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中学生活最後の春休み。
とはいえ、オレの高校生活は既に始まっていた。強豪箱根学園自転車競技部に入部しようというほどの奴らは入学式を待たずして部活の練習に参加している。勿論オレも例外ではない。寮にはまだ入れないので、ほぼ同じ距離を走る新開と共に片道約四〇キロの道を通っている。
四〇キロと数字だけ見ればたいしたことないが、箱根の山道が加わると体感では距離が三割増し程度になる。これまでに箱根は何度となく登ってはいたが、その後に更に厳しい練習が待っていて、それを毎日となるとさすがに少し疲れが出てきた。
そんな折、休日が不意に訪れた。
在校生が全員遠征に行くので入学予定者は必然的に休みになった。休みといってもオレの生活で自転車に乗らない日はありえない。しかし自宅でローラーを回すにしても、箱根までの往復がないというだけでなぜだか少し安堵している自分がいた。
「明日は登らなくていいんだな!」
ガチガチのスプリンターな新開はオレ以上にこたえていたのだろう、妙に晴れ晴れとした顔で言い、更に続けた。
「寿一、明日用事ある? なければさ、付き合って欲しいとこがあるんだけど……」
「付き合うって、ロードでか?」
「もちろん!」
新開の顔がなぜだか妙にキラキラしている。オレは正直外を走る気分ではなかった。正確に言えば登る気分ではなかった。だが、まあそこは新開のことだ、極力平坦なコースを走るのだろうと、気がすすまないながらもオレは承諾した。
☆ ☆ ☆ ☆
どこに行くか新開は教えてくれなかった。ただ「五千円、できたら一万円」持ってきて欲しいと言われた。ロードで出かけるのだから映画館やテーマパークに入ることはないと思うが、ただ行って帰ってくるというわけでもなさそうだ。
オレは貯金箱から一万円札を抜き取り、朝九時に待ち合わせ場所の公園へと向かった。
「どこへ行くんだ?」
「そうだなあ。まあしばらくはオレに付いてきてよ」
行き先もわからない状態で人に付いて走るのは意外と疲れるものだと知った。ペース配分が全く読めない。そしてどこへ向かうのかがわからないので前で引くこともでいない。その分、新開も心持ちいつもより落としたスピードで走ってる気もするが、その気遣い分の速度がまた微妙に疲れてしまう。
そうこうしながら約三十キロ。
「寿一、アイス食ってかねえ?」
という声と共に新開が自転車から降りる素振りを見せた。
小さなアイスクリーム屋さんだがサイクルラックがある。サイクリングロードが近いせいだろう。平日の今日こそ人は少ないが、休日には多くのサイクリストが集まることは想像に難くない。
新開は嬉しそうに迷いながら二種のジェラートを選び、頬張った。
「美味いな、寿一!」
「ああ」
確かに美味かった。中学生の懐でアイスにおよそ四百円は痛すぎるのでオレはシングルにしたが、数十円の差ならダブルにするんだったと後悔するほどには美味かった。
そして新開は懐の心配などしないらしい。「ソフトも美味いらしいんだ」とソフトクリームもミックスで食べ、その後に「やっぱりあれも食べておきたい」とまたダブルのジェラートを追加で頼んでいた。見ているだけでこっちの腹が下りそうだ。
「で、目的地はどこだ?」
寄り道が長すぎる。ジェラートは美味かったが、さすがのオレも焦れてきた。
「目的地っていうか、行きたいとこいっぱいあるんだよな。とりあえず次は……」
新開は大まかな地名だけ言うと、やはり微妙にいつもより落としたスピードで終始オレの前を走った。
そして着いたのがパン屋である。
「ここのパンが食べたかったんだよ!」
地元ではあまり見かけないような名前や値段のパンがオシャレに並んでいる。パンにこの値段なのか……とオレは二つばかりをトレーに乗せたが、新開は案の定トレーに山盛りのパンを載せていた。
自転車が視界に入る外のテラス席で食べた。確かに美味い。新開と言えばいつもあんぱんを食べているイメージだが、同じパンでも全然次元が違うのだろう「美味いな」を連呼しながら瞬く間にトレーの上のパンを口の中へ放り込んで行った。
「で、次はどこに行く?」
「次は……とりあえず着いてきて」
新開はまた行き先を告げずに進みだした。
さすがに読めてきた。
これは、新開の食べたいものを食べ歩くサイクリング、おそらくグルメライドと呼ばれる類のものだ。そしてその推察どおり、海鮮丼だのスイーツだの再びパンだのカレーだのを腹に収め、家に帰る頃には走行距離百五十を優に超えていた。
これだけ走っているのに少しも腹が減っていない。当たり前だ。腹が減る前に何かを口にしているようなライドだった。むしろ食べ過ぎで気持ちが悪い。オレの倍は軽く食べていたであろう新開は、それでも涼しげに、そしてやけに充実した顔をオレに向けた。
「ありがとな、寿一。一度こういうのやってみたかったんだよ。中学じゃさ、友達だけで校区外行くとうるさいだろ?」
「ああ、悪くはなかった」
だが次からは事前に回る場所を教えて欲しい、そういうと新開は「すまねえ」と舌を出しながら頭をかいた。
グルメライド――話には聞いていたが、無縁の世界だった。
父はレース会場か、タイムを競うようなサイクルイベントにしか連れて行ってくれなかったし、公道や峠を走るにしてもそれは完全にトレーニングとしてのものだった。
少し走っては止まり、止まっては食べを繰り返す緩いライドなどしたことがなかったのだ。
こういうのもたまになら悪くはない、そう思いながらも、もし次があるのなら新開以外に人並みの胃袋の持ち主も同行させたい、そう思わずにはいられなかった。
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