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オレは、高校生チャリ部員今泉俊輔。
幼い頃から馴染みの絵本で寝かしつけをされていたオレは、幼少期、毎夜耳にする様々な昔話やお伽話に夢中になるあまり、
その真の恐ろしさに気付いていなかった。「一枚、二ぃ枚…」忍び寄る睡魔に意識を蝕まれて気を失い、目が、覚めたら…
「朝、か」
何か、懐かしい夢を見ていた気がする。いや、懐かしいと言っても決して胸温まるようなステキなものではない。オレにとっては悪夢に近いような、
小さい頃に聞かされた恐ろしい怪談を蒸し返すような、そんな漠とした嫌な感じが脳裏に残っている。
「ただの夢だ。気にするな俊輔」
己を叱咤して身支度を整える。今日からオレたち総北インハイメンバーで合宿だ。今年は後輩の面倒も見なきゃいけない。余計なことに気を取られている暇などない。
「いってきます」
だがあろうことか、玄関を一歩踏み出すと同時に靴紐がブツンと音を立てて切れた。仕方がないので戻って別の靴にした。心配要らない。
こんな時の為に靴なら何足もある。
――この時のオレは理解していなかった。切れた靴紐は、これから待ち受ける恐怖への最後の警告であったことを――
「いやー!初日から目一杯走ってクタクタや!パーマ先輩もグラサン主将んときと変わらず厳しいわー」
「でもその分お風呂が気持ちよかったよね、鳴子くん。ボクそのまま眠っちゃうところだったよ」
「オレが見た時は一瞬寝息を立てて沈みかけていたな」
「えぇえっ!?ホント?今泉くん。じゃ、じゃぁ無意識のうちに寝てたんだね。明日からは気を付けるよ!」
「別にいい。沈んだら起こしてやる」
「ありがとうー。今泉くんってやっぱりいい人だね」
「小野田くん…、今のは全然いい人が口にするセリフちゃうかったで?」
宿に荷物を預けるなり日が暮れるまで走り込みを繰り返した。食事と風呂を済ませた体を大部屋の布団に横たえれば、充実した疲労感に包まれる。
「おーし、ほんなら今から眠るまで、コワイ話大会やるで!ええな?スカシ、小野田くん」
「断る。眠い」
誰にも明かしていないがオレはそういう類の話が実は苦手だ。幼い時分に散々聞かされトラウマになっている。特に番町皿屋敷、あれは駄目だ。しかも寝る前にだと?
そんなの付き合えるわけがない。
「そんならはよ眠れるようにスカシを一番手にしたるわ」
…。だよな。鳴子がまともに空気読むような奴だったら今までこんなに苦労していない。オレはさっさと寝たいんだ。だからさっさと思い付くまま喋ることにした。
「昔ロードで東北一周した時の話なんだが、」
「おっ。ええなスカシ、それっぽいやん」
「話してる最中に茶化しちゃ悪いよ鳴子くん」
「地図の通りに国道三三九号線を調子よく流していたら、」
「流していたら?」
「突然道が途切れてその先が下り階段になっていた」
「そんで?」
「以上だ。そこは国道なのに階段しかなかったんだ」
「はっ!もしかして有名な階段国道…!それは怖かったね、今泉くん!そのまま落っこちなくってよかったよ」
「そっ、そーゆー『コワイ』ちゃうわ!って、まあええ。スカシに期待したワイがアカンかった。ほな小野田くんの番な」
「えっと、これはボクのとっておきなんだけど…、さっちゃんの歌ってみんな知ってる?」
「アレやろ?サチコだかサトコだか言う女の子が、『アカン、バナナが食べきれへん!』みたいな感じになるやつやろ?あれがどないしたん」
「実はね…、その子がバナナを半分しか食べられなかったのは、その瞬間に事故に遭ってしまったせいでね、今でもその食べられなかった残り半分を探して彷徨って…」
「おっ。小野田、その話ならオレも聞いたことあるぜ?」
「て、手嶋さん…!」
「あれだろ、さっちゃんが沿道でバナナを食べながらロードレースを見ていると、凄まじい鬼の形相をした何かがすごい勢いで迫ってきて、
目にも止まらぬ速さで通り過ぎたと思ったら、手の中にはバナナの皮しか残っていなかったっていう…」
「手嶋さん、そのハナシ、どっから聞きました?」
「こないだシキバと会ったときに…」
「やっぱり!その鬼、ハコガクの新開さんのことやないですか!」
「いやー、ははっ。そうか。確かにな。そもそも、『さっちゃん』じゃなくて『やっちゃん』だったかもだ」
「…バナナ食われたの、去年のエースアシストの荒北さんだったんですね」
オレは冷静に突っ込みを入れた。だが背中は、さっき小野田が喋りかけた話で汗びっしょりだった。
「お次はワイやな!実は峰が山には、途中でギアの数が合わんようになるカーブがあるんや」
「えっ。そうなの?全然知らなかったけど…」
「急にチェーン切れて制御が効かんで、崖下に落っこった選手の怨念がそうさせるんやって。今度そこ行ったら数えてみ?いちまーい、にーまぁい、言うて。…
一枚足りひん!!なぁんてな!…あれ?スカシ?」
オレは、寝た。断じて気絶ではない。
夜中にふと目が覚めた。オレは寝る前に便所に行かなかった自分を、そして鳴子を呪った。
「小野田、起きろ」
「んん…、今泉、くん?」
「悪いが便所まで付き合ってくれないか」
こんな旅館で、しかもうっかり怪談を耳に入れてしまった後だ。独りで便所になどいけるものか。オレはチームメイトに頼ることにした。
なにせ支え合うのが総北のモットーだ。
寝惚け眼の小野田の背に隠れ、便所へは無事に行って戻ってこれた。だが問題はそのあとだった。
「あれ? 扉、ちゃんと閉めたはずなのにな…」
小野田の手元を見ればなぜか部屋の扉が薄く開いていた。つい気になって、そこから中を覗き込む…
「う な…」
オレは言葉を失った。部屋の中でぼんやりとした影がひとつ、徘徊しているように見えたからだ。そうしてそのまま、どうやら意識も失った。
チチ、チュンチュンと如何にも朝らしい鳥の声がする。爽やかな日差しも感じる。
「…朝、か」
昨夜の恐怖は全てきっと夢だったに違いない。そう思って体を起こしかけると、すぐ横で声が聞こえた。
「いちまーい、にぃまぁい…」
なん、だと…?悪夢はまだ終わっていないのか?
「うおぉ、一枚足りなぁい!!!」
よく聞けば今年入ったイキリの声だった。
「どうしたの?カブくん。何か探しているの?」
傍らには小野田もいるようだ。
「神様からもらったメモが、何度数えても一枚足りないんス」
「失くしたのか?」
「あ、青八木さん。おはようございます」
「青八木、オハザッス、ってそれどこじゃないんスよ!」
「どのメモがないんだ」
「えーっと、たしか…、そう!補給食にはミネラル豊富で消化の速いなんとかを持ってけってやつ…」
「…バナナ」
「え?」
「それは、バナナだ。バナナに関するメモだ」
「へぇー、青八木、よく知ってるな!」
「か、鏑木くん、青八木さんは三年生なんだから…」
三人のやり取りは続いているが、オレは何かが引っかかって仕方がない。
…無くなったバナナ。『…今でも探して彷徨って…』…
「……」
オレはそこで考えることをやめた。