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真っ直ぐに生きてきたつもりだった。
人はオレを「どうかしてる」「おかしい」と評するが、誰に見られても恥ずかしくない生き方をしてきたつもりだ。それこそ、お天道様に見られてもいい。自分なりの正義を貫いてきた。正しく清く生きるようにと両親が授けてくれたこの名前に、恥じぬように生きようと。
「銅橋ィ、オレのもよろしく」
異変に気付いたのは、自分の自転車を整備していた最中、いけ好かない先輩に声をかけられた時だった。彼の足元に翳っていた影が、彼から離れ何故かオレの背に纏わりついたのだ。
「ハァ?!?!」
思わず素っ頓狂な声を上げると、先輩命令だからな!と言い捨てた彼は脱兎の如く逃げ出した。自転車の整備をさせられることに不満があるのだと勘違いされたらしい。イヤ、そっちじゃねェ。何せ自分は今度部内で手を上げたら永久退部になる身だ。理不尽な仕打ちにも必死に耐えているというのに。
のしり、とまるで赤ん坊のようにオレの背にのしかかるそれに勿論温もりはない。しかし、残念ながらしっかり重量はあるようで、肩から背中にかけてずっしりの嫌な怠さを感じる。イヤイヤイヤなんだコレ。ホラーかよ。おんぶじゃねーよ。もしかしたら悪霊に取り付かれた人間ってこういう感じなんじゃねェのか。引き?がそうと背に腕を回してみても、実体のないものを掴むことはできない。まあ、こんなのは夢に決まってる。どんなに気味の悪い夢でも、耐えていればその内覚めるものなのだ。
間違いない、今日は厄日だ。でなければ、オレは呪われているに違いない。どうか頼むから夢であってほしい。
朝練の先輩の後、次にオレに背負われにやってきたのは、クラスメイトの影だった。「アイツ、またチャリ部退部になったらしいぜ」「暴力沙汰何度も起こしてんだろ」「こえーよなあ」「聞こえたらオレらまでボコボコにされんじゃねえの」顰められた陰口は、間違いなく己に向けられたものだ。苛立ちと共に立ち上がろうとして、嫌な予感に足元に目線を落とす。…やはり。小動物かのごとく(一ミリも可愛くねェぞビジュアルが)オレの脹脛に寄り添う影に溜息を吐いてから、感情のやり場がないまま再び腰掛けた。背中に感じる重みと気怠さが増す。
オレはまた一つ、影を背負った。
「重てェ…」
いくつもの影を背負って歩くのは思った以上に骨が折れる。つーか、こいつらわざと体重かけてねェか。影に体重という表現が相応しいかはさて置いて。それでも、部活だけは休む気になれなかった。休んだら負けだとも思っていた。オレの退部を望む先輩たちを喜ばせることは避けたかった。幾度も幾度もプライドをへし折られた獣の、それは最後の矜持だった。
理不尽だとか陰口だとか、影という名の雑音に身体が少しずつ蝕まれていくのを感じる。こうやって人間ってのは重圧に圧し潰されていくんだろうか。こんなのが人生なら、組織の中で生きるって事なら、御免だと思う。何故ならオレは正しい。間違っちゃいない。弱い者も努力しない者も淘汰されていくべきだ。正しい者が抑圧されるような偽物の正義は在ってはならない。
―それでも、自分の象った正義に溺れそうになる時が、時たまあるのだ。背負った影にそんな弱さを見透かされている気がして、気が重くなった。オレは、そうだ、次は永久退部だと念書に自分の名前を書いたあの日から、自転車に乗るために正義を捻じ曲げようとしている自分自身に心底がっかりしていた。
ああ、そうか。背負っていたのは周囲の理不尽さであり、負の感情であり、オレの弱さだったのだ。
「銅橋、話がある」
突然、耳鳴りが酷くなり、床と天井がひっくり返っているかのようにぐるぐると回り出す。貧血なのか立ち眩みなのか、こんな時にうさぎを追いかけて穴だか何だかに落ちた女の童話を思い出す。きっとその女もこんな感じだったのだろう、あっという間に視界がぼやけてブラックアウトする。どこかで、オレの名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。