【D01】latchkey child

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「そんな綺麗なとこじゃないけど、どうぞー」
「……お邪魔します」
良かったら泊まりに来ないか?と純太がオレに告げたのは、三日前のことだった。
オレの目の前で純太はカバンの外ポケットに入っていた鍵を取り出して、ドアノブにそれを挿し回す。何の変哲も無い家の扉はするりと開いて、純太はオレに部屋の中へ入るよう促した。
ドアの奥はシンと静まっている。その静けさはオレにとっては慣れないもので、一瞬入ることに躊躇いを感じてしまったほどだ。人の気配のしない家というものに、オレは慣れていない。
純太はそんなオレの様子に気づくこともなく、部屋の奥へと進んでいく。オレは急いで靴を脱ぐと、その背中を慌てて追いかけた。
「純太」
「ん? どうかしたか?」
「親は?」
「あれ? 言わなかったっけ? どっちも今日はいねーんだわ。だから青八木を呼んだんだけど」
聞いてない、という言葉は飲み込んだ。もしかしたら言っていたかもしれないという気がしてきたからだ。
純太はお喋りだ。オレの十数倍話をするし、オレはその全てを覚えているわけではない。けれど、大事なことは何度だって言ってくれるし、例えオレが忘れてしまっていてもそのことを責めたりはしない。だから、純太が言うことはきっと正しい。
そもそもこれはただの「お泊まり」ではない。オレと純太で部員の練習メニューの見直しをするという、確固たる目的を持った集まりになる予定なのだ。
そうは言っても、純太の家にお邪魔していることに代わりはない。オレはそこでカバンの中に入っているそれの存在を思い出した。
「じゃあこれは、後で渡しておいてくれ」
オレが取り出したのはこの辺りでは有名な洋菓子店の焼き菓子の詰め合わせだった。ちなみにオレが準備したわけではなく、お世話になるのだからと親に持たされたものだ。
純太は箱を見た瞬間に目を輝かせた。その顔を見て、持ってきて良かったと安堵する。
「あとで一緒に食おうぜ」
それでは本末転倒では、と思ったけれど、純太があまりにもキラキラとした笑顔をしたものだから、オレは思わずコクリと頷いてしまった。純太が嬉しそうにしているとオレまで嬉しくなってしまうのだから、仕方のないことだった。
案内されたのはリビングで、当然のことだけれどそこには誰もいない。オレは部屋の隅に持っていた荷物を置く。
適当に座れよ、という純太の言葉に従って、オレは近場の椅子に座る。出されたコップには冷えた麦茶が注がれていた。
「……純太は、鍵っ子なんだな」
コップを見つめながら、オレの口からついて出たのはそんな言葉だった。唐突なオレの言葉に当然、純太は驚いた顔をした。
オレ自身も驚いた。そんなことを言うつもりは微塵もなかったのだ。そして、そんなオレの様子に純太は気づいたのだろう。くくっと小さな笑い声を上げて笑った。
「鍵っ子って懐かしい言葉だな」
「そうかな……」
言われてみれば、そんな言葉を使ったのは小学生以来だったかもしれない。小学生の頃、クラスに何人かいた鍵っ子はオレから見れば羨望の的だった。鍵を持っているというたったそれだけのことが羨ましく見えた、あの頃を思い出す。
オレは鍵なんて持たされることはなかったから、その当時の鍵っ子のクラスメイトがやけに大人びて見えていた。少し先を行っている存在のように思えていたのだ。
「かっこいいな、って思ってたんだ。鍵っ子」
「んー、そんないいものでもないと思うけどなぁ」
話を聞けば、やはり純太も小学生の頃から鍵っ子だったらしい。首から鍵をかけている小さい純太を想像して、オレはなんとなく納得してしまった。想像だけれど、その姿はやけに似合っている。
「自分の鍵ってかっこいいよ」
「でも、オレ的には家に帰ったら母親がおやつ準備してくれるシチュエーションの方が憧れだったわ~」
まるっきり家のことだった。まるで見てきたように言われてしまって、オレは目を丸くする。そんなオレを見て、純太はやっぱりと笑っていた。
無い物ねだりってヤツだよ、と純太は言った。そう言われてしまうと返す言葉がない。
「ま、最近はあんまり使うことないんだけどな、鍵」
「……そうなのか?」
「練習で帰りが遅いからな。大体誰かいるし、帰ったら飯が待ってる。今日は誰もいない代わりに、青八木と一緒に帰ってきたし」
にっとした笑みを浮かべて、純太はそう言う。オレは不意をつかれて、思わず背筋をピンと伸ばしてしまった。
ゆるりと喜びが湧き上がってくる。どうしてそんなに嬉しいのか、自分でもうまく説明ができない。けれど、長年鍵っ子だった純太が鍵を使わなくなるくらい自転車に時間を費やしているのだと思うと、なぜだか心が震えるようだった。
「さ、飯の前にメニュー確認しちまおうぜ」
「ああ、そうだな。純太」
テーブルの上にはノートが広げられる。そこに記された部員たちのタイムや組み立て途中のメニューを眺めて、オレは今一度目の前にいるこの頼もしき主将を支えていくのだと心の中で誓うのだった。

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