C07『幸せの食卓』

  • 縦書き
  • aA
  • aA

ぴんぽーん。
およそ一般住宅とは思えないほどの立派な建物の割に、チャイムは普通だな、と田所はいつも思うのだ。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
中々姿を現さない巻島に痺れを切らし、二度三度とチャイムを押す。
「うるさいショ!」
インターフォンを確認することもせずに、扉を開けて出てきたのは、待ち人たる巻島だった。何度か訪れたことがある程度だが、それでも田所だと疑われもしないくらいには、存在を認知されているらしい。
「おせぇぞ」
「遅くないショ!」
「それより、台所貸してくれ」
「はぁ?」
田所が手に提げた紙袋とビニール袋を、巻島の前へと掲げてみせる。
ガサガサと耳障りな音を立てながらも、その揺れた空気の中で腹を擽る匂いが辺りに広がっていく。
ぐぅ、と少し遅れて響いた音は、果たしてどちらのものだっただろうか。
「……今回だけっショ」
田所の侵入を許したが最後、冷蔵庫は無惨に散りゆく運命となる。
だが、その袋の中の物たちに罪はない。そして、そんな田所が用意した物たちは、普段から「良い物」を食べている巻島でも、舌鼓を打つほどの物ばかりなのだ。
食を愛している人間は、食にも愛されているのかもしれない。
シンプルで素材の味を損なわないパンは、手間暇を惜しまずにたっぷりと愛情を注がれているのが分かった。
 
 
 
巻島の家の冷蔵庫には、肉はもちろん、魚だって、野菜だって詰まっている。勿論、狭いところにぎゅうぎゅう詰めにされて、窮屈そうにはしていない。適度な間を空けて鎮座しているそれらは、どれも瑞々しくて、思わず手が伸びてしまうほどだ。
やっぱり最初は肉だろう、と田所はその豪快なほどの塊を取り出した。ずっしりとした重みと艶やかな赤色に、自然と口角が上がっていく。
広いスペースのキッチンには、様々な調理器具が光を弾きながら並べられているが、とりあえず一番使いやすそうな包丁を手に取った。
正直、田所には包丁の細かな違いも、用途の違いも分からない。だが、肉を見て、包丁を見て、ぴたりとイメージが合う物を選べば間違いないと思っている。
直感した通りの切れ味は、田所の気分もスピードも上げていく。
田所が鼻歌を口ずさみ始めれば、巻島が声をかける隙もなくなってしまった。けれど、弾むように料理をする田所を見ているだけで、自然と顔が緩んでいくから不思議だ。
 
 
 
「ほらよ。田所特製スペシャルランチセットだ!」
ドン、とテーブルに並べられた料理の数々は、やはりサンドウィッチが多い。
けれど巻島にも食べさせることが前提だったからだろうか。そこにはサラダもスープも用意されていた。
学校でも部活でも合宿でも、無造作に挟み込まれていく食べ物たちを見てきた所為か、巻島はまずその出来映えに目を白黒させた。
「田所っちがまともな料理を作ってるショ…」
「ガハハハ!身体の資本は食事だからな!」
田所は、仕上げにと、マグカップになみなみと注いだ牛乳を差し出した。巻島がゆっくりとだが、両手で受け止めたのを確認してから手を離す。
「ほら食え!」
「…いただきますショ」
「おう!いただきます!」
バシン、と肉厚の手から大きな音が響く。そして、それはあっという間に、モグモグやらゴクゴクやらという音に取って代わられてしまった。
田所の前に置かれた皿たちは、すでに空っぽになっているものばかりだ。
このままでは全部田所の胃袋へ吸い取られてしまうかもしれない。
巻島も慌ててフォークを手に取って、皿へと手を伸ばす。普段ならば、まずはサラダからと考えるが、今は関係ない。分厚く切り分けられた肉は、それだけでも目を引いた。
ふわりと漂う匂いは、鼻腔をくすぐり、胃袋を刺激する。ごくり、と喉を鳴らしながらフォークを突き刺せば、その僅かな跡から肉汁が溢れ出した。
巻島自身はどちらかと言えば小食の部類だと思っていたが、それでもアスリートで男子高校生だ。こんな物を見て我慢できるはずがない。急いでナイフを入れて、口へと放り込む。
「美味いっショ!!!」
「ガハハハ!当たり前だ!」
厚すぎると思っていた肉は、あっという間に巻島の胃袋の中へと消えていく。巻島でさえそうなのだから、田所のペースが早いのも納得だ。
 
うまい、これもいける、天才だろ、天才ショ、と会話とも言えない遣り取りを止めたのは、インターホンの音だった。
 
「やべぇ」
「…何ショ?」
ここは巻島の家だ。だが、その音にいち早く反応したのは、田所だった。
ドスドスと音を立てて、玄関へと続く道を走っていく。
勢いよく開かれた扉の先にいたのは、金城だった。その手には、盛りだくさんのフルーツが入った大きな籠が握られている。
「すまない。遅くなった」
「……わりぃ。先に食べちまってた…」
しまった、と盛大に顔を歪めた田所に、金城はわずかに目を見開いた。
そして、巻島はそんな遣り取りに首を傾げたのだった。
 
 
 
「……お別れ会…?」
「あぁ、そうだ。本当は部員全員でしようと思っていたんだが、あんまり大げさなのは嫌がるかと思ってな」
「なら、オレたちだけでやろうってな!」
「まさか買い出ししている間に始められてるとは思ってなかったがな」
「すまねぇ…」
金城とともに再びテーブルに着けば、想像もしていなかった言葉が飛び出してくる。
巻島はてっきり田所の気まぐれだと思っていたが、どうやら随分計画的なものだったようだ。
「向こうは飯がマズいんだろ?今の内にうめぇモンしっかり食ってけよ」
「オレもフルーツパフェの作り方を研究してきたんだ。それもちゃんと食べて貰わないとな」
田所も金城もまっすぐに巻島を見つめてくる。
三人で過ごした時間は、高校生活の二年間と半分だけだ。それでもこの瞳には、力だって、勇気だって、何だってもらってきた。
ただいつもと違うのは、その力強い眼差しが少し揺れていることだろう。
「おまえら卑怯っショ…」
あの夏の日から、巻島の涙腺は壊れっぱなしだ。じわり、と滲んだ視界に、慌てて目元を擦る。
別れの時間まであともう少し。
僅かに濡れた頬を誤魔化すように、大きく口を開けて、目の前のパンのタワーにかぶりつく。
もぐもぐと噛みしめたそれは、なぜだか少ししょっぱくなっていた。
 
 
 
END

C07『幸せの食卓』の作者は誰でしょう?

  • yumeji (20%, 2 Votes)
  • とおこ (20%, 2 Votes)
  • 小路 (20%, 2 Votes)
  • 須三須 (20%, 2 Votes)
  • SNAO (10%, 1 Votes)
  • シア (10%, 1 Votes)
  • ちば (0%, 0 Votes)
  • サンカクスキー (0%, 0 Votes)
  • 壬生川タマミ (0%, 0 Votes)

票数: 10

Loading ... Loading ...

←C06『幸せの黄色いオムレツ』へ / C08『継承』へ→

×