C01『寒咲家の食卓』

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半分閉まったシャッターをしゃがんでくぐると、店の照明は半分落とされていた。
 
「ただいまぁ」
 
おうおかえり。キッチンの方向から兄の声と、ジュウジュウ油の跳ねる音がする。
今夜のご飯は兄の料理だろうか。そういえば、母は今日は支店の方に行くって言ってたっけ。一気に空腹感が襲ってきた。
 
店の隅に立て掛けられた白いレディスモデルの自転車を視界に映しながら、カバンをソファに放り、キッチンへと脚を向ける。
 
「はあ~いいにお~い」
 
この匂いはきっとあれだ。
ガスコンロに向かう兄の手元をのぞき込むと、フライパンの中では、小さく刻まれた玉ねぎがバターを吸って、つやつやと光を放っている。
ああ、やっぱり。
小さな頃からわたしは、バターで玉ねぎを炒める匂いが大好きだ。この玉ねぎが、ハンバーグか、オムレツか、はたまたコロッケか、どんなおいしいものに姿を変えるのかと考えるとわくわくする。
 
「今日はなあに?」
「オム」
「レツ? ライス?」
「ライス」
「やったぁ」
 
わたしはいそいそと食器棚を開けると、大きめの皿を二枚出して、兄の近くに置いた。
フライパンの中には、更に、細かく刻まれたピーマンやウインナーも加わって彩りが増している。
 
「レンジの中のご飯取ってくれ」
「はいはーい」
 
兄の指示に機敏に従う。美味しいオムライスにありつくために、わたしも出来る限りのことはするのだ。
野菜と混ざった白米が、ケチャップの朱色に染まった。フライパンを振る兄の動きに合わせて、米と野菜が宙に舞う。
大きな声では言えないけれど、オムライスに関しては、母が作るよりも兄が作る方が断然美味しい。美味しく作る秘訣は、ライスのケチャップの水分をよく飛ばすことだって、前に聞いた。
 
「ね、今の、何?」
 
兄がライスに振りかけた、ハーブか何かの小さな緑の瓶を指して、訊いてみる。
 
「オレガノ」
「へぇー、いい匂い」
「な。誰が買ったのって聞いて」
「……誰が買ったの?」
「オレがの!」
「……聞かなきゃ良かった」
 
ご満悦な兄の笑顔に、冷ややかなまなざしを送る。
つまらないことはつまらないと、はっきり教えて上げるのも、兄のためだ。
 
 
「そういえば、店に立ててある白い自転車、吉田さんの?」
「ああ、メンテで預かったんだ」
「ふーん……」
 
吉田さん。最近この辺りに越して来たという、若い女性のお客さんだ。ショートカットで溌剌とした、健康的な可愛いひと。パーツを注文したり、ギアの調整をしたり、ちょくちょくうちの店に足を運んでくれる。そして、この前は、自分で焼いたというパウンドケーキを差し入れに持ってきてくれた。あのケーキがチョコ味だったのは、兄がよく口にくわえているお菓子を見たから、というのも間違ってはない気がするのだけれど。
 
「よく来てくれるね。吉田さん」
「まあこの辺り、他に自転車屋ないからな」
「ふうん、それだけかしらねー」
「なんだよ」
「べっつにー」
 
兄の腕のフライパンを振るリズムがほんの少し崩れる。ポロリと数粒の米が、レンジにこぼれた。
 
 
ケチャップライスが一旦皿に上げられ、空になったフライパンに、バターがひとかけ落とされる。あっというまに溶けて薄く煙が上がったところに、解いた卵を。ジュワジュワッと音が立ち、兄が手早くかき回す。
「ライス」
差し出された手のひらに、すかさず、半分に分けたライスの皿を渡す。
半熟卵の上にライスが乗せられると、また無言で空になった皿が寄越され、わたしも無言でそれを受け取る。
まるで、患者に手術を施すドクターとナースみたいな連携だ。
兄がオムライス作るところはもう何度も見てきて、だいたいの過程は覚えている。ただわたしには、兄のように手際よくは出来ないのだけど。
フライパンの中で、卵とライスが手早く形を整えられたところで、もう一度皿を手渡す。兄はフライパンの柄を持つ手を逆手に変えると、皿の上に絶妙の手つきでひっくり返す。アーモンド型をした、金色のオムライスが姿を現した。わたしはそれをテーブルに置くと、ケチャップの細い口を使って慎重に自転車の絵を描いた。うん、上出来。
 
 
いただきます。
二人そろって手を合わせる。つやつやの卵にスプーンを入れると、薄い湯気ときれいな朱色が現れた。とろりと半熟の内側の部分で包み込むように、ライスをスプーンですくって口に運ぶ。ケチャップのスパイシーさの中にほのかに感じるハーブの香り。卵のまろやかさ。口の中の幸福に、思わず頬がゆるんでしまう。
 
「あー、やっぱり最高。お兄ちゃんのオムライス……」
「だろ」
 
勝ち誇ったような表情が何だかしゃくに障るけど、こればかりは降参するしかない。
 
「わたしだと何回やっても、卵がとろとろにならないのよね……」
「幹は不器用だからな。女の子なのに」
「それ、男とか女とか関係ないと思うんですけど」
 
何日か前に、部室でお手製のクッキーを振る舞ってくれた、我が部の主将(男)のことを思い出す。ココア生地とプレーン生地がうずまきになった可愛いクッキー。あんなの、いくら逆立ちしたって、わたしには無理だ。
 
「ま、嫁のもらい手がなければ、ずっとうちで自転車屋やればいいさ」
 
落ち込んだわたしに、どこまで本気なのか、兄は満面の笑みで言う。
 
「でもねー、そう言ってもいられないのよ……」
「どうかしたのか」
「今度合宿があるでしょ? わたしは行けないから、せめて何か差し入れしたい、とは、思うんだけど……」
「ああ……それなぁ……」
 
困った顔で小さく笑う兄の顔を恨めしく見た。きっと兄の脳裏には今、わたしが前に作った不揃いで歪なおにぎりが浮かんでいるはずだ。
 
「よし、オレが作ってやるよ。それで、わたしが作りましたーって顔して持って行きゃいいだろ」
「え……でも……」
「俺が作ったって言うより、その方があいつらもいくらかモチベーション上がるだろ。それで美味けりゃ尚更だ」
「うーん……いいのかな……」
「なーに、あいつらのためだって。で、何がいい?」
「じゃあ……キャラ弁。動物のおにぎりとかの」
「おう、まかせとけ」
 
まあ、みんなが喜んでくれるなら、きっと悪いことではないのかもしれない。ただ、女子としては圧倒的な敗北感だ。
すっかり悪巧みの顔で笑う兄を複雑な思いで見ながら、わたしはまた一口、オムライスを口に運んだ。

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