【B03】見上げれば誰にも等しく

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「高橋」
「はい、ぼっちゃま」
 後部座席から聴こえる落ち着いた声に、男は静かに黒い車を停止させる。
 
 始まりは雨の日だった。部活動から帰宅した彼の依頼で、車を少し走らせたショッピングモールからの帰りのことだった。
「停めてくれ」
 その日も、後部座席から聴こえる落ち着いた声に、男は静かに車を停止させた。
 彼の通う高校は急な坂道の上に在る。入学当初はよく送迎をしたものだが、ロードバイクと、その部活動の仲間達と共に在る彼を送迎する機会はすっかり少なくなった。
 車を停止させた位置は、丁度高校の下の真っ直ぐな道が続く池の辺りだった。夏になり陽が長くなったとはいえ、既に辺りは薄暗かった。組んだ長い脚に載せるように頬杖を突いた彼が見つめた窓の外では、降り注ぐ雨が視界を遮っていた。しかし彼は見つけた。等間隔に照らす外灯の下をロードバイクで駆け抜ける後輩を。その道の行き止まりのベンディングマシンの影で、傘を差した制服姿の先輩の姿を。
 その日は雨の為、部活動は室内練習だった。後輩がこんな場所で自主練習をしていたことも知らなかったが、見守るような先輩の姿も彼は少し意外に思い、次の瞬間、微かに口角を上げた。
「あいつにも見てくれる人が居るんだな」
 昨年はギリギリで優勝をもぎ獲った。王者箱根学園を相手取り、一人一人が弱々しい細い糸を手繰るように繋げた勝利だった。三年生の先輩が三人、彼を含む一年生が三人のチームだった。それぞれスタイルは違えど、先輩は後輩へ伝えてくれた。総北というチームの在り方、その走りを。
 次は今の三年生が、二年生になった彼らが、後輩へ伝えていく。同級生の一人には「スカシ」と呼ばれる彼もまた、今年の連覇の為にチームのことを考えていた。チームの戦力バランスを考え、平坦を得意とする同級生に登坂を強化するよう勧めた。結局メンバーには選ばれなかったが、昨年出場出来なかった同級生がメンバーに入れるよう、アドバイスや応援もした。目にする機会があれば、後輩に直接アドバイスをすることもあった。素直に言うことを聞かない後輩ではあるが。
 
 本日はよく晴れて月が顔を覗かせている。いつ見ても、後輩は等間隔に照らす外灯の下をロードバイクで駆け抜けていたし、先輩はベンディングマシンの影に佇んでいた。全て同じ空の下、共有される出来事。後輩は先輩の姿を知らないようだし、先輩も彼の姿を知らないだろう。
 そして彼もまた知らない。車を停止させると、いつも男が微笑んでいることを。

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