C05『星に願いを』

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 秋の長雨とはよく言ったもので、インターハイが終わって季節が進んだ総北高校自転車競技部の部室にはローラー音が響き渡っている。濡れはじめの路面は滑って危ないこと、学校の周辺が坂であること、中間テストを前に風邪などひけないことなどから、雨の日は体幹トレーニング班とローラー班に分かれて器具を使うのが定番だった。
 引退を前にした手嶋は、引継資料をまとめながら後輩が奏でる音にあわせて即興歌を口ずさむ。受験勉強に身を入れなければと思いつつ、熱い夏の日の名残りが足を部室に向けるのだった。
 その手嶋から主将を継ぐ今泉は夏の終わりに古くなったモニターをひとつ持ち込んだ。研究用に使えるんじゃないかと思って、そう言った今泉の口元は緩んでいて、インハイコースをみんなで見た時のことを思い出しているに違いなかった。そうすればいつの間にかDVDプレーヤーが設置され、撮り貯めて見れていないのだと海外ロードレースのDVDが山と積まれた。今日もローラー班の視線の先ではツール・ド・フランスの向日葵が揺れている。

 「30秒インターバル!」
 タイムキーパーの声にスプリンターがケイデンスを上げる。全力走に続けて同じだけペースを落としてまた全力、それを10セット終える頃には吹き出した汗と乱れた呼吸に小休止を取る。もちろん足はまわしたままで。タオルで顔を拭えば、ツールの映像は表彰式へと移っていた。
 誰ともなく、夏の日を思い出す。ツールの表彰台とは比べ物にならないけれど、何よりも価値のあるものを彼らは知っていた。

 「鳴子」と手嶋が声を掛けた。赤い頭が上げられたのを見て手嶋は言葉を続ける。

 「7月のクリスマス、楽しみにしてる」

 最強スプリンターの証、マイヨ・ヴェール。グリーンジャージとも呼ばれるそれはまさに緑で、鳴子の赤い頭によく映えるだろう。
 キョトンとした鳴子が意味を悟ってニヤリとする。任しとき!と言わんばかりのその顔に手嶋はニッと笑ってウィンクしてみせた。けれどやられるばかりの後輩ではない。

 「ほな、手嶋さんがシャンゼリゼに来てくれたらツリーの完成やな」

 おっきなお星さま飾ってや!

 手嶋は思わず胸の星を握りしめた。鳴子だけではない。今泉も小野田も手嶋を見て微笑んでいた。ひとつ下の後輩たちはいつか遠い所へ行ってしまうのだと思っていたけれど、その距離は案外近いのかもしれない。

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