろ」
ガタリと同時に立ち上がった荒北と東堂に、福富はピシャリと注意する。
黙って大人しく座った二人は少々不貞腐れてしまう。まるで子どもだな、と新開は楽しそうに笑った。
「えーっと…色とか空とか…なんだっけ、ああ…即、是?とかの意味は?」
ゴホンと咳をして、荒北が話を戻しにかかる。
「色と言うのは宇宙のすべての形ある物質のことで、空と言うのは実体がなく空虚であるということだな」
福富が自分の辞書を見ながら視線を上げずに答えた。
「即是…って言うのは、二つのものが全く一体不二である…って書いてあるな」
その辞書を覗く新開が続きを読み始める。
「一体不二ってなんだよ…」
どんどん意味不明な言語が溢れてくるので、荒北の頭は少々パニックだ。
「ええっとな…一体不二ってのは…二つあるものだけど、その二つは一つのくくりで考えろってことらしい」
「…色と空をセットで考えろっつうことォ?」
新開に向けて首を傾げると、同じ様に首を傾げられて途方に暮れる。

「もし『色即是空、空即是色』が問題に出てくるとすれば…この言葉の意味を、例文を作って簡潔に説明せよ、だろうか」
「まあそうだろうな。…となると、難しいな」
福冨と東堂の推測通りならば、本当に厄介だと荒北は思った。
いつの間にか全員、自分の参考書とノ―トは放置して荒北のノ―トに書かれたその文字に釘付けになっている。
「まずだ。色っつうのが形あるもので、それが存在してんのは因と縁のおかげってことで合ってる?」
「因って言うのは要するに…原因とか要因ってことだよな、寿一?」
「そうだな。そして、『色』が存在するのは『空』があるから。『空』ってのは実体がない、形がないもの」
「…その二つをセットで考えろっつうことだろ?そんで…?」
思わず全員が黙り込んでしまった。それくらいには全員混乱しているようだ。
「…載ってる意味の前半はまだ分かるんだけど、『空がそのままこの世に存在する全てのものの姿である』って言うのがワカンネ」
それに加えて新たな疑問を提示したので、益々4人とも頭を抱えてしまった。

「………意味分かる奴、挙手」
しばらくの沈黙の後の荒北の提案に、誰ひとり反応する者は残念ながら現れない。
「そもそもさぁ…なんで形があるモンが、原因とか縁のおかげなのヨ」
机に突っ伏した荒北は、半ば諦めモードだ。荒北の後頭部に、東堂が投げかける。
「その形のあるものが、形のないものと同一で考えなければならないと言うのも難しい問題だ」

「…あ。俺、わかった気がする」
大変失礼だが、荒北の中で自分以外では一番理解していなさそうな新開がポツリと呟いた。
「たとえば。靖友」
「…ハ?俺ェ?」
ビシっと指を刺されたと思うと、大きく頷かれる。
「靖友は寿一と出会って、ロードを始めた。それが縁」
「あ。ここで言う、形あるもの『色』ってのは『現在の荒北靖友』な」
「…なるほどな、隼人。とても分かりやすい」
バシバシと新開の肩を叩き、楽しそうに笑うと続けて東堂が言う。
「あとは『空』だな。これも荒北で例えると…」
「だからァ…なんで俺で例えるんだヨ、バカチューシャ」
「――『空」は俺たちの絆、だろうか」
それまで黙って考え込んでいた福富が全員の顔を順番に見つめ、はっきりとした声色で言った。
「うん、そうだな寿一」
「形のないもの…俺たちの絆…友情、信頼…とも言えるだろうか」
大きく頷いた新開と、福富の言葉に恥ずかしくなる台詞をあっさりと付け加える東堂。

「さすがフク。今ので俺は完璧にこの言葉の意味を理解したぞ」
アハハ!と声を大にして笑う東堂は、先ほど福冨に「静かにしろ」と叱られたことをすっかり忘れてしまっているらしい。
「――さて、これまでの俺たちの意見を総合するとだ。荒北くん。答えは?」
新開が身を乗り出して、ワクワクしながら尋ねてくる。
「……総合、するとだァ…?」
「この言葉の意味を知りたがったのはお前だ、荒北。お前が答えを出すべきだ」
はっきりと福富にそう言われてしまっては、ぐうの音も出ない。
数秒ぐっと唇を噛んでいた荒北だったが、しばらくして観念したのか顔を赤らめつつも素直に口を開いた。

「……要するに…『色』の俺がここに居るのは、福チャンとか…東堂、新開…自転車部の…その、なんだ…仲間と会えた『縁』のおかげ…ってことだろ…?そんで…今の俺があるのはお前たちとの絆とか、友情の『空』があってこそ、って…意味…で、あってるかよ、コラ」
顔を真っ赤にしてなんとか最後まで言い切った荒北を、三人はとても嬉しそうに見つめている。柄にもないことをつらつらと述べてしまい、なんだかとても落ち着かなくてソワソワしてしまう荒北だ。
「今のお前があるのは荒北の『頑張り』と『努力』も要因だな」
「それも付け加えたらいいんじゃないか?」
福冨が荒北の羞恥に拍車をかける。新開も同意して、東堂も大きく頷いていた。
3対1のいじめられっ子の気分だ。荒北は唇を尖らせ、なんとかして反撃しようと試みる。
「…そんで、もしこれが本当に問題で出たとして、だ。お前らはなんて答えるわけェ?今、ここでお前らも解答しろや」
3人ともじっと押し黙る。互いに顔を見合わせて、それから。
「荒北それは――俺はとても恥ずかしいから嫌だ!」
ドーンと力いっぱい、正々堂々と。福冨寿一の大きな声が図書館に響き渡った。
「オーイ、福チャ―ン…図書館では静かにネ…」
東堂と新開が、腹を抱えて笑っていた。荒北は、仕方ねぇなと口元を綻ばせる。

何も色の無かった自分自身を鮮やかに彩ってくれたのは、真っ青な空のように大きく無限に広がる仲間たちとの深い絆だ。
はにかんだ笑顔を浮かべた荒北靖友はそれから、小さな声で「あんがとネ」と大切な友人たちに告げたのだった。

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