【B01】腹ペコなケモノたち

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 ロードレーサーという人種はよく食べる。良く食べる割になかなか太れなかったりする。
 長時間の過酷な有酸素運動と短時間の爆発的な無酸素運動は、確かにどえらい量のカロリーを消費するのだが、単に本人の体質だったりもして。
「だからヨ、俺なんか新開と同じ飯食ってたら体無くなっちまうンだヨ!」
 パキィっといい音をさせて箸を割った荒北は、ッキアス!と掛け声を発してズルズルと麺を啜った。黄金色の縮れ麺だ。
「わかりますわ~! ワイも伸び盛りなんで食い過ぎるくらいでちょうどええんですわ。あっ、そういえばこないだ小野田くんからちらっと聞いたんですけど、箱学は寮生活なんですよね。食堂とかぶっちゃけどないなかんじです? メシ旨いンすか?」
 小皿にジャバッと酢と醤油を目分量、焦がしニンニクたっぷりの真っ赤なラー油を垂らして鳴子章吉は重たい餃子に齧り付いた。カッと目が開く。
「んまい! オッチャンめっちゃりんこ旨いでこの餃子! 皮のぷつっと噛み切れる歯ごたえたまらんわ! カーッ、迂闊やったわワイのアホ! こないな絶品餃子に最初からタレつけて食うてまうとかありえへん! 口の中リセットしてやり直したい~!!」
「お、一個くれ」
「荒北さんアンタ鬼ですかーッ!!!!」
 鳴子の失敗の上に学び、荒北は素のままの焼き餃子を放り込んだ。こちらもカッと目を見開いて「おっちゃん、追加で一人前」と指を立てるといかつい顔した店主はにやりと唇を吊り上げて鉄板に油を引いた。
 千葉と神奈川、東京を間に挟んだ学校に通うはずの二人が同じカウンターに肩を並べているのは、実は宇都宮だったりする。なんてことはない。休日に遠乗りに来た先でばったりあったのだ。
「んじゃ、なんか一口やるヨ」
「ほな、煮卵もらいます~」
「オメ、なんで一個しかねぇ奴持ってくんだよ! チャーシューにしろ5枚もあんだからァ! それか半分返せ!」
「ワイこれでもカロリー計算して食うてるんですわ~! いや~、ワイもチャーシュー麺やなかったらチャーシュー欲しかったんですけど~! やっぱ脂質よりたんぱく質取らなあきませんやろ? 田所のおっさんみたいなクマ体型やなくって、ワイが目指しとんのはしゅっとしてガッといける虎なんで」
「シュッとしてガッが何か全然わかんねーわ。オメーに必要なのは煮干しスープのガラじゃねぇの?」
「ハァ~!? 荒北さんそれ遠まわしにワイのサイズのこと言うてはります? 主に身長の!」
「身長以外になにがあんだヨ! 今のまんまじゃせいぜいがなれてトラねこチャンだろ。そんなにデカくなりたきゃ箱学来ればぁ? 朝食は牛乳飲み放題だぜ、うちの部はヨ。朝食メニューも量よし、味よし、栄養よしっつって東堂のヤローが騒いでるくらいだからまぁいいんじゃネ?」
「あ~アカンアカン、ワイ絶対青いジャージ似合わんさかい。気持ちはわからんくないですよ? ワイみたいなスーパースプリンターおったら来年の箱学はハイパー強なるんでしょうけど、そうはイカのよっこちゃんやで。来年も総北が黄色いただきますんで」
「ハッ、ジャージの黄色だけで我慢しとけ」
 やっと鳴子の質問に話しが戻ったあたりで店内の喧騒も増してきた。客は鳴子と荒北以外も全員男ばっかりでビール片手のサラリーマンたちがごちゃごちゃと会話をしながらジョッキをぶつけあっている。
「そう言えば荒北さんもよう体絞れてますけど、昼とか練習前はどないしてはりますのん?」
「飯かァ? 食堂で食う時は肉の定食に大盛りメシだ。体育とかでヨ、足んネェ時は売店使うけど。たまに気が向いたらパン持って外のベンチとかぁ?」
「ワイも屋上で小野田くんとようランチしますわ。たま~にスカシも可哀想やさかい仲間に入れたってですね。レースない日でも4000キロカロリー切らんようにちょいちょい物食べてますわ」
「そーそー、つか食わねぇと持たねぇ。マジで筋肉どっか行っちまう。それに筋肉量減らすとうちの泉田がすげぇ顔して迫ってくんの。大胸筋ぴくぴくさせてヨ」
「それ新手の一発芸か何かスか」
 じゅわあぁ、と目の前に水蒸気の柱が立って甘い小麦の焼ける匂いがぷんとする。バチバチと油跳ねの音をさせて「おまち」と荒北の前に出された丸長の皿には餃子が2列に。
「おっちゃん、オーダー違うぜ?」
 荒北がカウンターの上に皿をさし戻そうとすると、「調子に乗って焼き過ぎた」と店主はヒラヒラ手を振った。食え、ということらしい。
「うおおお~!!! おおきにオッチャン!」
「バァカ!俺ンだろが!」
「オッチャン褒めたのはワイです~! 調子に乗せたのはワイなんでこれはワイの報酬でっす~!」
「オメー、カロリー計算して食ってるっつってただろ!」
「食うたら回せばええんです!」
「んじゃ、半分こな」
 パクパクずるずると器の中に食べられるもの一つ残さずに二人は一緒に手を合わせた。ごちそうさまでした、の元気な声にまた嬉しそうに店主の口元が引き上がった。
 まいど、と送り出された空はそろそろ一番星が瞬き始めようかとしていた。ビルの根元はまだ明るい。
「ふ~食った食った。つか、喋りまくったから若干腹が足りネェな」
「奇遇ですわ荒北さん。ワイもチャーハン一皿分空きがありまっせ」
「……帰り輪行?」
「流石に千葉まで自走はしんどいスわ」 
 目が合って、考えてることは一緒だと互いの唇が弧を描く。サイクリングロードまではすぐだ。
「腹ごなしに一勝負と行こうじゃナァイ?」
「受験勉強で脚も勘も鈍っとるんとちゃいますか?」
「試してみるかァ?」
 クリートの合唱がまるで合意の合図のようだ。
「ワイが勝ったら焼きそば、荒北さんの奢りで」
「ハッ、テメェこそ帰りの電車代足りるか?」
 こんなことをしてるから、この体は食べても食べても追いつかない。
 いつもエンプティマーク寸前で針は行ったり来たりを繰り返す。
 それでもいい。胃袋の次を満たしに行こう。
 夏を消化しきった体には、新しい獲物が必要だ。

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