D07『期末試験まであと10日』

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「インターハイまであと一か月だな」
 
朝練で海沿い16号から山をまわる60kmコースの帰り道だった。クールダウンを兼ね緩い速度で流す隊列の、先頭の田所の感慨を巻島の耳が拾った。
 
「その前に期末ショ」
 
巻島裕介はリアリストである。去年のインターハイの雪辱は当然のことだが、高校生にはその前に難関がひとつ待ち受けている。
 
「巻ちゃん!調子はどうだ!?体調もそうだが、期末試験もしっかりな!古文は大丈夫か?赤点でインハイに出場できないようではあの日の約束が果たせないからな!もし巻ちゃんがどうしてもというのなら、登れる上にトークも切れる、そしてこの美形!しかも古文も得意!天は三物、否!四物を与えた!そう、この眠れる森の美形東堂尽八が千葉まで巻ちゃんに古文を教えに」
 
ブツッ!…ツー、ツー、ツー。
 
昨晩の巻島は東堂からの通話を一方的に切ると速攻で携帯の電源を落とし、そのまま寝た。今朝携帯の電源を入れたところ未読メールがえらいことになっていたが、送信者は全て東堂からだったので読まずに食べた…ではなく、削除した。
 
「巻島ぁ!どうしてオメェはそういう盛り下がる方へ会話もってくんだよ!」
 
田所が不満そうに声を上げる。
 
「インハイの前に期末があるのは事実っショ。オレが弾む会話が苦手なのも事実っショ」
「巻島の言う通りだ」
 
オイオイ金城、今の同意はどっちの事実ショ?
 
「…まぁそうだな。赤点取ったら補講だしなぁ。…しっかし今日は消耗が早いぜ。朝飯食ったのに補給が追い付かねぇ。…残り1本、あぶねーところだったぜ」
 
田所が気分転換と補給を兼ね、背中に携帯していた最後のパワーバーを口に咥えた。
 
「…その声は、我が友、李徴子ではないか?」
 
金城の発した声は、大きくもなく、小さくもなかった。しかしよく通る声だった。しばらく、といっても多分十数秒だが、ラチェット音だけが6人の隊列を支配した。
 
「オイ、なんでここで『山月記』が出てくんだよ!」
「…ムダにいい声っショ」
 
この前現国で学習したばかりの田所と巻島は、それぞれの心からの感想をそれぞれの音量で口にした。
 
「いや、田所が今『あぶないところだった』と。期末試験の範囲だしな」
 
金城がふざけているのかいないのか、隊列の中では声だけ聞いても分からない。
 
「金城、虎ならオレじゃなくて赤頭の方だろ!とは言っても人食い虎の迫力っつったらまだまだだけどな!」
「ちょっとオッサン、聞こえてますー!ワイだってインハイ用にあっと驚く秘密兵器、開発中ですー!そんなん敵もオッサンもタコヤキと一緒に丸めて食わしてもらいますー!ワイ、ごっつうデッカイ人食い虎になりますよって!」
 
ガハハと田所は大声で笑い、最後尾の鳴子は、ビビッてウンコもらしてしても知りませんでー!と応酬する。
 
…鳴子はこればっかっショ。
 
「あっ、あの!『山月記』って、何ですか!?」
 
巻島の後ろを走る小野田がいつもの少しキョドった調子で声を上げた。巻島としては小野田にはもっと自信をもって欲しいのだが、自分もコミュ障なので中々大きなことは言えない。
 
「3年の現国っショ。オレのクラスでも『山月記』は流行ってるからな」
「…『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』みたいなヤツですか?」
 
金城の前にいた今泉が口を開いた。
 
「オイオイ今泉!いきなり小6まで飛んでるぞ!」
「オレは『やまなし』はトラウマっショ」
「えー!巻島さん、現国得意だって言うてませんでした!?」
「授業で『クラムボンとは何でしょう?』って、わけわかんねぇっショ!途中で魚食われるところも怖ぇし、大体タイトルの『やまなし』は話の最後しか出てこないし!謎っショ!?」
「そうか?確か『やまなし』は熟しててうまいって話じゃなかったか?」
 
