C09『ハウ トゥー リヴ』

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 建物は三階建て。一階には宝飾店とかペット洋品店とか靴屋、それから食料品売り場。薬屋とケーキ屋とパン屋と果物屋もある。二階にはおもちゃ売り場。衣料品とか化粧品とかの他に家具とかの生活雑貨もある。三階は催事場、それからフードコートがある。
 そのフードコートのベンチに座って、併設している人気のないゲームセンターを見つめている。壁のウインドウの外は晴れ。ゲーム筺体から流れる安っぽいでたらめな電子音楽、真ん中には子ども用の汽車の乗り物だ。ゲームセンターの中を一周するようにレールが敷かれその上を走る汽車。自分は昔こいつが嫌いだった。今は普通のSLみたいなデザインをしているが、自分が小さい頃はそれがあの青い車体の有名キャラクターだったのだ。そのキャラクターの顔は小さなオレにとって何故だか異様に怖い物で、そのせいでこの小さなデパートの汽車に乗った記憶がほとんどない。はしゃいでいる同じような小さな子どもの声を背中に受けながらおやつに買い与えてもらったアイスクリームを食べた。人見知りのせいもあったと思う。人が沢山いる休日のデパートのフードコートで、それでもオレはたまのデパートに胸を躍らせただじっとベンチやテーブルに座ってアイスクリームを食べるのだ……。
 こんなに狭かっただろうか、とも思う。フードコートのテーブルの数もこんなに少なかっただろうか。自分の記憶にあるこの場所の姿はこんな寂れた様子ではない。汽車の乗り物には小さな子どもの列が出来ていて、あちこちでそんな子どもの駄々をこねる声やはしゃぐ声が聞こえて、それをたしなめる親の声がする。テーブルはどこも人で埋まって、みんなそれぞれラーメンだのうどんだのカツ丼だのサンデーだの何だの思い思いの物を食っている。少なくとも土曜日の昼過ぎは、こんなに静かな場所では、なかったのに。
「前に一度、今泉とここへ来たことがある」
 隣に座っていた金城がゲームセンターの中を見渡しながら言った。今泉と? 隣を振り向く。金城はそこで買ったソフトクリームを食べながらどこか遠い目をしている。向こうの壁に張り付いている窓の外の青い空、流れる白い雲。午後一時過ぎ。乾いた空気、今日は少しだけ風が強い。
「……何しに?」
「自転車部の買い出しでな。それで時間があったから、何かおごってやろうと思って」
「何おごってやったんだ?」
「これ。ソフトクリーム。あまり食ったことがないと言うから。なんだか黙って一生懸命食ってたよ」
「クハ……それ多分美味かったんショ」
「そうかもな……」
 オレはバニラで、妹はバニラのチョコレートのミックス。金城は小さく笑って言った。たまの土曜とか日曜とかに連れてきてもらって、おもちゃをねだって、ここで食事をして。父さんがな、買ってくれるんだよ。母さんは腹を壊すからってこんなの買ってくれなかったんだけど、今思うとあれは父さんが自分も食いたかったからオレたちを口実にしてたんだな。父はチョコレートのソフトクリーム。母が呆れた顔で笑って……。
「オレは普通のアイスだったっショ」
「……それじゃなくて?」
「これじゃねえ。これはな、最後まで全部飲めないからダメだって言われてたショ……」
 金城がオレの手の中を覗き込むようにして笑った。世に言うところのソーダフロートだ。緑のソーダ水に丸く削ったアイスクリームが浮いている。幼いオレは普通のアイスクリームじゃなくて本当はこいつが欲しかった。けれど当時のオレにはこいつ丸ごと一杯を食べて飲みきるのは至難の技だったのだ。「兄貴と半分ずつ」が出来れば良かったのに兄貴は炭酸が一切飲めなかった。もっと言うとオレだって炭酸が得意なわけではない。それでもこのフォルムは子どものオレには憧れだった。乗れない汽車、憧れのメロンソーダフロート。それなのに、それなのに。
「……本当になくなっちまうのかよ」
「そうだな」
 五年くらい前になるだろうか、駅の近くに大手大型ショッピングモールが完成したのは。その頃ともなれば自分たちも家族の買い物にわざわざついていくような年齢でもなくなって、それでも何かあれば自然と足は新しい方へ向かって。テナントで入っていた店のスペースは既にがらんどうだった。あんなに人でいっぱいだった土曜の小さなデパートのフードコート。ほんの一握りの老人と、小学校の低学年が数人。家族連れの姿なんてない。オレは焼きそばだった。金城が言った。オレはオムライスだったショ。言う。父さんはカツ丼で、妹はカレーライス、母さんは天ぷら蕎麦。父さんと母さんはハヤシライスで、兄貴はハンバーガーだったっショ。アイスクリームを食べるオレの傍でブラックコーヒーを飲む父の姿は絵に描いたような大人だった。祖父母の家には手土産にはみたらし団子、鯛焼き。サンドイッチ、親子丼、グラタン、エビフライ、ハンバーグ、色とりどりのアイスクリーム、チョコレートサンデー、コーヒー、ビールだって。
「大人になったらおもちゃ売り場で欲しいもの全部買って、そんでここで好きなものなんでも全部食って、最後に窓際のテーブルでブラックコーヒーを飲むんだって思ってたショ」
「オレもだ。ソフトクリームだってチョコもミックスもバニラも一度に全部食ってやるって……」
「……出来ねえんショ」
「出来ないんだな」
「まだ、クリームソーダ一杯しか飲んでねえってのに……」
「そうだな」
 金城は小さく笑って、手の中に残っていたアイスクリームコーンを口に中に入れ、コーンに巻かれていた薄い紙を手のひらにくしゃりと握り込んだ。オレたちが生まれた時すでにここに立っていた小さなデパートはオレたちが立派な大人になる前にその歴史に幕を降ろす。オレたちの憧れだったデパート。オレたちの野望だったデパート。オレたちが自転車を覚えてこのデパートの事なんか皆忘れている間もずっとここにあったソフトクリームにソーダフロート。
「まあ、最後に飲めて良かったショ。わざわざ来たかいがあるってもんだ……」
「もう行くのか」
「ショ。飛行機の時間、あっからな」
「オレもそろそろ行くよ。レポートを放り出してきたからな」
「田所っちによろしく」
「ああ」
 父が居て母がいて兄妹が居て自分がいて、そしてここにあったデパート。幾重の時間と幾多の人の人生をそこに描いてきたデパートだった。これまで何人がここでうどんを食ったんだろう。カレーの皿は何度割れたのだろう。一体いくつのソフトクリームが売れて、何杯のソーダフロートが揺れて。どれだけの人が笑って泣いて怒って腹一杯食ってこの場所を後にしていったのだろう。金城ともこの場所ですれ違っていたかもしれない。田所っちや寒咲さん、手嶋たちや今泉、坂道とも。分かりようもないことだけれど。
(……じゃあな、また、どっかで)
 あの日食べたオムライスとアイスクリームがあって、今飲み干したソーダがあって今ここに自分が居るのだ。それなのにこのデパートはなくなってしまう。ここで食べられるすべてはもうおしまい。いつかオレも子どもにアイスを買ってやる日が来るんだろうか。だけどオレはきっとコーヒーなんか飲まねえ。きっとソーダフロートを注文するんだ。汽車の事もここで食った物の味もなにもかも全部忘れても、きっと、さ。

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