E03『あげる』

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母さんの作る唐揚げが一番の好物だ。
料理上手な母さんは油や揚げ方にまでこだわり、その匂いがするたびに呼ばれてもいないのに台所まで降りていく。
自転車雑誌を読んでいようがお構いなく、その時ばかりはやんちゃなあいつらよりも先に。
皿に積まれた山に箸を差し込み、好きなだけ食べてみるイメージをする。
揚げたてだ。じゅわりと口の中に熱さが広がる。かりかりとした鳥皮がたまらない。
絶対に美味い。止められなければ、腹を壊すほど食べてしまう。
そっと箸を伸ばし、口に素早く含み、齧りつく。
手と唇を油で汚し、あまりの美味さに目を輝かせ、次に手を伸ばす。
それを咎められ、頭を叩かれ怒られる。あるいはお行儀が悪いわよと苦笑いされる。
その姿を、思い浮かべる。
 
母さんが、そんなオレに気づいて振り向き、にこりと笑う。
 
『ちょうどよかった。小皿に取り分けて、テーブルまで運んで頂戴』
『それが終わったら、あの子たちを上から呼んできてね』
 
だからこれはオレの夢。
できもしない、小さくてささやかな夢だった。
 
 
 
 
 
「段竹。オレは決めた」
帰り道、大きく胸を張り、一差は言い出した。
はきはきと通る声。先輩達は既におらず、オレと一差の二人だけだ。
「それはオレが聞いても分かることか?」
「当たり前だ!オレが分かることがオレより頭のいいお前に分からないわけがない!自信を持て段竹!」
きっぱりとそう断言する。
(いや、それは威張るところじゃないんじゃないか?)
どんな理屈だとは常に思うが、その言葉にどこか安心するのもいつものことだ。
「そうか、じゃあ、何を決めたんだ?」
「オレはオレンジビーナの神様に会うっっ!会ってお礼を言う!」
きっぱりと。迷いもなくそう言いのけるので、思わずペットボトルを取り落としそうになった。
いや、落とした。
 
一差が、神様、と言う名前を口にするようになったのは、IHのメンバーに選ばれて少ししてからだ。
どうやら一差の練習中に、「誰か」が一差にこっそりとオレンジビーナを差し入れ、アドバイスのメモを残しているらしい。
それを一差は、「神様からのメモ」だと呼んでいる。そういう話だ。
最初はまさか妙なものにでも騙されてしまったのかと余計な心配をした。
もし何か聞かれたら一差の親にどう言おうと胃を痛めていたが、すぐにそれもなくなった。
一差の言う「神様」が誰なのか、検討がついてしまったからだ。
(無口で、何も言わないから、オレも気づいてないふりで黙っているが)
何より、一差がどうもその正体に気づいていないらしい。それをオレの口から明かすことはとてもできない。
妹がサンタを信じていた時に、オレは正体を知っていたのに必死で口裏を合わせてサンタを信じているふりをしていたことを思い出した。わざわざ妹に付き合って「サンタさんへ いつもプレゼントありがとう」、なんて恥ずかしい手紙まで書いて。
「どうやって会うつもりなんだ。今までだって、一度も姿を見たことはないんだろ」
(本当は知り合いだと思うけどな)、その言葉を呑み込む。
「それならちゃんと考えてある。オレンジビーナを沢山買って、あげるんだ」
あまりにも当然のように言うので、一瞬矛盾を感じ取れず、やがてじわじわと気づく。
いや、どうして一差がオレンジビーナをあげることになるんだ。
その行為に至った理由を聞くと、
「いやおかしいと思ってたんだよな?どうして神様はいつも、オレンジビーナを置いているんだろうって。
だって自動販売機には、他の飲み物も沢山あるだろ?なのになんでオレンジビーナだけなんだ、って。そして天才の俺様は気づいてしまった」
置いているんじゃなくて奢ってくれているんだ、と言いたいのはとりあえず脇に置き、「気づいていたのか」と念のため確認をする。
中身は小学生なのに妙に鋭い時があるから、たまにオレですらどう反応していいのか困る時がある。
一差はそこまで言って、ふと真面目な顔になると、ちょいちょいとオレを手招きする。これは言いにくいことを言う時の一差の癖だ。
とはいえ、それが本当に大事なことだった覚えはあまりない。きっと今回もそうだろうと思ったが、オレはその手に従った。
ぼそりと、一差はオレの耳元で呟く。
 
