F01『だってセンパイだし』

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 大学でも長期休暇に合わせて合宿というものはある。三年生ともなれば、もうすでに恒例行事と化して新鮮味も何もない五泊六日だが、今年は新入生としてハコガクの真波が入ってきた。その才能を間近に拝んでやるいいチャンスだなと、やや意地の悪いことを考えながら参加したオレだったが、なんと敵がまっしぐらにこちらの懐に飛び込んできたため、コロリと手のひらを返してしまった。
 一日目の夜にはあっさり陥落しました。ごめんなさい。めろめろです。だって登れる上に素直で人懐こいなんて、非の打ち所がない後輩じゃないか!
 そして冷ややかな眼差しの荒北を尻目に、真波の世話をせっせと焼くこと数日、事件は四日目に突入したところで起こった。
 夕飯に、ピーマンの肉詰めが出たのである。
「ピーマンだあ」
 いつも通りオレの正面の席に着くなり、真波が悲しげに眉を下げた。
「なんだ、嫌いなのか」
「はい」
 しゅんとした空気を全身に背負って、真波が頷く。でかい目を潤ませて、まるで世界が滅びたかのような消沈ぶり。正直に言って、そこまで嫌なのか、と驚いた。同世代のこういう反応は、小学校の頃の給食以来だ。
「金城さんはピーマン好きですか?」
「好物というほどではないが、嫌いではないな」
「そっかあ」
 肩を落としたままの真波を置き去りに、周囲でいただきますという声が上がり始める。食事の後もミーティングなどが控えているので、あまり時間がないのだ。
「食の好みは人それぞれだし、ピーマンを食べないからと言ってそこまで健康に害が出るとは思わない。だがまあ、食べられないものが少ないに越したことはないな。どうだ、ここで挑戦してみないか」
「うえー」
「真波」
「……はあい」
 言い聞かせれば、渋々と箸を取り上げる。素直だ。かわいいと形容してもいい。そんなことを言おうものなら、荒北にうんざりした顔をされそうだけれど。
「うーん、やっぱり美味しくないです……」
 そして一口食べた後、垂らした目尻はそのままに、真波は湯のみに手を伸ばした。舌に残った味を洗い流そうという魂胆だろう。
「そうか」
「はい」
 ため息をつきながら卓上に戻された湯のみの中身は、もう半分まで減っていた。やれやれ。苦笑して、各テーブルにひとつずつ備えられた薬缶からお茶を注いでやる。うーん、足りないかな、このペースじゃ。
「でも残しちゃったら、作ってくれたひとに悪いよね」
「まあ、そうだなあ」
「そもそも食べないとバテちゃうし」
「確かになあ」
「ううう」
「頑張れ」
 ピーマンを睨みつけている後輩に応援の言葉をかけながら、オレも箸を持った。冷めないうちに食べよう。オレ自身は幸いなことに好き嫌いはほとんどない。
「アー腹減ったァ」
「遅かったな」
「監督、話長ェんだもん」
 さていただきますと構えたところに、バタバタと荒北が走り込んできた。今日は夕方まで脚質別の練習メニューで、荒北のところは練習の終わりに監督から集合をかけられていた。解放されたのが遅かったらしく、そこのチームのメンバーは風呂に現れたのもギリギリだった。最速でシャワーを済ませたのだろう、濡れたままの髪をかきあげ、荒北が真波の隣の椅子を引く。
「イッタッキマース」
 そして座るが早いか、荒北はピーマンの肉詰に箸を入れ、あっという間にピーマンと肉を分離させた。当然といった顔であまりにテキパキと作業を進めるので、オレは唖然とその様を見つめてしまった。行儀が悪いとか何を考えているんだとか、そんな言葉は遥か銀河に消し飛んで、ただただその手元を凝視する作業に注力すること数十秒後、荒北の皿はピーマンの皮が六枚、肉団子が六個という状態になった。
 おいおいおいおい。
「荒北、おまえもピーマンが嫌いなのか」
 ようやく口にできたのはそんな質問。しかし、荒北はこちらの様子などお構いなしに、肩を竦めた。
「ちげーよ、これはこっち」
 言いながら、真波の皿を取り上げ、自分の皿と交換し、ピーマンの皮だけを引き取る。
「なんだ、一口食ったのォ? えらいじゃん」
「金城さんが応援してくれました」
「そりゃまた豪勢だネ」
 おいおいおいおい。
 そのままなんの躊躇いもなく、真波が齧った肉詰めを口に放り込んだ荒北を見て、オレは頭を抱えた。
「なあ」
「ナニ」
「説明してくれ」
「ピーマン食わなくても別にそんな問題ネェだろ」
「そうじゃなくて」
「こいつ、ピーマン嫌いなんだヨ。子どもみてェだよな」
「そうじゃなくて」
「ナニィ?」
「いや、いい、わかった」
 高校時代の後輩の好き嫌いを知っているかと問われたら知らない。そして知っているからと言って、あんな風にカバーしてやるかと言ったらしない。が、これが間違っているのか? オレが冷血人間なのか。
 しかしオレの戸惑いなど知らない真波はニコニコとピーマンの剥がれた肉団子を食べているし、荒北はその隣で肉詰めの上に更にピーマンをかぶせてかぶりついている。二人の間に漂う空気はどこまでも普通で明快だ。よくある日常の一コマですといった感じだ。
 常識が揺らいでその日の深夜、オレは田所にたまらず電話をかけた。オレの話を聞いた後返ってきた言葉は「いいから寝ろ」だった。もちろん寝られなかったので、迷惑と知りながら手嶋にも電話をかけた。唐突なまでに嫌いな食べ物を聞けば、気の回る後輩は何を察したのか余計なことは一切口にせず、「最近、プンタレッタを克服したいと思っています」と答えてくれた。

「よし、手嶋、オレとおまえが食事をして、プンタレッタが出てきたら、必ずオレがおまえに先んじてやっつけてやるからな。安心しろ!」
「あの金城さん、シチュエーションが謎すぎませんか!?」
 いいんだよ、あんな風に見せつけられて、黙ってなんていられるか! プンタレッタというものの正体は見当もつかないが、先輩らしく食らってやるさ!

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