F07『荒北くんとカラアゲ』

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 あら、大変。
 食堂に入ってきた荒北くんを見たときそう思った。
 荒北くんは一年生なのに学校中みんながその名前を知っている。ちょっとした有名人だ。なにしろひとめ見たら忘れられない髪型をしている。学生たちは遠巻きに見ているけれど食堂で働くおばちゃんたちには人気だったりする。なにしろ見た目は昭和のヤンキーを地でいく荒北くんだがちゃんと小さな声でもごちそうさまと言ってくれるし誰かが下げるのを忘れた食器まで片付けてくれる。その上、動かなくなった食堂の時計の電池をわざわざ入れ替えてくれるんだから本当はとても気のつく優しい子なのだと思う。
 私はたくさんの子供たちを見てきた。この箱根学園男子寮の食堂でずっと働いているから。どの子もみんなかわいいがごく稀に行く末が気になってしまう子がいる。私はこの食堂の中のことしか知らない。しかし食堂の中は外の世界の縮図だ。ひとりぼっちでごはんを食べる荒北くんが学校の中ではたくさん友達がいるとは思えない。荒北くんはいつもつまらないそうな顔をしている。おもしろいことなど何もない、こんなところにいたくないという顔でもそもそとおいしくなさそうにごはんを食べている。お腹が空いていない男子高校生などこの世にいないのでそれでも荒北くんはごはんを食べるのだ。
 このままでは遅かれ早かれ荒北くんは学校を辞めてしまう。そう思っていた。そしてここ一週間荒北くんの姿を見ていなかった。だから私は嫌な予感が当たったのだと思っていた。そのうち誰かが噂話をするだろう。私にはいつか彼が笑いながらごはんを食べる日がくることを祈ることしかできなかった。
 しかし、今日久しぶりに食堂に現れた荒北くんは人が変わったようだった。あの素敵な前髪はすっかり短くなっていたのだ。髪型もだけどなにより雰囲気がまるで違う。汗だくで食堂に入ってきた荒北くんは「大盛りで」と言ったもののごはんが喉を通らないようだ。よほど運動してきたのだろう。へとへとになっている。
 荒北くんの前に誰か座った。水を差し出しながら「食べることもトレーニングだ」と言ったのは自転車競技部の福富くんだ。この子も有名人だ。金髪なのに優等生らしく、よく食堂でもノートを貸してほしいと頼まれている。凛々しい顔をしているが甘いものに目がないらしくデザートが好物だったときにはかわいらしい反応をしてくれるので見逃せない。
「わーってる」
「昨日みたいに倒れるようでは困る」
「ッセ。悪かったヨ」
 荒北くんはプイと横を向いた。そういえば昨日遅くに福富くんが食堂におむすびを貰いにきていた。この寮では余ったお米でおむすびをこしらえて冷蔵庫の中に入れてあるのだ。なにしろ男子高校生はいつでも空腹なので朝になって残っていることの方が少ない。
 福富くんにじっと見つめられて荒北くんは目の前の料理に箸をつけた。食べ出すと勢いがついたようで一瀉千里に白米をたいらげていく。
「荒北、野菜も食え」
 福富くんの言葉を聞こえなかったふりをして荒北くんは野菜に手をつけない。福富くんが煮物の小鉢を押しやると荒北くんが押し返す。ふたりの間を小鉢が行き来する。
「食べないならオレもーらい」
 違う声がした。この子は新開くんだ。新開くんはいつもおいしそうにごはんを食べてくれる。新開くんは食べることが好きなのだろう。見ているこちらがうれしくなるぐらい幸せそうに食べる。ただ食べる量が少し、ちょっと、いやかなり多いのでこうして他の子のおかずを狙うときがある。
「新開、お前はもう食べたのだろう?」
「食っていいぜ」
 同時に発せられたふたりの言葉に新開くんはためらいを見せたが結局おかずには手をつけずに取り出したあんぱんの袋を開けた。どこから出てきたのだろう。福富くんが最後のダメ押しとばかりに荒北くんの前におかずを置くと荒北くんは仕方なしに食べ始めた。
「食うからァ。もう行けヨ。お前ら」
「しかし……」
「いいから!」
 荒北くんの剣幕にふたりは食堂を出て行った。ひとり残った荒北くんは時々むせながら、黙々とごはんを食べた。最後に残ったカラアゲを大きなひと口で平らげた荒北くんは小さな声で「ウメェ」と言った。聞こえたのは私だけだろう。思わず漏れたらしいその言葉には確かに感情がこもっていた。この食堂で初めておいしいと言ってくれた。荒北くんがごはんを食べておいしいと思えるようになったことがうれしかったのだ。
「やべェ、もうこんな時間かヨ。まだノルマ残ってるのに」
 荒北くんは慌てて食堂を後にした。急いでいてもちゃんと食器は片付けてくれた。 やっぱり彼は優しい子なのだ。

