F02『いのちのおはなし』

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 食事の前には、「いただきます」と言う。
 いただくのは、別のいのちだ。
 
 
 テレビの中で、真面目な顔のニュースキャスターがクジラの話をしていた。
生態調査のために、クジラを獲る。しかし調査のためだけに殺すのは申し訳ないから、きちんと肉にして美味しく食べる。それを「クジラを食べるなんて野蛮だ、可哀想だ」と主張する誰かが攻撃する。攻撃された方は「それは違う」と反論する。終わりのない水掛け論。
 新開はそれを、ぼんやりと眺めていた。
「……クジラって美味いのかな」
 誰もいない談話室に、誰も聞かない声が消える。
お盆休みの男子寮は静かだ。多くの生徒は帰省している。寮に残っている生徒も、今はたまたま外に出ているか部屋に籠るかしている。新開は何をすることもできないまま、談話室のソファーでだらけていた。
 暑いとは思うが、クーラーの設定温度を下げるために腕を上げることすら億劫だ。当然、テレビを消すためにリモコンを取るのも、操作するのも。だから、興味のないニュースをただ垂れ流している。呼吸さえどこか億劫だ。
 インハイ後からずっと、火の消えた松明が腹に居座っている気分だった。
「……腹減ったなあ」
 空腹ではあるが、同じくらいに眠い。とろ火にかけられた意識が、だらだらと意味のない思考を垂れ流していく。ニュースが右から左へ通り抜けていく。
 なぜだろう。
 半ば眠りに落ちそうな意識で、ウサギのことを、思った。
 
 ――今朝のウサ吉は、主人たちの敗北なんて知りもしない顔で呑気にキャベツを貪っていた。食堂のおばちゃんたちからもらった緑の葉を千切って口元に差し出すと、もしゃもしゃと小気味よい音を立てて餌を食べる。飼い主に似たのだろう、食べ終わると次を催促するように鼻先で指を押してくる。最近太ってきたよな、気を付けてやらなくちゃ。窘めるように鼻面を押し返したら、不満そうにぷうと鳴いた。
 その耳裏を掻いてやりながら、耳元に蘇る声があった。
 
『――あれ? 〝うさぎ美味しい″、やったっけ? ひき殺したあと、食べたんやっけ?』
『美味しかった? 毛ェむいて、骨もって、肉食ったんやろォオォ!!』
 
「……やっぱり」
 ぽつ、と呟いてもウサギは気にも留めない。こりこり、細く切られた人参を精一杯咀嚼している。一心不乱に、生きるためのいのちを貪っている。
「御堂筋くんは、純粋だなあ」
 薄く笑んで言っても、ウサ吉は気にしなかった。残る餌を適度に餌箱に置いて立ち上がる。飼育箱の鍵をきちんと閉めて去っても、ウサギが新開を振り返ることは一度もなかった。
 
