【D04】青色が燃えている

  • 縦書き
  • aA
  • aA

 青色が燃えていた。
 木々の青々とした姿に炎を見出だしたのは単なる灼熱の幻影で、日陰を作り、束の間の冷気を与えてくれるはずのそれを見間違うなんて馬鹿げているなんて思うけれど、振り返って脳を通して映し出される映像は一面の炎であった。それらは進むべき道を飲み込まんと両側から押し寄せてきて、オレは三百六十度焼かれている。
 オレは自ら鉄板に焼かれにいく食肉のような気持ちで、身体から剥がれて死に行く表皮に別れを告げる。毎日慣らしているつもりだし、ケアだってしているのに、未だに日差しの強い日は脱皮のように皮が剥けるのだ。オレはひとまわり大きくなれているだろうか。
 標高が高ければ涼しくなるはずなのに、熱い。当たり前だ。自分自身が熱源なのだから。ここらで、太陽の次に燃えているのはオレなのだ。木々より、草木より、アスファルトより。外からも内からも焼かれているからもはや空っぽだ。そうやってどんどん軽くなる身体を灰にならないよう誤魔化しながら上へ上へと運んで行く。
 山を登るというのは、ただただ苦痛であった。震える足をできるだけロスのない形にコントロールし、それすらできないときは、こまめな目標設定で道徳の授業のように進めていく。「タイムが縮まる」などに喜びを感じることはあれど、登るという行為自体に楽しみを見いだすことはとてもできない。それができるのは天才か、苦痛を快楽とできるやつくらいだ。
 滝のように吹き出す汗は視界を遮る。始めの頃は目に染みたが、塩分が流れ落ちてしまったのか今は水のようで、邪魔なだけであった。腕もだるくて、水平から持ち上げるのも億劫であったが、流れたものは補わなくてはいけなくて、ボトルを口に運んだ。
 毎日、毎回、「何でこんなことをしてるんだ」と思う。きついし、だからって劇的になにかが変わるわけではないし。そうやって雑念が芽生えると、オレを導いた言葉を思い出す。オレにはもう、これしかなかった。言葉から紡ぎ出された細い糸にすがるしかなかった。そして、何よりオレがそれを選んだのだと。脳みそから筋肉を震わせる。縮んで緩めばひとつの動きだ。それが重なれば運動になって、最後はこうやってペダルを回せる。何だって始めは小さなことだ。積み重ねて、集まって、オレらは掴むのだ。勝利を。そう、大事なのは、オレが勝つのではなく、オレらが勝つと言うことだ。オレができることなんて、ただのやみくもな動きにすぎないだろうが、それがチームの中で運動になって、前に進めればそれで良い。でも、それはオレがいなくても良いと言うことにはならないし、オレが弱くて良いと言うことにもならない。オレは強くならなきゃいけない。四捨五入して切り捨てられる数になってはいけないのだ。小野田なら、1だろうが2だろうが拾い上げてくれそうだがそれに甘えてちゃいけない。だから、今日もこうやって苦痛でしかない反復練習をしている。目標が再確認できたところで、どうにか、辛いの二文字を思考から押しやり、あと少し、あと少しと足を踏み出す。
 オレの身体から剥がれた皮が、後ろに流れていく。それはオレが進んでいることに他ならず、古い自分を捨てていく過程のようであった。そんなものは幻覚なのだけど。
 あと少し、あと少し。そんな言葉で自分を騙すには限界があって、最初に言い出した時には軽くなったのに、いつまでたってもやってこない終わりは、オレの足を重くする。
 熱い。当たり前だ。熱源はここにある。それはもう言ったんだ。辛いのも苦しいのももう言った。他に何が残るんだ。燃え尽きたオレの身体には何が残るのだろう。この自転車の上に跨がる身体は、何を残すのだろう。何も残らなくても良いのかもしれない。自転車の上に何も残らなくても、進んだ轍が道にさえなれば。それが一番良いことのように思えた。
 最早周りを見る余裕はなく、炎の幻影を見ていたはずのそこにはただ光があった。先だけ光っている。その光に向かい、進むことだけを考える。自分の呼吸の音がうるさい。鼻から吸って何て言うけれどそんな余裕あるわけない。酸素はずっと足りないし、心臓の音だってうるさいし、首の血管もドクドク言っている。ペダリングがぶれる。くそ。ここで踏み込みがまっすぐにできればもっと早くなるのに。
 踏め。踏め。回せ。回せ。毎回自分の限界の一歩先を。越えろ!越えろ!!
 ぐん、と最後の一踏みは伸びたまま目標の地頂を越えた。あと一回しできたけど、それができる燃料がもうなかった。
 からっからの身体で、息を整える。ここからは下りだ。油断はできないが、うつむいた顔をようやく上げると、街が広がっていた。
 
 多分クライマーはみんなここで思い出すんだ。
 空がこんなに青かったことを。

×

【D04 青色が燃えている】の作者は誰でしょう?

投票結果を見る

Loading ... Loading ...