【D05】ふたりは同じ空を見ている

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辻明久と水田信行は京都伏見高等学校自転車競技部の部員である。二人の共通点はそれだけであり、外見、性格ともに正反対である。ほとんど一致しない。そして当人同士がそれを面白がっている節があった。
「辻さんとオレって、身長差が結構ありますよね?」
水田は辻を見上げながら問いかける。
「せやな、結構あるな」
「これだけあると、見える景色もちゃうと思いません?」
そこまで変わるとは思えず、水田の言い分に辻は同意しかねる。しかし辻はニヤリと笑った。
「今日の間違い探しのお題はそれなん?」
「そうです!」
間違い探しという言葉に、二人は顔を見合わせて笑い合う。
この間違い探しとは、二人の間で出来た遊びのことである。あまりに共通点がないため、どのくらい価値観が異なるのか確認しあって面白がっているのだ。間違い探しというよりも共通点探しと言った方が正しいだろう。だが二人はこの名称が気に入っているので特に変えるつもりはなかった。
「二人の見えている景色はどんくらいちゃうのか。その検証を今から行いたいと思います」
「おう」
「まずオレと辻さんが同じ場所に立ちます。そしてスマホのカメラを起動して、自分の目線と同じ高さで構えます」
水田は説明をしながら、スマホのカメラを起動して、目と同じ位置にスマホを構えた。辻も真似をして同じ動作をする。
「そして同じ景色の写真を撮るんです」
水田はそう言って、近くの木を撮った。辻も同じように木の写真を撮る。
「撮った写真を見比べて、二人が見ている景色はどう異なるのか検証しましょう」
水田はスマホを差し出して、先程撮った木の写真を見せてきた。辻も木の写真をスマホに表示させて水田に見せる。
「あんま変わらへんな」
「いや、雰囲気とか何かちゃいますよ?」
「そうか?」
「やっぱ視点の高さが変わると、写真の印象も変わりますね」
「そうなんか?」
ここでも二人の価値観の違いが浮き彫りとなる。しかしこんなものは二人とも慣れていることだ。
「検証なんて数をこなしてなんぼや。どんどん撮ってくで」
「はい!」
こうして辻と水田は色んな写真を撮るべく、学校の中を歩き回ったのだ。他の生徒に怪しまれないように、そして教師に見つからないように、二人はこっそりと写真を撮っていく。
まずは長く続いていく廊下をパシャリ。
「辻さんの視線だとこないな風に見えるんですね」
「どっちもそこまで変わらんと思うけど」
次は教室の全体を、黒板や机なども写るようにパシャリ。
「ほら、やっぱりちゃいますよ」
「どうちゃうの?」
今度は階段をパシャリ。
「ほら、中心にくる段差が、二人の写真でちゃうでしょ?」
「せやな、言われてみれば…。んん?」
辻はさっきからずっと首を傾げるばかりだ。水田は呆れて苦笑する。
「辻さん、間違い探しとかそないなの苦手でしょ?」
「めっちゃ苦手や」
「オレはめっちゃ得意です。また二人のちゃうとこ見つけましたね?」
「ほんまにな。間違い探しなんて言うけど、探すまでもなく見つかるな」
辻の言葉に水田は可笑しそうに笑う。二人がこの遊びを間違い探しと呼ぶのは、このお約束の決まり文句が好きだったからだ。探すまでもなく見つかる間違い探し。矛盾だらけで笑うしかない。
「次は何処を撮ります?」
「あれやな、上にでも行こか」
辻と水田は階段を上っていく。窓や消火器など、変哲もない物を撮っては、同じような会話を繰り返す。どんどん上へ上っていき、二人は屋上へ続くドアの前まで辿り着いた。
「屋上に何かありますかね?」
「何もあらへんかもな。でも折角や、行くで」
辻がドアを押せば、鉄製のドアが音をたててゆっくりと開く。ドアの向こうには、綺麗な青空が広がっていて、眩しさから辻は目を細めた。屋上に出て、辻と水田は辺りを見渡す。
「何も撮れそうな物はあらへんな」
防災上、屋上に物を置くなんて有り得ない。わかってはいたが、何となくここまで来てしまった。辻はどうしようか腕を組んで思案する。するとだ。突然水田が大声を出したのだ。
「辻さん、空を見て下さい!」
水田の呼びかけに、辻は真上を見上げる。そこには何にもなく、真っ青な空が何処までも続いているだけだ。
「そんな真上やなくて、斜め上です。ほら、あれ!」
顔を元に戻して、水田の方を見てみる。水田はある空の一点を指差して笑っていた。水田の指し示す方向には綺麗な飛行機雲があった。
「綺麗な飛行機雲だと思いません?」
「せやなぁ」
清々しい真っ青な大空。そこに白い飛行機雲が真っ直ぐに何処までも伸びてゆく。青と白のコントラストが映えて、とても綺麗な光景であった。
「ねぇ、辻さん」
「なんや?」
「二人であの空を撮ってみません?」
「撮ってもえぇけど、全く同じ写真になるだけやと思うで?」
「もしかしたら、ちゃうかもしれませんよ?」
水田の冗談に辻はフッと笑う。5000m以上もの上空にある飛行機雲の前では、辻と水田の身長差など無いに等しい。同じ写真が撮れるだけだろう。しかし辻はその飛行機雲にスマホをかざした。
「そうや、せーので一緒に撮りません?」
「えぇよ」
「ほな行きますよ?せーの!」
水田の合図に合わせてシャッターを押す。綺麗な青空と飛行機雲が写真として切り取られる。その写真を水田に差し出せば、水田も自分のスマホを差し出して写真を見せてくれた。
「同じやな」
「同じですね」
全く同じ、空と飛行機雲の写真。二人は顔を見合わせて笑う。
「ようやくオレと辻さんの同じとこ見つけられましたね」
「アホか。誰と撮っても同じ写真になるわ」
辻と水田は笑いながら、歩き出す。スマホはもうポケットに仕舞って、今日の間違い探しはもうお終い。二人は屋上から立ち去っていく。
辻と水田は正反対で、共通点はほぼない。二人が見つけた共通点は、京都伏見高等学校の自転車競技部に所属すること。そして、この間違い探しという遊びが好きなことぐらいであった。
 
