F05『ひとりきりの食卓』

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イギリスのとあるアパートメント。巻島裕介は一人、ソファに座って項垂れていた。
「参ったショ…」
兄が一週間ほど家を空けることになってしまったのだ。
一人が寂しいとか、子どもみたいな我儘を言うつもりはない。
問題は毎日の食事だ。一言で言えば面倒臭い。
普段は料理が得意な兄が振る舞ってくれる。イギリスの食文化に未だ慣れない裕介だ。作るのは億劫だが、外食は気が進まない。
「食えるもんあったっけ…」
あまり空腹は感じず、昼はコーヒーしか口にしていない。しかし現在の時刻はすでに夜の9時だ。さすがになにか食べなければとキッチンに向かい冷蔵庫を開け、食料庫として使っている棚をテッペンから漁ってみる。
「よくわかんねーショ…」
棚の半分を開けたところで、その場にしゃがんでため息を吐いた。
もともとキッチンは兄の城だ。食材を見てもレシピは思い浮かばない。
普段から兄とは生活のサイクルが合わず、イギリスにきてからは1人で食事をすることが多くなった。昼飯も滅多に誰かととることもない。
「パンでもかじるか…」
ため息を吐いたあと顔を上げ、再度棚に手を伸ばすが目ぼしいものはなく、諦めつつ最後のひと棚をゆっくり開いた。
「…ん?これは…」
扉の中を覗き込むと、そこにあったのはひとつの段ボール。渡英後、滅多に見なくなった日本語がプリントされたそれは東堂尽八から送られてきたもので、この約一年定期的に食品が届く。母親よりも頻度が高い仕送りに最初のうちは毎回感謝を伝えていたが、ここ数回はいちいち連絡はいれていない。自分でも随分な仕打ちだと思うけれど、東堂相手だとどうにもそういった配慮の部分が抜け落ちてしまう。
ごそごそと段ボールの中身を漁ってみる。そう言えば今回は中身を見ずに仕舞い込んでしまっていた。荷物が届いたのは確か、2カ月は前だ。
「スパゲティとか…こっちにもあるショ…」
脳裏に「スパゲティはいいぞ!」と高らかに笑う東堂の顔が浮かび苦笑する。恒例の手紙も発見してしまい、読まずに放置していたことに少々罪悪感を抱く裕介だったが、あとで読もうと左の尻ポケットに押し込んでしまった。
「うわっ」
それとほぼ同時に、右の尻ポケットに入れたスマートフォンが振動して思わず情けない声を漏らす。慌てて手を伸ばし、画面を覗くとそこには『東堂尽八』の名前。
「このタイミングでかけてくるとか、エスパーかよ…」
噂をすればなんとやら、だがあまりにタイミングが良すぎるので数秒出るのを躊躇ってしまうけれど、東堂に対して多少の後ろめたさを抱いている裕介は通話ボタンを押した。
「もしもし巻ちゃん!?今イギリスは夜の九時を過ぎたくらいか!?」
相変わらずのテンションの高さに相まって、今日はなんだかいつもより声が大きい。思わず耳から数センチスマホを離す。
「そうだけど…てか、いきなり電話してきてどうしたんショ」
「特に用はないが…夕飯はもう食べたかなと思って」
「…まだショ」
まさかの旬の話題に、驚きを隠せない。
「今は1人か?」
裕介の兄の帰りがいつも遅いのは、何度目かの電話で東堂も知っている。わざわざ嘘を吐く意味もないので「そうショ」と答えて、兄の不在がしばらく続くことを話す。
「一週間ひとり?!巻ちゃん…生きていけるのか?食事はきちんととるのだぞ」
「…めんどい」
心底失礼な奴ショ。裕介はそう心の中で呟きながらも、別の本音をポロリと口にした。
「大学の友人は?外食が嫌なら、部屋に招いてだな…」
裕介の性格を把握している東堂は、いちいちそれ以上情報は聞きださなくとも会話を続けられる。
「そんなことで、悪いショ」
「なにを言っているのだ、巻ちゃん!そう言う時に電話して、損得なしで動いてくれるのが友だろう?」
「……そんな友人が居たらの話ショ」
