【A03】あおぞら日記

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九月一日。
新学期の始まりを祝うような晴れ。雲はなし。校舎にかけられた垂れ幕が未だに信じられない。クラスメイトが指さしては、いちいち声を上げていた。信じられなくても、事実なんだよな。身が引き締まる。

九月二十日。
晴れときどき曇り。正式に主将という肩書きを受け継いだ、オレの心情を見透かしたような空だった。もちろん嬉しいし、誇らしい。その反面で、重圧や逃げ場のなさといった息苦しさも同時に背負うことになる。これから一年間、いくつ楽しいことを我慢しなければならないのか、想像もつかない。それでも、オレはやり遂げると決めた。

十月七日。
夏の空気が消え始めてきた秋晴れ。峰ヶ山クリテリウムで、懐かしい奴と出会った。それがどこでどんな影響を与えたのか知らないが、最近くすぶっていた小野田が、また一つ壁を越えたようだ。よかったよ。
 
 一月一日。
曇りときどき雪。今年が始まった。青八木と初詣に行って、総北の勝利を願ってきた。
 今泉も鳴子も、小野田も、たぶん杉元も。古賀だって。何かに迷いながら、探りながら、インハイを見据えて前に進んでいるように見える。どのメンバーで出場するか、どんなチームになるか、分からない。オレがその中にいるのかさえも。
 分からなくても、考えて、備える。最高のチームにするために。あの日の奇跡が奇跡じゃないと証明するために。

 四月十日。
 晴れ。今日まででかなりの新入部員が集まった。インハイに優勝した知名度ってすげえな、やっぱり。今泉みてえな、中学の頃から成績残してきてるようなやつも何人かいる。
 いろいろ、考えることはある。今年も優勝を狙いたい。だから強いチームを作りたい。でも、オレと青八木、二人揃ってインハイに出たい。
 両立させる未来はあるはずだ。でも、簡単じゃない。頑張ったって、望み通りの結果になるとも限らない。それでもオレは今日も努力を積み重ねる。そのために、オレはこの日記をつけているんだから。
 
 六月二十六日。
 快晴、だったらしい。
 合宿最後の夜。公貴と戦って、勝った。勝ったって言い方には違和感があるかもしれないけど。
 あまりに必死で、今日の空なんか見る余裕もなくて。そしたら青八木が「今日は快晴だった」って教えてくれた。オレがこういう日記をつけてるって、言ってなかったはずなんだけどな。なんとなく気付いてたのかな、オレが毎日、空を眺めてたこと。
 青八木。行けるぞ、一緒にインターハイ。公貴の分まで、選ばれなかった他の皆の分まで、頑張ろうな。一緒に。
 
 八月二日。
 晴れ。雲こそあるが、文句なしの暑さの晴れ。
 インターハイ二日目。とうとうここまで来た。なんとか離されないように付いて行ってはいるが、この二日間でリザルトもゴールも一度も取れていない。
 けど、悪くはない。チーム全員揃ってここまで来れた。まだまだ優勝は狙える。 

 * * *

 したためたいことはまだあるけれど、どうにもピタリと当てはまる言葉が出てこない。一度手を止めて、カチリとボールペンの芯をしまった。このノートも、だいぶ使い古した見た目になったものだ。意識がふっと、一年前の部室に飛ぶ。
 巻島さんに呼び出しを受けて、クライマーになれと告げられたときのことを、今でもはっきりも思い出せる。オレには無理だと強く思った。けれど、無理だと言い訳をして逃げる自分に嫌気がさしたのもまた事実だったから、オレは登ると覚悟を決めた。
 部室を出て一人になった帰り道に考えたのは、何かひとつ、毎日記録をつけようということだった。全てをやりきったときに後悔しないような、全力を賭けてインターハイに臨んだのだと言い切れる証拠になるものが欲しいと思った。
 練習日誌とは別物がいい。とはいえ、ただの日記というのも何か違う。何がいいかと考えて、ふっと天を仰いだ瞬間、瞳の中で星が瞬いた。
 雲ひとつない夜空に、数多の星が輝いていた。大きいもの、小さいもの、一等星から七等星。まだ地球からは見えないものも、きっと空にはあるだろう。それら強く、時には柔らかく、自分たちの存在を主張するために光を放っている。何等星、なんて人間が勝手につけた定義など気にせずに、そこに在り続けている。
 星は別に、誰かを応援するために輝いているわけではない。けれど、オレは確かに今、星たちの輝きに勇気をもらっている。そしてもう一つ、忘れられない記憶が脳裏に蘇った。
『今日って、こんなに晴れてたんですね』
 あの日、小野田は確かにそう言った。汗まみれになって、文字通り、全身からすべてを出し切り戦ったインターハイの覇者は、オレの腕の中で笑ったのだ。
 あまりに眩しく、忘れられない一言だった。あんなに暑くて、あんなに強い日差しの中で、こいつは今日の空すら見上げていなかったのかと衝撃を受けた。インターハイのゴールを見据えるということの重みを、まざまざと実感させられた。少なくとも小野田はこの日、真っ直ぐ、前だけを見て突き進んできたのだと。
(――よし、決めた)
 そうしてオレは、その日の空模様を毎日記録していくことに決めた。思い付きで始めたところこそあれど、同じような空でも、その日ごとの心境や抱えているものによって、まったく違うように映ることがあるのだと発見できたから、良い思い付きだったと思っている。
 二冊目も終わりかけているノートを閉じて、あの日と同じように天を仰ぐ。視界に入ったのは、見慣れない旅館の天井だった。ぐるりと辺りを見渡しても、近くには誰もいない。同室の青八木も、随分長いこと部屋に戻っていないようだった。変なことになっていなければいいのだけれど。
 泣いても笑っても、明日が最後だ。たとえどんな結果が待っていようとも、全てが決着する。総北の優勝という未来に、どれだけの可能性があるのかは分からない。明日の空模様だって、明日になってみないと分からない。けれど――
 はたと頭に浮かんだ言葉を書き留めるため、再びノートを手に取った。今まで書きためてきた文章を読み返したくなる衝動をぐっとこらえて、八月二日のページを開く。これを読み返すのは、明日になってからだ。過去を振り返る時間は、今はない。積み上げてきたものは、明日に全てぶつけるだけだ。そうして、そうして。
 
『願わくば、清々しい気持ちで晴れ空を仰げますように』

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