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「何をしているのだ?真波よ」
「あ、東堂さんだ。こんにちは」
それは練習の休憩時間であった。真波は東堂に話しかけられたものの、ずっとコンクリートを見つめていた。
夏の日射しが照りつける午後二時過ぎ。気温が上がりすぎるため水分補給をしに立ち寄ったコンビニの駐車場でのことだ。
「お前、ちゃんと先輩の方を見て挨拶をしないか。オレの教育がなってないと言われてはたまらんだろう」
「あはは、ごめんなさい。でも、今、目が離せなくて」
「何かいるのか? 」
真波が見つめている所に視線を合わせるも、蟻一匹居らず、濃いアスファルトがあるだけであった。
「何も居らんではないか」
「んー、あとちょっと。きゅーう、じゅーう」
そういって、真波は空を見上げる。
「あ、見えた! 」
東堂は真波がしていることにようやく合点がいったようで、ふむ、と顎に手を置いて息を吐いた。
「……かげおくりとは、また懐かしいものを」
「天気が良かったので。出来るかなあって」
影を十秒ほど見つめ、空を見上げると自分の影が大きく空に写るというかげおくりは、小学生の頃の国語で学習して久しい。
「あ、消えちゃった」
残念そうな真波の声が落ちた。どうやらかげおくりは終了らしい。
「そりゃあ、残像だからな。たかだか十秒ほどだろう? 」
ずっと残り続けられては叶わん、と東堂は続ける。しかし、真波はまだ飽きもせず空を見つめていた。
「一瞬」
「うん? 」
ぽつりと呟く真波に東堂は聞き返す。
「たった一瞬の光景でも、いつまでもこびりついて離れないんです」
その視線はぎゅっと細められ、広い空にはない何かを見つめているかのようであった。いつまでも忘れられない。あの、インターハイ。真波の目にはいつも、あの瞬間の背中が浮かんでいた。
「まあ、それは焼けたのだろう」
「焼けた? 」
「つまりは日焼けだ。光が強すぎたのだろうよ」
「目も日焼けするんですか? 」
突然告げられた目と日焼けのアンバランスさに真波は目を丸くした。その姿に、そうだぞ。本当は外の活動はサングラスもした方がいいんだ、そもそも……と、豆知識を披露し始める東堂。そこまでの知識は興味のない真波はすでに意識を他に移して話が終わるのを待とうとした。
「……今、オレの話が面倒だから聞き流そうとしているな」
しかし、勘の鋭い先輩の前では通用せず、かといって特に日焼けの話がしたいわけではない東堂も、早々に話を切って軌道を直した。
「網膜はな、日焼けをするのだ。焼き付いて色褪せる。しかし、更に強すぎる光だとその部分は使えなくなってしまうのだ」
「使えなくなる?」
「つまりは失明だな」
だから、直射日光を始め、強い光は直接見るのは毒なのだよ、と、続ける。
「じゃあこれはどうすればいいんですか? 」
「どうしようもないから、そのままにしておけ」
「解決になってないです」
真波が拗ねたように唇を尖らせる。いつもより幼い表情に東堂はクスリと笑みを溢した。
「真波よ、それはな、ただのかげおくりだ。眩しさによる残像で、強い光でも、その目がつぶれてさえいなければいつか消えるのだ」
「こんなにも残っているのに? 」
「お前は深く考えすぎるきらいがあるからな。もう少し気楽に考えるといい」
普段周りから言われる事と真逆の事を言われてきょとんとする。
「考えすぎ」
「そうだ。普段から興味があることとないことが極端だからな。興味があることは忘れられないだけだ」
続けられた言葉に真波は首をかしげるばかりであった。オレが、考えすぎ。アンバランスが過ぎて面白くなってしまうほどである。
「信じていないな?このオレが言っているのに! 」
「いや、別に東堂さんを信じていないわけではないんですけど」
「ならば、証拠を見せてやろう」
東堂は、真波の頭に手を置き、くしゃりと撫でて、こう続けた。
「オレだって、お前の中の、影法師だ」
その瞬間、景色がぐにゃりと歪んだ。モノクロームのマーブルに世界が作り変わり、東堂の姿は見えなくなり、代わりに声が響いた。
「東堂さん?! 」
「真波よ、それはお前にとって悪いものではないよ」
「でも……ずっと離れなくて、ずっと辛いんだ」
それはもはや独り言であった。それでも東堂には、聞こえたようだった。
「影が焼き付くほどお前が感じた光は、お前にとって『輝く』ものなのだよ。それを輝いている事にするには、罪悪感があるから辛いだけなのだ」
だからもう少し楽に考えればいい、と、何処からか聞こえているかわからない声が響く。
「そんな小さいものに惑わされずに自由に行くがいい真波山岳。お前の感じたままに、その輝きを貪欲に欲すればいいのだ。それがお前だろう」
何か返事をしなければいけないと思ったが、うまく言葉にならず、真波は遠退いていく感覚そのままに意識を手放した。
***
目を覚ました真波が最初に目にしたのは晴天の青空であった。柔らかい草が肌に当たる感覚が心地よく、深呼吸をするとアルコール由来の植物の青い匂いがした。
「何というか」
吐き出した息は深く、しかし、周りに居なくてもため息と悟られたくはなかった。
「都合の良い夢だったなあ」
がむしゃらにペダルを回して無茶の祟った末の休憩であった。東堂は既に引退している身であり、共に練習するなど目が覚めてみればあり得ない話だ。
「でもまあ、言われるまでもなく『そう』だよね」
夢の気恥ずかしさはあったが、真波の口許は緩んでいた。この明るさならまだまだペダルを踏める余裕がありそうだ。愛車を起こしてクリートをはめると、山頂を見つめ心を逸らせた。山は好きだ。だから、一番始めにそこに到達したい。その瞬間は何より眩しく、熱烈に真波の目を焼くのだ。
「……あと、あの人の場合、ホントに夢に現れたりできそうだよね」
東堂が盛大にくしゃみをしたのはまた別の話。