C06『幸せの黄色いオムレツ』

  • 縦書き
  • aA
  • aA

じゅうっ
フライパンのバターが金色に溶け、そこに鮮やかな金色の卵液が落ちる瞬間の音は、至高のものだ。
じゅわわわっじゅっ
日常で簡単に、再現できるのがいい。
しかもその音に聞き惚れていれば、目の前には暖かな太陽色の、ふわふわとした卵が鎮座しているのだ。
ああ、なんとすばらしきかな、オムレツを焼く音――!!

今年の箱根学園の合宿は、朝食がバイキング形式だった。
食堂が開く3時間のうち、7:00から8:00であれば、卵料理をリクエストができる。
その日の新開隼人は、朝食前の一走りに熱中してしまったせいで、気付けば8:03を迎えてしまっていた。

…今日は残念ながら、オムレツを食べそびれて、作り置きの温泉卵で我慢するしかないようだ。
少ししょげた気持ちで食堂に向えば、まだオムレツ担当者がそこに残っていた。

いやいや、時間は過ぎているのだから…。
そう思いながらも、新開があまりに期待に満ちた顔をして、寄って行ったからだろう。
担当者は片付ける手を止め、卵液が残っているので、作ろうか?と声をかけてくれた。
条件反射か、という勢いで新開隼人は頷く。

新開の期待と願望の表情が、笑顔に変わるのを眺め
「そんだけ嬉しそうな顔をされると、こっちも腕のふるいがいがあるね」
と笑って、一度止めたコンロの火がつけられた。
じゅっという音がしなくなり、ぽんとフライパンの卵が裏返されれば、火は止められる。
余熱で形を整えられ、紡錘形の温かい黄色をした卵は皿へと移された。

「はい、どうぞ」
「ありがとうございますっ!」
ほのかな蒸気を立てている、ふわふわのオムレツ。
しかも本日分の最後だからと、ほぼ二人前分はありそうな、大きめのオムレツ。

なんて幸せな、一日の始まりなのだろう。

パンや味噌汁などは、後でいい。
ひとまずこのオムレツを、温かいうちに食べてしまいたい。
そうだ、その後でだって充分に食べられるのだから。

―だがその新開のいつもと違う行動が、あだとなってしまった。

日頃の新開はパンをトースターに突っ込み、その間に白米を盛って、オムレツを注文してテーブルへと動く。
なので新開の後ろに通りがかった人物も、オムレツだけを手にした新開が、そのまま食卓へ向うと予想していなかったのだろう。

「あ?」
と相手が振り返ったときには、新開とぶつかってしまっており、卵は床へと無惨にも落ち潰れてしまっていた。
「お…オムレツーーッ!しっかりしろ!オレのオムレツ!!」
がっと大仰に膝を折って、卵に声を掛ける新開の表情は、真剣だ。
だがすぐに喚くのをやめ、思いつめた表情をした新開。
「…いや…大丈夫…まだ3秒は…」
そろそろと指を伸ばし、オムレツを皿へと再び戻そうとするその指の動きを
「オイ、ちょっと待て マジやめろ」の声が止めた。

「落ちたモン食おうって 人としてどうヨ…」
「靖友!他人事のようによく言えるなっ オレのオムレツが……!」
「いや確かにぶつかったのはオレだけどォ、…床に落ちたの食おうとした奴いたら、フツー止めンだろ」
「このオムレツはただのオムレツじゃないっ!完璧なオムレツだったのに…!」

普段の新開隼人は、あまり喜怒哀楽の怒と哀の部分は、表に出すことが少ない。
おおらかな性格で、そこが後輩からも慕われて、先輩からも可愛がられていたが、食べ物に関しては別なようだ。

「仕方ねェな…」
立ち上がった荒北は生卵を二つ手に、新開の前へと戻る。
「お、ちょうどいいのがあんじゃナァイ」
生卵用に用意されていた器を手に、荒北はマシュマロを入れた。
何を、しているのだろう。
新開は、無意識に荒北の動きを追ってしまっている。
マシュマロに、澄まし汁を少し掛けて、そのままレンジへ入れる。
溶けてしまったマシュマロをさらに箸でかき混ぜ、そこに卵を割りいれ、食卓にある塩コショウ・コーヒー用のミルクを少々を混ぜる。

そうして別の器には、やはり卵液を作った後マヨネーズを絞りいれ、並べた。
「靖友…?」
「あープロの専用フライパンって、素人が触ったらまずいよな…なんか…おっ!」
荒北が見つけたのは、アルミホイルだった。

