【C03】Can be a hero

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 真波山岳は俺たちの代のヒーローだった。
 
 入部当初から噂にはなっていた。練習に真面目に参加しない、遅刻する、部室にまで彼女が顔を出し世話を焼いてくれるというのに当の本人は行方知れず。なのに才能だけはずば抜けている。こんなやつのどこに好感がもてるというのか。ただ学年で一番速いというだけで先輩から覚えが良くて、同級生からは一目置かれる。
 スポーツというのは残酷なまでに才能の世界だ。ロードレースもその例に漏れず。ギフトに恵まれたものだけがレギュラージャージを着て、夏のインハイステージに立てる。ただでさえ選手層が厚く強豪中の強豪校として名高い箱根学園で、歴代初めてとなる一年生レギュラー。その金字塔を打ち立てた真波は、どうしたって俺たち一年生のエースで憧れで届かなくて、同い年だというのにまるで雲の上のような遠い存在だった。
 ピカピカの新入部員が、高校生デビューという夢を抱いて、才能というどうしようもない非情な現実に打ちのめされて淘汰されていく。俺はそんな奴らにもなれなかった。
「真波? あいつはやべえよ。一度だけ練習一緒になったけど、宇宙人だわ。話も通じないし、そのくせ登りはめちゃくちゃ速えし。あいつが乗ってるの、チャリじゃなくてUFOなんじゃねえの」
 そんな軽口を叩けば同じくどうにか強豪自転車競技部にしがみついて残っている一年生陣が大笑いしてくれる。俺たちは主役にはなれない。あんな化け物がいる限りレギュラーは厳しいだろう。小さなレースでちょっと入賞とかして、それくらいでいい。王者箱学、インハイ常勝校の強豪部活に所属している。その地位に居るだけで満足なのだ。
 一人だけ例外な奴がいた。その輪の中に入らずに黙々と自転車こいでる真面目メガネ。略してマジメガネ。長いあだ名だが本名が高田城と長いのだから別に良いだろう。生真面目に指示されたメニューをこなし、自主練でさらに追い打ちをかけるように自分を限界まで痛めつけるような練習を重ねて、先日ついに部活中に倒れこんだ。初心者の多い春先にはよくある光景だったがまさかマジメガネがこんなに愚直だったとは。
「あいつが居る限り俺たちに陽の目はない。ほどほどに頑張るのがいいんだろ」
 少しぬるくなったスポドリを差し出すとマジメガネが曇った眼鏡を外しながらドリンクに口をつける。ぷは、と息を吹き返したような声が鳴った。
「それでも、俺は目指したいんだよ」
 そう真っ直ぐ先を見据える高田城が、少しかっこよくて羨ましかった。
「おまえって眼鏡を外すとさ、」
「……美形にはならないよ」
「いや、目つき怖えな」
「……仕方ないだろ、見えにくいんだよ」
 眼鏡をかけ直して立ち上がる姿がやはりどこかかっこよくて悔しかった。
 
 
 インハイは観に行った。というより駆り出された。箱学のホームとも言える箱根で開催された今年のインハイ。部員は余程の用事のない限り、補給部隊や応援に参加すること、とお達しだ。幸いにもゴールラインのすぐ手前を陣取った俺は先輩が通るのを今か今かと待ち構えていた。きっと福富先輩か、エースクライマーの東堂先輩が目の前を駆け抜けていくのだろうと。けれどアナウンスから聞こえてきた名前は、おれたちと同じ一年生の名前だった。複雑だった。こんな大舞台の一番大事なところを走るのがおまえなのかと。俺たちみたいな入部してまだ数ヶ月の一年生が、箱根学園という大きなものを背負って走れるのかと。檄を飛ばさねば。タラタラ走ってたら許さねえからな。そんな気持ちと。同じ一年なのになんでおまえはそこに立ててるんだという妬ましさと悔しさと。ああ、だめだ頭がぐちゃぐちゃになってきた。声援を送らなくてはならない、そのためにこの場所を陣取らせてもらえたというのに。俺は真波になんて声をかければ良いんだ。悩んでる間にも先頭選手がゴールへと向かってくる。怖い。怖い。だけど。
「見えたぞ先頭!」
「二人! 右側が真波だ!」
 手前の方で応援していた先輩の声に促されて顔を上げる。真波がいた。ぶわりとなにかが身体の中を突き抜けていく。頭の中は真っ白になっていた。
「真波!」
「いけぇ!」
 一瞬のことだった。口から飛び出していった言葉はたった二言だけだった。ずっと空を飛んでいるみたいだと言い続けていた真波の自転車は、ずっと地面の上を走っていた。当たり前だ。
 数秒後、ゴールラインを飛び越えた二人にワッと歓声があがった。
 
 
 
「まだまだ暑いっスね」
「残暑厳しいと早朝練が捗るな」
「うわ、もしやドMですか」
「おまえもな」
 先輩とじゃれ合いながら部室に入ると、既にジャージに着替えた高田城が眼鏡を手に取り拭いていた。
「マジかよお前、何時起き?」
「四時半」
「おじいちゃんかよ」
「違う。……どうしても走りたいんだよ」
 やっぱり眼鏡を外した高田城が前を睨みつけるように言い放つ。知ってる。どうしても、インハイで走りたいんだろ。
「俺も走りたいわ」
「なら走れ」
「そんでさ、真波の背中をグッと押してやんのよ」
「いつの話?」
「ん~、再来年には?」
「ずいぶん堅実だな」
「むしろ大胆だと思うけど」
 だって箱学はこんなにも選手層が厚いだろう。朝早くから練習に励むライバルが何人もいる。そいつらはライバルで頼もしいチームメイトで。だから今年の悔しさも皆同じように抱いていて。来年こそは、我こそはと勇んで練習に励むんだ。インハイを境に火のついた部員は多い。だってあんな走りを目の当たりにしてしまったから。あんな風に、あんな舞台で、自分も走りたいと願わずにはいられないから。
「なのに今日もまた高田城が一番乗りかよ」
「いや、俺は二番」
 一番は、と指をさした方に。窓の向こうを白い車体がザッと走り去っていく。まるで青い空を裂いていく白い飛行機雲みたいだ。
 あの日の事は、どれだけの言葉を尽くしても届かないだろう。あいつが唯一の一年として、初めての一年としてどれほどのものを背負って走っていたのか俺は分からない。ただ一つ。真波山岳はおれたち一年生のヒーローなのは間違いなかった。そしてまた懲りずに走りだすのだろう、遠い空に向かって。

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