【B05】すこし先の話

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 今泉が部室に入るといつもとどこか様子が違っていた。なにしろ静かだ。部屋の中に赤い髪がいるにもかかわらず。部室には三年生しか残っていない。三人は車座になって同じところを見つめていた。
「どうかしたのか?」
「今泉くん」
「今泉」 
 今泉が入ってきたことに気がついた小野田と杉元が笑顔を見せ、背中を向けていた鳴子はちらりと視線だけを寄こす。これが出会ったばかりの頃なら遅かっただのトイレがどうのと一言二言続いていただろう。鳴子がうるさいのは変わらないが今泉に対して必要以上に絡んでくることはなくなった。それはおそらく今泉も同じなのだろう。
 三人が見つめていた場所を今泉ものぞきこむ。
「これは……鍵?」
「ああ、これに入っとったんや」
 鳴子が寄こした封筒には『総北高校自転車競技部御中』と角ばっていて、しかしながら読みやすい文字で宛名書きがしてあった。裏返しても差出人の名前はない。
「さっき先生が持ってきてくれたんだ」
「なんの鍵だ?」
「それがわかったら苦労せえへん。せやけどなんか見覚えないか?」
 言われてみれば見たことがあるような気がする。しかし、どこなのかは思い出せない。だいたい今泉はどうでもいいと思うことは覚えない性質だ。そして自転車以外のほとんどのことをどうでもいいと思っている。だから「わからない」と正直に答えた。
「なんや、スカシとるくせに役に立たんやっちゃなぁ」
 前言撤回、やはり鳴子は今泉に絡んでくる。
「お前だってわからないってことだろう?」
 鳴子がさらに反論しようと口を開いた瞬間、杉元が「あっ」と小さく声をあげた。全員の視線を集めた杉元はあわてることなくゆっくりとうなずいた。
 「この消印って富士山じゃないかい?」
 杉元が指差した先にある消印は薄く、文字までは読めないがそのマークは確かに富士山だった。
「ほんまや、さすがキャプテンやな」
「か、関係ないだろう?」
 こう言われると杉元は必ず照れて否定するが確かに杉元はまわりをよく見ている。小野田も鳴子も、そして今泉も前しか見ていないところがある。今年のインハイも随分杉元の視点に助けてもらった。
 そんな彼だからこそ約一年前自分たちの世代のキャプテンに選んだのだ。最初は固辞していた杉元だが寒咲さんを含めた歴代のキャプテンや先輩に相談した挙句全員から背中を押されることになった。迷いもあったようだが杉元は歴代のキャプテンに勝るとも劣らない素晴らしいキャプテンだった。
「静岡って言えば金城さん?」
「古賀先輩もいるよね」
「パーマ先輩もな」
 静岡には洋南大学があり総北から進学した者も多い。今泉自身はまだ進路に迷っていた。インハイも終わりもうすぐ自分たちの世代はこの部室を去ることになる。キャプテンは決まった。次は自分自身のことを考える時期なのだ。ここに揃っている面々とも顔を合わせることもなくなるのだと不意に思った。
「どうしたの、今泉くん? なにかあった?」
 こういう見過ごしてほしいとき程、小野田はよく気がつくのだ。
「なんでもない。それよりこの鍵より筆跡から探した方がいいんじゃないか」
「筆跡?」
「ああ、OBに絞るなら証拠があるだろう。あそこに」
 今泉は親指で部誌が入っているキャビネットを指差した。
 
 全員で手分けして部誌をめくる。金城の筆跡に似ているような気もするが違うような気もする。そのうちみんな部誌の内容に引き込まれていった。このときはこうだったとか、あんなことがあったとか、言い始めたらきりがなかった。三年近く共有した時間は積み重なりいつの間にかこの部誌のように分厚くなっていた。
 
「わからないな」
「うん、決め手に欠ける」
「しゃあないな」
「そうだね」
 
 とは言いながら誰も帰ろうとは言わない。なんとなく全員が帰りがたかったのだと思う。こうして揃って過ごす時間はもう残り少ない。重ねた時間の分だけ終わりが近づいているのだから。そのことに今日改めて気がついたのだ。帰ろうという言葉を誰かが言い出すのを待っていたのだ。シンと静まり返ったそのとき小野田が立ち上がった。
 
「そうだ!」
「どうした? 小野田」
「探そう」
「なにをだい?」
「鍵穴に挿してみるしかないと思うんだ」
「手当たり次第っちゅうわけか? 小野田くん」
「うん!」
 
 学校の中だけでもどれだけ鍵穴がある扉があると思っているのか。もし学校じゃなければもっと数は多くなる。しかし、小野田は大真面目にうなずいた。三人が顔を見合わせて笑うと小野田はキョトンした顔をした。この男はいつもそうだ。突拍子もないないことを真面目な顔で言い出す。不可能だと言われてきたことをいつも実現させてきた。この小さな身体で。今まで散々その背中を見てきた。だから雲をつかむような話でも小野田が言えばできるような気になるのだ。
 三人がうなずくと小野田は「まずは部室からだね」と両の拳を握りしめた。
「よっしゃ、ほなきばらなあかんな」と立ち上がる鳴子と「しかしこの鍵の形状からいってロッカーじゃないんじゃないかい」と人差し指を立てる杉本。
「なにスカシとんねん。お前も手伝わんかい」
「鍵はひとつしかないんだから全員でやる必要はないだろう? まぁ、付き合ってやらんこともないけどな」
「いちいちやかましいやっちゃな。せやけどスカシも付き合いようなったな。一年の頃やったら『オレには関係ない』なーんて言うてたはずやろ」
 鳴子が指で目を吊り上げながらおかしな声色で言った。もしかしてオレの真似か。
「もしかしなくてそうだよ今泉」
 どうして杉本はオレの心の声に返事をするんだ。
「そりゃあ、ぼくはキャプテンだからね」
 
 わいわいと騒がしい部室の中で今泉は口元に笑みを浮かべた。この鍵のおかげで積み重ねた歳月を振り返り、残り少ない日々を大事にしようと思った。この鍵はきっかけもたらす鍵だったのかもしれない。
 ふと後輩たちがこの鍵を受け取ったらどうするだろうと考えた。鏑木は考えなしに鍵穴に突っ込んでいくだろう。そしてすぐに飽きてしまって放り投げた鍵を段竹が受け取るのだ。今泉は少し先のことを思って笑った。
 
「なに笑ろとんねん。おもろいことあるんやったら教えんかい」
「お前には言わない」
「なんでやねん!」
 
 突然、勢いよく部室の扉が開いた。
 
「みんなまだ残ってる。よかったー」
「寒咲、部室の扉を開けるときはノックしろとあれほど言っているだろう」
「ごめんごめん。今泉くんそれ三年間言い続けてるね。でももう今更だよね」
 寒咲幹はそう言って屈託なく笑った。そうだった彼女も自転車競技部で共に時間を過ごしてきた。自分たちを支えてくれてきた大切な仲間だ。
「どないしたんやマネージャー。血相変えて」
「お兄ちゃんが臨時収入が入ったからなんでもご馳走してくれるって。みんな行く?」
 一斉に歓声があがる。そういえば腹が減った。鍵探しは明日にしようと部室をあとにしようとしたそのとき、寒咲が小野田が持っていた鍵を指さして言った。
 
「あっ、その鍵って……」
 
 
End

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