【C04】PRIDE

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 こ、こ、こん。
 夕食後、消灯前、寮の一室に、ノック音。

「ん、黒田か。入ってこい」
「失礼します。なんで分かったんですか。忍者だから足音で判別できるんすか」
「だれが忍者だ、だれが。ノック三回すんのはおまえと泉田くらいだろ。昼言ってた去年のデータだが、そこの冊子の紙が挟んであるとこ、勝手に見ていい」
「あざっす」

 黒田は慣れた様子で立ち入って目的の冊子を手に取った。この部屋を訪れる時はいつも緊張するが、態度には出さない。
 部屋の主である東堂は机に向かって何やら書きつけている。己が入室しても作業を止める気配はない。こちらを見向きもしない。気安さからくる雑な対応に、黒田はうっかり誇らしいような嬉しいような心持ちになってしまって、くやしい。

「なんすかコレ英語……?」

 床に転がる邪魔な寝袋を脇に避けて、座椅子に腰掛けながら、しおり代わりに挟まれていたB5判のプリントをぺらりと翻す。
 
 ”Vanity of vanities,” says the Preacher, “Vanity of vanities, all is vanity.”
 
「ああ、それ。英語勉強するなら聖書くらい読めっつって、英語教師が毎授業よこすプリント」
「Vanity?」
「空虚とか無価値とかいう意味だ。空の空、すべては空である」
「へえ、……All the rivers run into the sea, yet the sea is not full. なんかあれっぽいですね、ゆく川の流れは絶えずして、」
「鴨長明か」
「こないだ授業でやりました。世界中でこの世の空しさを語るブームがきてたんすかね?」
「ブーム、1400年くらい続いてるぞそれ」
「え、聖書ってそんな昔のやつなんですか。まあ、人類の普遍的な疑問って事で」
「ワッハッハ ! 正鵠を射ている!」
「ヴァニティってなんかソシャゲとかで聞いたことあるような気がすんですけど」
「空が転じて中身のない見栄を指す単語でもある。八つの枢要罪のひとつだな!」
「あ~虚飾! 中二心がくすぐられるワードすね」
 
 黒田は冊子をめくりながら、東堂はペンを動かしながら、ぐだぐだと会話が続く。
 ふと視線を感じて顔をあげると、目が合った。

「黒田は雑談が面白い」
「いや、それは、見栄っつうか、正直超がんばって頭まわしてます。東堂さんの前ではカッコわりぃとこ見せたくねえし。オレ、自分をより良く見せるのがうまいんすよね」

 いつもだったらふてぶてしく「あざっす」と応じるところだが、なんとなく、なんとなく正直に白状してみた。
 東堂は、なぜか嬉しそうににんまりと笑んでいる。

「ならばオレはじつにいい先輩だということだ! 実を伴って張り続けた見栄は定着するからな!」
「東堂さんて人を褒めるのも自分を褒めるのもうまいすね」
「褒められるのもうまいぞ」
「さようで」

 ハァー。
 黒田は長く息を吐きながら、仰け反るように椅子に体重を投げた。
 背もたれがぎしっと音を立てる。

「なんかもうスゲーですね」

 実は今日の黒田は少しばかりモヤモヤとした気持ちを抱えていたのだが、あっけなく、綺麗さっぱり、消えてしまった。
 察しの良い先輩はオヤと片眉を上げる。

「なんだ、やけに刺さってるな。オレはどんなファインプレーをしてしまったんだ」

 言いながら、東堂は机に向き直った。黒田も冊子に目を戻し、必要なデータをスマホに入力していく。

「俺スポーツ万能なんで、入部当初、調子乗って『チャリ部でもサクッとてっぺんとるぜ』みたいなこと言ってたんですけど、それ覚えてた奴が今日『口だけ』っつってきて」
「ほうほう」
「まあ、体育で完膚なきまでにぶちのめしちゃったんで、その逆恨みの僻みなんすけど」
「種目は?」
「バドです。そんで、なんか微妙にモヤったっつーか。俺、見栄張ったこと言うのが癖になってる自覚はあるし、あの人と剥き出しで戦うことを覚えちまったせいで、最近、かっこつけんのが恥ずかしいとか思ったりとか。ガワだけで中身空っぽなんじゃないかって。それこそヴァニティ? みたいな?」
 
 でも、東堂さん、あっさりかっこつけること肯定してくれんだもんな。
 なんかもうヴァニティでもいいや。
 
「そのモブに」
「モブて」
「剥き出しのお前を見せてやる義理が何処にある」
 
 後輩の愚痴をさらっと聞き出す副部長は、聞くだけ聞いてさらっと流すことが多いのだが、どうやら今日は東堂も話をする気分らしい。
 
「裸でぶつかっていける相手と見た目を整えて相対する相手がいるのは当然だ。全身を完璧にコーディネートしないとオレの前には立てないだろう! なにせ、このオレだからな!」
「まあ、そうすね」
「荒北とはすっぽんぽんでいいと」
「言い方ァ」
「剥き出しの本能を燃やしてぶつかり合うのは、己を鍛え上げることだ。だが、お前にはそれだけじゃ物足りないだろう。いいか、黒田」
 
 ぐっと声が低くなった。こういう時の東堂は、有無を言わさず言葉を脳に叩き込んでくるような圧がある。黒田の背筋が伸びた。
 
「かっこつけろ。人の目を気にしろ。やると決めたら堂々と口に出せ。これくらい余裕だと嘯け。味方に期待させろ。敵に粗探しさせろ。そうして余裕を装って遣り遂げろ。自分にプレッシャーをかけろ。かっこつけ続けた奴がかっこいい奴だ」

 ウェイトトレーニングと同じだ。
 黒田ならできるだろう。
 
 強い圧はそのままに、なんでもないことのような口ぶりで。
 
「おっも! 東堂さんの黒田ならできるだろう重すぎるんですけど! 他の誰の期待より重え!」
「オレのは期待じゃなくて確信だし、お前のそれはヴァニティじゃなくてプライドだろ」
「結局大罪じゃねえか!」
「勝つためだ。大罪上等。カッコ悪い荒北にはできないやり方だぞ。あいつ折角の人の目を邪険にしやがるからな」
 
 うん?
 急に演説モードスイッチが入ったうえに、言葉選びが攻撃的だなと思ったが、これは、
 
「荒北さんに嫉妬しました?」
「し! た!」
「あはははははっはは、東堂さんのカワイイ後輩枠には真波がいるじゃないっすか」
 
 部屋の内装から明らかにういている野暮ったい寝袋を軽くたたく。
 さっき黒田が叫んだ時に中身は起きたはずだ。
 
「オレ?」
「俺は真波は育ててない」
「なんの話? 黒田さんコンニチハー」
 
 寝袋がもぞもぞ動いて、ベビーフェイスがひょっこりと顔を出した。
 
「こんばんはだろ」
「なんか嬉しそうですね」
「うっせ。お前なんでいんだよ」
「明日朝練についてこうと思って。始発前だから」
「っは? ズルくないすか? 誰が誰を育ててないって? っつうかお前チャリ通だろ」
「黒田さんも行こうよ」
「5時に裏門な」
「はっや! 老人会のゲートボールか!? いや行きますけど!」
 
 わちゃわちゃとやりながらも無事に用事を済ませた優秀な黒田は「失礼しゃっす!」と元気に去っていった。
 
「で、なに話してたんですか?」
「お前も女子ファンにはファンサービスを怠るなってことだ」
「ふーん」

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