【C01】Old and new

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ここがお前のロッカーだと示されて、使い古された灰色の扉を二人で見つめたのは二年半とすこし前。心なしか恐る恐るそこを開ければがらんどうの空間があった。何年も使い古されている筈なのに、どこか新しく見えるその空間に、少しだけ胸が昂ぶったのを覚えている。
 一日、一ヶ月、数ヶ月、一年。少しずつ自分のものが増えていく。タオル、タイヤチューブの予備、練習ノートは何冊目だろうか。扉の内側にはマグネットで貼り付けたメモ。長いような短いような月日の間、この位置だけは変わらなかったが、その中身は季節の巡りに合わせて変わっていく。
 もうすぐこのロッカーは空になる。貼り付けたメモも、中身も全て引き払って三年生は引退する。
 
「うっわ、懐かし」
 夏休みを迎えた小学生が机の中のものを全部抱えて家路につく、そんな状態は避けたい。期限まであと数週間を迎えて手嶋はロッカーの中を整理していた。
 常に整理整頓は心がけているのだが、いつの間にか奥に追いやられていたのだろう紙を見つけて声をあげる。隣で同じようにしていた青八木がどうした、と視線を寄越した。
 ほら、これ。一年の時に出たレースのチラシ。手嶋がほんの少しくしゃくしゃになったチラシを見せれば、青八木はゆっくりとまばたきをして頷いた。
「なつかしいな」
「初めてのレースのだよな」
 チラシを表裏と見返しながら手嶋が笑う。チーム総北としてではなく、個人として、チーム二人として初めて出たレースだ。丁度二年前の今頃の話だった事を、書かれた日付を見て思い出した。
「……覚えてるか?」
「ああ」
 当たり前だと青八木が頷く。 勝てなかった。それでも何か手応えのような、確かなものを感じたのも覚えている。勝てなかった悔しさと次こそはという思いをない交ぜにして、帰りの電車の中、拳を握りしめた事も。
 そしてその予感は、正解だったのだ。
「この次は勝ったんだよなぁ」
 そう言いながら手嶋はチラシを綺麗に畳んでいく。小さくなったそれをファイルに入れた。手嶋が再びロッカーの中身と向き合うのを見て、青八木も片付けを再開する。
 この調子だと、最後の日には最低限の荷物で済むだろう。
 
 
 がらんどうの、箱になった。
「……」
 最後の日、最後のタオルを詰め終わった後、手嶋は立ちすくんでその空間を見つめる。二年半前にそっくりな光景が目の前にあった。次にここに割り当てられる一年生も、この古くて、しかし新しくも見える空間を目にするのだ。そしてまたこの中に、自分達がしてきたように三年間を積み重ねていく筈だ。
「次」
 珍しく青八木から口を開いたので、驚いてそちらを見やる。青八木はメモ帳を手にしていて、それはほとんど使い果たされた後のもので、とにかく薄い紙の束をまじまじと眺めていた。
「……オレ達が使っていたロッカーは、次はどんな奴らが使うんだろうな」
 ぼそぼそと零す青八木の言葉に目を丸くする。それから再びゆっくりと空になったロッカーに目を向けた。それが決まるのはだいたい半年後だ。そして、その時自分達は本当に、この部室にも、校舎にすらいない。青八木と出会った自転車置き場も三月になれば一学年ぶん寂しくなって、その一ヶ月後にはまた賑わうのだろう。
「どうだろうな、また鏑木みたいな奴かも」
「……」
 冗談っぽく言えば青八木が閉口する。四月に出来た癖の強い後輩との思い出が浮かんだようだ。
「……一人で十分だ」
「ははっ」
 それでも半年後、新しい志を胸にしながらどんな人間が入ってくるのかは自分達には分からない。今泉や鳴子、小野田や杉元が彼らをどうやって纏めていくのかも、未知だ。だからこそ手嶋は次の夏を楽しみにしていた。二年間を積み重ねてきた、そしてこれからも積み重ねていく彼らのチーム総北。結果を見るのは次の夏、降りしきる太陽光で焼けた沿道で。
「純太、片付いたか」
「おう」
 青八木に促されてバッグを持つ。名残惜しかったが、次に譲らなければならない。
 すっかり空になったロッカーを手嶋はもう一度だけ見つめて、それからゆっくりと扉を閉じた。

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