【F04】戦士の帰還

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 いつも勝手なんだから。
 怒ったように呟いて彼女は遠くを見つめる。いつものようにゴールゲート前に陣取ってはみたものの、歓声はまだ遠く下の方から聞こえてきていた。周りで同じように待っている人々が何と言っているのかは分からないけれど、時々聞こえる「マナミ」「スカイプリンス」という単語にびくりと身体を震わせてはきょろきょろと周りを見てしまう。
「急に電話してきたかと思えば、『見に来てよ委員長、オレ次のレースで引退するから』なんてとんでもないこと言いだして……本当に、バカじゃないの?」
 俯いて溜息を一つ吐き出すと、彼女は再び道の先を見つめた。先程より少し歓声は近づいてきているけれど、まだまだ姿の見える距離ではなさそうだった。幼い頃から隣同士の家で暮らし、一緒に育ってきた幼馴染はいつの間にか日本を飛び出して世界を駆け巡るロードレーサーとなり――そして今、その選手生活に幕を下ろそうとしている。
「でも、これでやっと空から降りてくるのかしら」
 悩んで苦しんでとにかく走り続けたあの箱根の山にいたころにつけられた「天空の羽根王子」なんて御大層な二つ名は今もまだ健在で。しかもそれが世界中で浸透しているあたり不思議ちゃんなのはあの頃から変わっていないのだろう。一度山を登り始めたが最後、誰よりも速く軽やかに頂上を目指して空を飛ぶように駆け上がっていくその姿も。
 今日はよく晴れていて時々風も吹いている。きっと凄く楽しそうな顔をして羽根を生やして飛んでくるに違いない、と青く晴れた空を見上げた時、周囲の人垣が一気にざわついた。
 気がつくと歓声はだいぶ近くで聞こえるようになっていて、一気に観客たちのボルテージが上昇する。
「マナミ!」
「スカイプリンス!」
 いろんな国の言葉で口々に叫ばれる名前に、彼女は少し目を潤ませた。
 いつもふわふわしていて、どこかに飛んで行ってしまいそうだった幼馴染が、世界中の人々に迎えられてようやく地上に帰ってくるのだ。
「来た!」
 大歓声がゴールゲート付近を包み込む。先頭争いをする二台が目に入った瞬間、彼女は信じられないくらい大きな声で叫んでいた。
「勝って、山岳! こんな遠くまで呼んでおいて負けたら怒るから!!」
 ゴールスプリント中の選手に沿道の声がちゃんと聞き取れるなんて思わない。けれど、彼女の叫び声が響いた瞬間。
 確かに真波山岳は笑っていた。
 そのまま、最後の最後まで競り合うことになった宿命のライバル小野田坂道に僅かに先んじてゴールラインを越え――羽ばたくように両手を大きく広げたままバイクごと倒れこみ、地面に身体が投げ出されたその瞬間。背中に生えていた大きな翼が風に舞って消えていく幻影が見えた気がした。
「山岳!」
「……委員長、今日はオレ怒られなくてすむね……勝ったよ」
 チームクルーに助け起こされながら、駆け寄る彼女に手を伸ばして笑うその姿は、まるであのインターハイを戦ったあの夏に戻ったかのようで。
 万雷の拍手と歓声、そして彼の翼を惜しむ声に包まれながら、真波山岳は天空の戦場から地上へと帰還した。
 
(月刊サイクルメイト12月号「引退特集 真波山岳」より抜粋 寄稿:サイクルジャーナリスト黒田雪成)

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