***
 
インターハイ3日目。辻と水田は二人だけで走っていた。いよいよ終盤、普通ならラストスパートだと鼓舞するところだろう。だが二人は無言のまま、意気消沈として走っていた。
(石やん…)
先に走っていた石垣がリタイアしたと知らされた。あの御堂筋のアシストを石垣は立派に努めたのだろう。だから最初は、辻も水田も、御堂筋に思いを託して、一所懸命に走ることができた。しかしだ。
「御堂筋くんが、まさかリタイアするなんて…」
辻の後ろを走る水田がそう呟く。辻がちらりと後ろを振り返ってみる。水田はずっと俯いたまま、愕然とした様子であった。
「ノブ…」
水田は御堂筋に心酔していた。その御堂筋がリタイアしたのだから、彼にとってショックだったのだろう。
(京伏はもうオレらしかおらへん。ノブもあないな様子やし、オレが頑張らんと)
辻は先頭で必死に走り続ける。しかし辻も動揺を隠しきれず、無言で走ることしか出来なかった。
(辛い、辛いわ)
御堂筋と石垣がリタイアしたことにより、京都伏見高等学校の優勝の芽は完全に潰えた。水田はまともに走れる状態ではない。希望がない。けれども走り続けなくてはならない。
(あかん、走る気力が湧かへん)
でも辻は足を緩めたりしない。弱音を吐き出さないよう、ぐっと堪えて、荒い呼吸だけを繰り返す。辻はただ正面だけを見据えて走り続ける。
(何でもえぇ、何か希望を…!)
辻は苦しさから顔を上げた。そして、それが目に映ったのだ。
「あ…」
辻の目が、驚きで丸くなる。早く、今見えたものを、後ろで走る水田に伝えなければ。
「ノブ!」
顔を上げろ。そう続けて叫ぶつもりであった。しかし辻は何故か、あることを思い出してしまった。
辻さん、空を見て下さい。そう言って空を指差して笑う水田の姿が、辻の脳裏に浮かんだのだ。
「ノブ、空を、空を見るんや!」
辻は後ろを振り返り、水田はようやく顔を上げる。そして水田の目にもそれが映る。
鬱蒼とした木々。灰色の道路。顔を上げれば、そこには真っ青な大空があった。その青空の向こうに、小さいけれど、一際目立つ黄色いそれが見えたのだ。
「ゴール…?」
富士山あざみライン五合目駐車場にたてられた、ゴールのエアアーチ。黄色いからよく目立つそれは、見間違えるわけがない。
「そうや、ノブ!ゴールや!ゴールが見えてきたんや!」
「ゴールや!辻さん、ゴールや!」
二人は大声で叫ぶ。自らを、そして相手を奮い立たせるために、二人は大声を出し続ける。
「ノブ、走れるな!?」
「はい!オレを先に行かせて下さい!」
さっきまで項垂れていた水田が、辻の前に飛び出す。水田が勢いよく辻を引いて走り出した。そんな水田の様子に、辻も気力が湧いてくる。
そして二人はただ一心に、ゴールだけを見つめて全力で走り出すのだ。
 
標高2000mにある、あの遠くのゴールに、二人の差など無いに等しい。
辻と水田は、同じ景色を見ている。同じ空を見ているのだ。

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