人間関係を形成するのがなにより苦手な裕介は、イギリスで友と呼べる人はほとんどいなかった。数少ない友人とも、どうしても壁を作ってしまう。
「いいか、巻ちゃん。この俺がなぜ、カップ麺やら甘い菓子…ジャンクフードをわざわざ送っていると思う?」
「ただの嫌がらせ?」
「……巻ちゃんあのな…」
電話の向こうで東堂が天を仰いだのがなんとなく分かった。
「最初は適当に送っていたんだが…リアクションがあまりにないから、前回の分は巻ちゃんに送りたいものを総北の田所くんや金城くん、あとメガネくんにもだな、聞いてチョイスした」
「…ハァ!?」
まさかの人物たちの名前を聞いて、裕介は再度段ボールを覗きこむ。
そこには数々のインスタント食品やお菓子。よく見ればその一つ一つにふせんが張られていて、『金城』『田所』『眼鏡君』それに一番大きな紙袋には『総北メンバー』と書かれ、中には大量の駄菓子が詰め込まれていた。
「友だち作りのきっかけになればと思って、日本でしか売られていないものを送っていたのだが…どうやら巻ちゃんには1から10まで説明が必要だったようだな。すまん、俺の配慮が足りなかった」
「…今のは確実に嫌がらせてか、嫌味ショ」
「それは分かるのだな!ウハハハ!」
楽しそうに笑う東堂の声に釣られて、裕介の口角も上がる。まさかそんな意図が合って仕送りをしてくれていたとは夢にも思っていなかった。
「嫌いな人と一緒になにかを食べるという行為を、人は無意識に避けると言われている。友人を作るきっかけもそうだが、相手との距離を図るのにも『食事に誘う』のはうってつけの行為だぞ」
人生相談窓口にでも電話してしまっただろうか。そんな冗談を口にしたら、怒られそうなので黙っておく。
「もちろんそれはただのきっかけに過ぎない。あとは巻ちゃんがどれだけ、相手にアクションを起こすかがカギだ!日本のジャンクフードを送ってもらったから一緒にどう?と言えば、イギリス人もイチコロではないか!?」
「新手の詐欺かよ…」
「…ゴホン!とにかくだな。どうしてもの時以外はできるだけ誰かと食事をとるべきだと俺は思う」
ハイテンションになったトーンを咳払いで落ち着かせた東堂は、真剣な声ではっきりと告げる。
「そんな友人いな…」
「今は!そうかもしれないし、最初は苦痛に感じるかもしれない。少しずつでいいから、巻ちゃん」
『いない』と言いかけた言葉に被せるように東堂は強い口調で告げたが、語尾は掠れた声になった。
「尽八ィ…」
「な、なんだね巻ちゃん」
突然名前を呼ばれ、東堂の背に緊張が走る。
「……兄貴より、母親よりも最上級にお世話が過ぎるショ」
クハッと笑って、小さな声で「ありがとな」と付け加える。電話の向こうで東堂が大きく頷くのが分かった。

ああそうだ。裕介は改めて、自覚する。
自分は食べることが面倒ではなく、一人でする食事が苦痛だったのだと。
日本に住んでいた時は、夕食はもちろん母の美味しい手作りだったし、もちろん現在兄の作る料理は同じ味がする。昼ごはんは適当に、サンドイッチなどパン食が多かった。市販のそれは格別美味い訳ではなかったけれど、それでも面倒だと思ったことはない。特に金城や田所、自転車部のメンバーである仲間との食事はとても充実した時間だったと思う。
誰かとともにご飯を食べることが、仲間との団欒が、こんなに恋しいと思うなんて夢にも思わなかった。
いや、本当はイギリスに来てからすぐ感じていたはずだ。自分が目を背けていただけで。

「1人で食べる豪勢な食事より、大切な人たちとの食卓に並べられるジャンクフードの方が、俺は美味いと思うぞ」
人一倍、食生活に煩い東堂尽八から発せられたとは思えない台詞を聞いて、裕介は明日の昼食に誘う友人の顔を頭の中で思い描いたのだった。

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