 新開はかつて、ウサ吉の母親を轢き殺した。
 それを揶揄して、御堂筋は「食ったのだろう」と嘲った。
 
 ――育ちがいいのだろう、と、思ったのだ。
 もちろん、インハイの最中ではない。今の話だ。あの極限状態の中でそんなことを考える余裕などない。その時は純粋に、過去の自分の罪に怯え、悔恨し、そして現状をなんとか打破しようと走っていた。御堂筋が右を詰めてくるなら、左を抜かなくてはならない。トラウマを克服しなければならない。だから御堂筋の言葉など考えている暇はない。
 だけど、今になってふと、思う。
 生き物を殺した。それについて、煽りであれ、嘲りであれ、「食ったのか」という発言が出てくるのは、きっとそういう躾をされてきたのであろう、と。
 いのちは、別のいのちを食べて生きていく。
 だから、食事の前には死んだいのちに感謝する。「あなたのいのちをいただきます」と手を合わせて言う。欧州では食事は神の恵みとするから神に感謝を捧げる。日本では、直接糧となったいのちに祈りを捧ぐ。そう言っていたのは、世界史の教師だっただろうか。
 今時、そんなことを一々考えて食事するものなんてほとんどいないだろう。食事は娯楽だ。食事は快楽だ。食事は日常だ。そこにいのちが介在するなんて、普通は考えない。だから、「ウサギを轢き殺した」という事前情報があったにせよ、「食ったのだろう」と嗤える御堂筋には、一種の純粋さがうかがえる。食うために殺す。殺したから、食う。
 だが。
「……違うん、だよなぁ……」
 うとうととする意識の中、呟く。
 御堂筋が嘲るために言った、「殺して食った」「食うために殺した」。その方が、新開が実際にしでかしたことよりもよほど上等だった。自然の摂理にそぐう。どこでも行われる正当な行為。当たり前の食物連鎖だ。
 でも新開は違う。
 勝つために、殺した。
 あれは事故だ。ウサギがあの局面で飛び出てくるなんて思ってもみなかった。慌ててブレーキもかけた。故意ではなかった。間違いなく、事故だ。
 その後、見捨てたのは勝利のため。
 新開がそこに残っても、何か出来たわけでもない。獣医でもないただの高校生に手当などできる訳もなく、ましてやレースの最中だ。ぐずぐずしている間にも敵との差は広がっている。ならば走れ。レースに戻れ。そして勝て。誰よりも速くゴールを掴め!
 ――その為に新開は一つのいのちを犠牲にした。
 勝つために見捨てた。足が地に着いたのは一瞬で、頭はすぐに勝利とレースのことで一杯になった。小動物が飛び出てくるなんてロードレースではありふれたことだ。知っていたから顧みもしなかった。頭の中はレースに勝てるか、いかにして前の選手を抜き去るか、それだけで占められていた。
 誓って、悪意はない。害意もなかった。ただ、優先順位が違っただけだ。箱学として出場していた。故に勝たねばならなかった。ありふれた「トラブル」に足止めされることは許されず、そこで気を切り替えてレースに戻れることも、また新開の強さであった。
 レースには勝った。
 表彰台で優勝の花束を掲げ、喝采を浴び、流石は箱学だと称賛された。意気揚々と帰り道を通りがかった時、ウサギの死体を見つけた。傍らにはまだ生まれて間もないのであろう子ウサギがいた。母親の死も分からず寄り添い、その毛皮を赤く染めていた。
 新開が近寄っても、逃げもしなかった。
 
 相棒からは、鉄の臭いが今更ながらに漂っていた。
 
 
 すべてのいのちは、いのちを食らい、いのちに食われる。
 新開も、御堂筋も、ウサ吉も、福富も、荒北も、東堂も、泉田も、真波も。誰だってそうだ。なにかのいのちを食っている。食べなくては生きていけない。誰かのいのちを消費して生きていく。全員同じだ。
 食べることを供養だという人がいる。食べるために殺すことを野蛮だと言う人がいる。食べることにいのちを繋げて考えない人がいる。食べるときにいのちをいただいているのを忘れないようにしましょうという人がいる。殺すのはかわいそうだから野菜だけ食べようという人がいる。野菜もまたいのちなのだからそれすら食べないという人がいる。感謝して食べればよいのだという人がいる。何も考えず食べる動物がいる。その動物に食われるいのちがまた、ある。
 すべてのいのちは、いのちに食われ、いのちを食らう。例外なき節理である。
 けれど。
「……はら、へったなあ」
 
 
 ――新開の「鬼」は、勝利を食うのだ。
 
 
 その罪を悔やんだ。何度も後悔した。自転車に乗れなくなった。ペダルを踏めなくなった。左を抜けなくなった。右を抜けばいいのだと知った。仲間に助けられ、仲間に救われ、インハイに出て、御堂筋に己の罪を突き付けられ、嘲られた。その中で過去を克服し、鬼を開放し、右を抜き――そして、負けた。スプリント戦にも、インハイにも。
 だから、きっと。
 鬼は、まだ勝利に飢えている。
 
 テレビの中で、ニュースは既に次の話に入っている。
 意味もとれない話を聞き流しながら、新開はとろとろと眠りに落ちていった。
 

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