「―――神様は、オレンジビーナが好きなんだ。しかも毎回だ、こりゃ相当愛しちゃってるな。だからオレンジビーナを沢山用意すれば、それにつられてやってくるはず。これ、誰にも言うなよ。オレとお前と神様だけの秘密だからな」
 
違う。多分いや絶対に違う。完全にカブトムシと一緒にしているだろう一差。それにやっぱり秘密にするような大したことじゃなかった!
だがこの目を見て、誰がそんなことを言えるだろうか。オレは無理だった。早々に諦めた。
「オレに好きなものをわざわざくれてたってことだ。アドバイスだけじゃなく好きな飲み物までくれる。めちゃくちゃいい神様だ。神の中の神だ。段竹、だからオレは恩返しがしたい」
 
喋るのをやめ、同時にぴたり、と一差が立ち止まる。
夕焼け空の下、一差のオレンジの髪は、よく映える。
 
「神様にもらったものを返したい。だからお前も協力してくれ。出世払い?する!」
多分この場合の出世払いはお前が口にする言葉じゃないぞ、一差。
分かっている。一差の言うことの多くは、勘違いであることも。
けれど、正体は知らずとも、素直に正面から神様を称え、恩返しをしたいと言う。
それに、オレも付き合いたいと思ったのは、本当だ。
 
「そうだな、オレでよければ力は貸す。だが何をすればいい?その、オレは小遣いが少ないから金はないんだ」
協力してやりたいのは山々だが、購入費用を出すのは難しい。自転車だけで精いっぱいだ。
というより一差にも買うお金があるのだろうか、そう思っていると、ばかだな段竹は、と鏑木が笑った。
「友達から金もらうなんてするかよ!段竹、おまえのお母さまに頼んで欲しいんだよ。唐揚げ作ってくださいって」
―――唐揚げだって?
唐突な言葉に、一瞬反応が鈍る。疑問に思ったのはオレだけのようだ。一差は「ああ」、と迷いもなく真っ直ぐに言い放つ。
「オレンジビーナに一番合うのは、段竹んちのお母さまの唐揚げだろ?神様にも教えてあげたいんだ。さすがの神様も、そこまでは知らないだろ?」
一差は何度か、オレの家に夕食を食べに来たことがあったし、そのたびにオレの母さんを「お母さま」と呼んでこんなうまいもの食べたことない神の味だ天才だと繰り返し言っていた。母さんはそれはもうすっかり気を良くして、(またいつでも来ていいのよ)なんてニコニコ笑っていた。
その時のメニューは、確かに唐揚げだった、母さんの得意料理。
その話を、一差は今しているのだ。
「あんなうまいもの、オレと段竹だけで秘密にしとくの勿体ねーもん。神様にはお礼したいし、教えてやるんだよ」
オレの母さんの作る唐揚げが美味かったからという理由だけで、それが当たり前だと言う。
 
(―――本当に、小学生だ。オレにはそんなこと、とてもできない)
一差ならきっと、その山にも手を伸ばすだろう。自分のものどころか、誰かのものにまで。オレには夢止まりで、手を伸ばせなかったところまで。
それはきっと、格別に美味いんだろうな。食べてはいないけれど、一差を見ていると、そう思える。それが羨ましくもあるが、今は一差に食べさせてあげたかった。
 
「だから、あー!何笑ってんだよ、段竹!」
面白いことがあったならオレにも教えろ、とごねる。間違いない。やっぱりこいつは、本当に手にしてしまうと思う。オレの見た夢のその先に。
 
「違うぞ、一差」
「唐揚げをあげたら喜ぶだろうな、と思ったんだ。神様が」
一差だけが知らない無口な神様は、きっと喜んで食べるだろう。

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