更にはソーセージを焼いていたフライパンを持ち出し、アルミホイルを敷いて、その上にトースト用のバターを落す。
カセットコンロに火をつければ、バターが端から溶け、ふつふつと湧いた泡が大粒へと変わる、
そのタイミングを見計らって、荒北はマシュマロ入り卵液を一気に注いだ。
――じゅわわわわっ
あの、幸せな音が再度響く。

荒北は卵が固まる前に、フォークで軽くかき廻し、半熟の卵を新開の皿上に置いた。
「おい、食ってみろ」

……いや、確かに…あの音は、幸せな最高の音だった。
目の前のスクランブルエッグも、ぽってりふんわり、温かみのある柔らかな黄色で、見た目は最高だ。
だが…マシュマロ入り…。
「食え」
有無を言わさぬ荒北の声に、新開は反射的にフォークですくって、それを口へと運んだ。

「……!」
なんだ、これは…!
ふんわり、ぽってり、柔らかくて滑らか。そしてほんのりとした甘み。
予想外の、嬉しい衝撃だった。
「うまっ…!」
「ガキの頃、妹と二人 冗談で卵焼きに混ぜてみたら、…意外といけんダロ」
少し得意げに、どぉヨと笑う荒北が、輝いてみえる気がした。
「んで、こっちはオマケ」
同じように出てきた、マヨネーズ入りスクランブルエッグ。
マシュマロが卵白を利用したものなら、マヨネーズは卵黄を利用したものだ。

先ほどの甘めな卵に対し、こちらはマヨネーズの風味はあまり感じず、サンドイッチなどにでも挟みたいふんわり卵といった味だ。
「……!」
無言のまま、こくこくと頷く新開は、味わうように卵を舌上にのせたままで、声は出せていない。
しかしその表情は、まぎれもない感動を示している。
「ヘッ 食い専門じゃなくて、簡単なメシぐらい自分で作れねえとな」
と、講釈を垂れる荒北が、新開の目には今では完全に後光がさして見えていた。

「靖友…」
「あァ?」
真剣な眼差しになった新開に、今のでぶつかったのはチャラになっただろうがと、荒北は目を細めた。

「オレと一生一緒に過ごさないか 靖友」

ぶふぉぉぉっと、黒田が盛大に口に含んだ水を泉田の顔面にぶちまけ、通りがかった寝ぼけ眼の電波天使は「わーおめでとーございまーす」と、ものすごく適当な相槌を打ち、顔をびしょびしょにした泉田が、「新開さん!一生ってどういう事ですか!!」と叫び、オムレツ供養塔と書いた割り箸を作成していた葦木場がお経を唱え始める。

えーっとオレは、朝飯食ったらまずローラー20kmやってから、筋トレに入って、その後…
「一生オレの食事を作ってくれ、靖友!」
それから新開のメシを一生……「ちっげェよっ!!!」

「ぶつかったオレにも非があるのに、責めもしないであっという間に幸せな卵を二種類も作ってくれた靖友…」
普段から靖友の、さりげない優しさだとか、なにげない仲間思いな所だとか…そう続けようとする新開の唇を掌で覆い、荒北は「バッカじゃねェノォ!?」と睨みつける。

「一生が無理なら、お互いが結婚する迄でも!」
「ハァ!?!」
「オレの為に料理をしてくれないか、靖友!」
「するかバァァァカっ!!」
盛大に怒鳴りつけた荒北が、テメェに食わすんじゃなかったと、取り上げかけた皿を、新開が必死で推し留める。

「いかに自由参加とはいえ、朝食前の朝練にレギュラー陣がフクとオレ以外誰もおらんとはどういうことだ」
と、食堂へ乗り込んできた東堂が目にしたのは、卵の乗った更に必死で食いつく新開と、一生ってプロポーズみたいだよねと囁き続ける後輩たちと、新開から皿を奪おうとする、荒北だった。

意味がまったくわからぬその光景に、東堂は音もなく姿を消し、二人きりのトレーニングを続けたとは、後日になって皆が知ることである。

C06『幸せの黄色いオムレツ』の作者は誰でしょう?

  • yumeji (40%, 4 Votes)
  • とおこ (30%, 3 Votes)
  • SNAO (10%, 1 Votes)
  • シア (10%, 1 Votes)
  • 壬生川タマミ (10%, 1 Votes)
  • ちば (0%, 0 Votes)
  • 小路 (0%, 0 Votes)
  • サンカクスキー (0%, 0 Votes)
  • 須三須 (0%, 0 Votes)

票数: 10

Loading ... Loading ...

←C05『はらのむしがぐうと鳴る』へ / C07『幸せの食卓』へ→

×