 その日から荒北くんは変わった。少しづつではあったが福富くんや新開くん、そして東堂くん達と一緒にごはんを食べることが多くなった。
「メシ食いながら電話すんなっつってんだろ!」
「すまんな巻ちゃん。外野が煩くて」
「だったらヨソで電話しろ!」
「なぁ寿一カラアゲ一個くれよ」
「ム。ならばデザートと交換だ」
「えー」
「てめ新開、福ちゃんのおかず狙ってんじゃネェヨ」
「じゃあ靖友がくれる?」
「渡す訳ネェだろ。カラアゲだぞカラアゲ。ここのカラアゲは世界一ウメェんだから」
 箸にカラアゲを刺したまま熱弁を振るう荒北くんに厨房から「ありがとね」と声がかかる。
「うっす」
 照れてしまった荒北くんは赤い顔をしてカラアゲに噛り付いた。
「ほぉ、荒北はここのカラアゲを世界一だと認めているのだな」
 いつの間にか電話を切っていた東堂くんも聞いていたようだ。
「ッセ」
「そうか。ではオレも改めて味わおう」
「えー、オレももうひとつ食べたい」
 その後、厨房から感謝の意味を込めて贈られた山盛りのカラアゲを見た四人はあまりの量に顔を見合わせて笑った。
 そう、荒北くんはちゃんと笑いながらごはんが食べられるようになったのだ。

 卒業式の前日ここを去る三年生たちが寮の掃除をするのが箱根学園の伝統になっている。食堂の担当は自転車競技部だった。隅々までピカピカに磨いてくれた。他の場所を担当していたみんなも最後は食堂に勢ぞろいした。
「ありがとうございました」
 美しい姿勢で頭を下げた福富くんに続いて「ありがとうございました!」と大きな声が広い食堂に響いた。
 もうすぐ高校生ではなくなる彼らに食堂からの餞別はおむすびとカラアゲだ。せっかくピカピカにしてくれた厨房を汚す訳にはいかない。総出で朝のうちに作っておいたのだ。

 おむすびを頬張る荒北くんと目があった。「あ!」と言った荒北くんはおむすびと反対の手に持っていたカラアげをいっぺんに口に入れて手を洗いに行った。そしておもむろに私に手を差し出した。

「また遅れてるのな。電池切れかけてんじゃネェノ?」
 そう言いながら私を壁から外した。あのときと同じだ。荒北くんが一年生のときもこうして電池を交換してくれた。誰も気がつかないか、気がついてもわざわざ台に上って変えてくれる人はいなかったのに。あれから私は荒北くんのことを目で追うようになった。おかげでちょっぴり時間がずれることがあったけど。
「お前遅れたり進んだり変な時計だったナ」
 荒北くんはそう言ってあの頃とは違う晴れやかな笑みを見せてくれた。

 私は箱根学園男子寮の食堂で働く時計。毎日壁からみんなを見守っている。ここには世界一のカラアゲがある。なにしろ食べた人が必ず笑顔になるんだから。

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