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光が強くなると影もまた濃くなると言われている。もしかするとそれは逆なのかもしれない。濃い影があるところに生まれる光はより強く輝くのだ。
今年もインターハイには出場できなかった。神奈川県代表は私立箱根学園に決まった。もう何年も同じだ。もちろんオレだって神奈川で生まれ子供の頃からロードに乗っているのだから箱根学園に入りたかった。しかしそれではあまりにおもしろくない。常勝箱根学園を倒してインターハイに出る。というのがオレの目標だった。
しかし、本当のことを言うと箱学から推薦がもらえるほどの選手ではなかったオレは一般入試を受けて落ちたのだ。もし入学していたとしても日本一の部員数を誇る自転車競技部でレギュラーになれていたかどうかわからない。いっそのこと他県の学校に行こうかと思ったが同じことを考える奴も多い。
なによりそんな心構えではどこに行ってもダメだと父親に言われ、結局神奈川県の箱根学園ではない学校に進学した。そもそも自転車競技部というものがある学校の方が珍しい。箱学が強いせいもあって神奈川ではロードに乗る学生も多いがそれでも少数派だ。
調べて確認したはずが、進学した学校には自転車競技部はなかった。昨年まではあったのだが部員がいなくなった為廃部になったらしい。部がなくなったと言われても自分はただの高校一年生で小説や漫画の主人公ではない。ひとりで自転車競技部を作るなんてできるとは思えなかった。結局、なんの部活にも入らなかった。自転車はひとりでも乗るものだ。なんて自分を納得させていた。しかし、何故かひとりで走ってもつまらなかった。そして、乗らない日が増えていった。
再びロードに乗るようになったきっかけはやはり箱根学園だった。母から夏休みに親戚のところへ遊びに行くよう勧められた。あとから聞いたところによるとふさぎがちになっていた自分に気分転換をさせようという考えだったらしい。親戚の家は広島にあり、そしてその年のインターハイの舞台も広島だった。ロードに乗っていることを知っていたおじさんに半ば無理やりレース会場まで連れて行かれた。乗り気ではなかったはずだが間近で見ると興奮のあまり身体が震えた。見覚えのあるジャージを見つけた。箱根学園だ。同じ一年生の男が山を上っていた。眉間にしわを寄せ苦しそうだ。彼はひどく顔色が悪かった。
思わず「がんばれ」という言葉がついてでた。一度口に出すと堰をきったように次々とあふれ出る。「がんばれ」「もう少しだ」「福富!」
福富寿一の名前を同年代の自転車乗りなら知らない者はいないだろう。とにかく目立つのだ。親がロードレーサーだから仕方がない。あいつはずるい。そんな風に陰口を叩く奴もいた。オレだって少しはそう思っていた。
それにしても同じ一年生なのにあの箱根学園のレギュラーになっていたなんて。目の前を走る福富をは必死で歯を食いしばって走っていた。それを見てしまっては才能が違うだなんて言えなかった。確かに子供の頃からロードには乗っていたのだろう。そして彼はその分オレよりもペダルを回してきたのだ。
「福富! 行けー!」
福富寿一はオレを一顧だにせず走り去っていった。山道を併走していたオレは息を切らしながらその背中を見送った。その後も通り過ぎるロードバイクは道路に色濃く影を落とした。彼らがここにくるまでに流した汗のようだった。
それから夏休みのあいだ中考えた。自分はどうしたいのかと。どうしても同じ結論になる。あの場所で、インターハイで走りたい。それだけだった。
しかし、オレがインターハイに出るためはまず自転車競技部を作らなければいけない。転校でもしない限り。相談した先生が親身になってくれたことが幸運だったのだと今は思う。そのときはただただ必死だった。昨年まではあった部だ。自転車は捨てられてはいなかったが予算もなければ部室も違う部活のものになっていた。必死で部員を集め、間借りさせてもらった倉庫で着替えた。
大変だったがインターハイに出るという目標のために必死だった。
そして最後の夏が終わった。結果は今年も箱根学園の圧勝だった。
優勝インタビューでキャプテンの福富寿一は言った「必ず日本一になる」と。オレはその言葉を聞いて泣いた。彼らは日本一になることを目標としている、しかしオレはインターハイに出たい。それだけだった。目標としている場所が違ったのだ。
予選なんかいらないのではないかという観客の声が聞こえた。毎年箱学が勝つことが決まっているなら予選なんて無駄だ。そしてオレの努力も無駄だったのだ。アスファルトに汗と涙が混じった黒い染みができる。
「圧勝ですね。神奈川で敵はいないのでは」
インタビュアーが少し意地悪な質問をした。すると福富は眉ひとつ動かさず「神奈川は強い学校が多い。その中で戦うことでオレたちは強くなってきた。彼らは強い」と答えた。
敗れた自分たちは影だ。箱根学園は光である。強い光のうしろに濃い影が生まれるのではない。濃い影に生まれる光はより強く輝くのだ。
自分は濃い影になれていたのだろうかと自問している時間はない。いつか光を飲み込む後輩たちになにかを残さなければいけないのだから。