E06『影』

焼きたてホカホカの焼き鳥を食べながら、取りとめのない話をさかせる。おおっぴらに酒が飲めるようになって、ビールの味も覚えた。話題は本当にどうでもいいことだったけれど、楽しく飲んでいた。
いらっしゃいませぇ、と威勢のいい店員の声が響き渡り、他の店員もそれに続く。グループ客らしい人たちが一気に入ってきて、にぎやかだなぁとそちらに目をやり……固まった。
気持ちいい酔いがきれいさっぱり消えた。
顔をゆっくりと伏せ、入口から見えないように座っている角度を少しだけかえる。テーブルがいくつも並んでいる居酒屋で、他にも大勢の客がいる。いやそれ以前にオレのことなんか覚えていないさ。そうやって下を向いていたのに。

「あれ？手嶋くんじゃないかい？大学この辺なんだ？」
下を向いていたのに、相手は一緒に入店したグループから抜けてまでこちらに歩いて来たらしい。無視する事も出来ずに顔を上げるしかない。
「ええ、まあ」
愛想笑いを顔面に貼りつけて、対応する。同じテーブルを囲む友達たちの視線が痛い。
「自転車は？まだ続けてるの？」
直接の後輩でもないのに、何故と思ったがライバル校の元エーススプリンターと自分の共通点はそれしかない。
「大学が、忙しくて」
そうだよな、新開さんはそういって手を振りながら去っていった。
わけのわからない汗が背中を滑り落ちる気持ちの悪さ。顔がこわばったオレの顔はよっぽどだったんだろう、ニヤついて誰だと聞いてきた友達が口をつぐんだ。

大学にすすむにあたって、自転車を続けることは選択しなかった。インターハイを終えて、オレは本当にすがすがしい気持ちで自転車を降りた。これからは自転車以外にも目をむけようと、自然に思えた。その気持ちは、中学三年生の秋、まるっきり芽がでない自分にいら立ってサイクルジャージを捨てた時と全く違っていた。やりきった、と思えていたからだ。
とはいえ、すっぱり辞めてしまったわけじゃない。今通っている大学には自転車部がないし、中学・高校時代のような練習をすることはできない。毎日毎日汗水たらしてペダルを踏んでいた生活を送っていては、勉強もバイトもできやしない。週末にちょっと遠出をするレベルで、自己紹介で「趣味は自転車です」と言うのが許されるのか怪しい。レースも……しばらく出ていない。
大学一年の秋、出場したレースは散々だった。そりゃ受験と進学で満足いく練習はできなかった。でも……もう少し出来るって思っていた。腐っても、オレは総北の主将だったんだぞ、インターハイ走ったんだぞという自負があった。
結局そのレースで思い知ったのは、自分が凡人であるという事実だけだった。
才能が無い分を、努力で補ったインターハイ出場。少しずつ積み重ねるのがオレのスタイル。わかっていたつもりだったのに、たった一度インターハイに出て走っただけで、図に乗りすぎていたらしい。
古賀が何度か送ってくれた大学のレースの動画も、結局最後まで観られなかった。高校時代にイヤってぐらいデータをみて頭に叩き込んだ選手たちが、画面の中で汗まみれになって走っている。彼らもオレも「インターハイ経験者」「インターハイ出場者」だ。でも、この差はなんだ？

「おい、手嶋」
さっきまで食べていた料理も、飲んでいたお酒も口をつける気が失せてしまった。
「ごめん、先帰るわ」
荷物を手に取って立ちあがる。
「明日請求するからよ」
「うん、ごめんな」
テーブルを囲んでいた友達たちは、大学に入ってから仲良くなったグループだ。オレが高校時代何をやっていたかを詳しくは知らない。オレも友達の過去をあまりよく知らない。
だから、こうやって途中で席を立って帰る理由をうまく説明できなくても、こいつらはきっと深くは踏み込んでこないだろう。
それでいい。そこは……もう誰も踏み込めない場所になってしまったから。

店を出ようとした時、背後でわぁっと歓声があがった。振り返るとそれは新開さんたちのグループで、その首にはメダルがかけられていた。華やかなスター選手が湛えられている光景に、さっき飲んだアルコールが胃の中で泥水に変わる。

現実は……どこまでも、残酷だ。

ポケットから携帯電話が着信を伝える。みると先ほど飲んでいた友達からのメッセージだった。
【こんど何食いにいく？】
大丈夫か？何があった？そう聞いてきても不思議じゃないのに、わざわざこんな能天気なことを送って来るなんて。
携帯を操作して、以前話題に上った店の情報をいくつか送る。
友達には恵まれてるよな、と再び歩きだす。まだ時間は早い、飲み屋街へ向かう人の流れとは逆に駅へ向かった。

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