田所にとっての『やまなし』はそういう話らしい。
 
「あー、それにしても今日も暑くなりそうダゼ!水分補給気をつけねーとな」
 
田所は汗をぬぐうと残り少ないボトルを取り上げ、飲み口を口に含んだ。
 
「…あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 
金城がまた、大きくもなく、小さくもなく、しかしよく通る声を発した。
田所は口に含んだポカリを盛大に吹いた。しかし隊列の先頭だったので、幸いなことに吹いたポカリをかぶる被害者はいなかった。
 
「おい金城!そこで『永訣の朝』なんかヤメロ!」
「いや、朝と現国と宮沢賢治と水分補給つながりだったからだが?」
「金城の声だとキモいっショ!それと変に情感を込めんな!宮沢賢治もその妹もかわいそうっショ!」
「部長さん、教科書全部暗記しているんですか!?すごいです!!」
 
田所と巻島が声を張り上げるのにかぶさるようにして、小野田が目を輝かせ声をあげた。遥か遠く箱根の山中で朝練をしていた福富がこのときくしゃみをしたことを総北の6人は知らない。巻島の前を走る金城から、フッと小さく笑う声が聞こえた。
 
「…小野田、そこは褒めるところじゃないっショ。3年になれば分かる。気になるなら図書室に行け。『春と修羅』って詩集っショ」
 
巻島の背中からのハイッという元気な返事に
 
「小野田くん!そんならワイも昼休みに一緒に行くでー!」
「小野田!それならオレも昼休みに一緒に行くぞ!」
 
という声が、巻島の前方と後方から同時にかぶさった。
再び、今度は数秒のラチェット音の後、3年生の3人はそれぞれのスタイルで笑った。
 
お前ら息ぴったりっショ。オレたちが1年のこの時期は3人して全然息が合わなかったからなぁ。
 
「それにしてもグラサン部長、理系やと思うてたのに現国もイケるなんてスゴクないすかー!」
 
…オイオイ、金城は国立狙いだ。センター組なら理系でも国語は必修っショ。
 
「それで金城さんは『山月記』と『永訣の朝』のどっちが好きなんすか?」
 
今泉は振り向きもせず、オレたちのエースに流れ的には的確な質問をした。
 
「…そうだな」
 
目の前の金城は少し考え込んでいるようだ。
 
「…いや、今だったらオレは『スイミー』だな」
 
三度目はたっぷり30秒くらいの間、この隊列をラチェット音だけが支配した。
 
「ぼくが、目になろう」
 
大きくもなく、小さくもなく、しかしよく通る金城の声が四度隊列に響いた。その後1分近くラチェット音だけが響き、ラチェット音のみの世界に堪えられなくなった巻島が声を上げた。
 
「金城!お前絶対小学校の先生にだけはなるな!絶対なるな!なったら死刑っショ!」
 
授業参観で担任の朗読がコレだったらぶっちゃけ地獄っショ。
 
「いや、そういう気持ちはないが、オレたち総北に相応しくないか?」
 
隊列を包む数秒のラチェット音の後、先を即す合意と受け取った金城は続けた。
 
「『スイミー』に例えれば、オレたちは皆それぞれがひとりひとりこの仲間のところまで泳ぎ着き、今ここにいる。スイミーたちがマグロに食われず仲間全員の力で泳ぎ切ったように、オレたち総北は全員の力で走りきりたい…だからオレは今、『スイミー』が一番好きだ」
 
ひと呼吸分、複数の息を飲む音が聞こえた後、そうっすね!とか、グラサン先輩いいこと言いますやん!とか、ガハハ!さすが金城だぜという声が巻島の耳を通り抜ける。
 
…何を言ってやがると思ってたら全くその通りだぜ。クハッ、金城はやっぱりオレたちの主将っショ!
 
「あ、あの!部長さん!ボクも『スイミー』が一番好きです!」
 
…ブレない金城の体幹が一瞬揺らいだ。こりゃ金城のヤツ、相当ゴキゲンっショ。
 
 
小野田坂道こそがオレたちのスイミーだということに、5人が気づく、一か月前。

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