【E03】影送り

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 影送りをしたことがあるか、と尽八が言い出したのはよく晴れた日のことだった。
「影送りィ? ンダヨそれ」
「童話で読んだことがあるな。空に自分の影が映る、というものだった気がするが」
「なんか教科書に載ってたよな。やべえ、思い出したら泣きそう……」
 戦争を題材にした悲しい物語の内容を思い出しかけたオレの様子を見たのか、尽八が口の端を上げて笑った。
「フクと隼人の言う通りだ。正確にはエンメルトの法則、というのだがな。日本では影送りという名称が定着しすぎていて誰も正式名称では呼ばないようだ」
「……で、なんでその影送りとやらの話になったワケぇ?」
「これはよく晴れた日にしかできないのだが、雲一つない快晴の今日は条件として完璧なのでな」
 言いながら、尽八はじっと自分の影を見ている。試しにやってみたのだろうか、大きく空を振り仰いだ尽八の顔がパッと華やいだ。
「うむ、やはり今日は条件が完璧だな。お前たちもやってみろ、意外と面白いぞ」
「東堂」
「うん、オレもだよ。尽八、オレたち影送りのやり方知らねえんだけど?」
「……なんでオマエら素直にやる気になってんのォ」
 少しため息混じりの靖友の声に、尽八はいつもの調子で高らかに笑いながら口を開く。
「愚問だな荒北よ、フクと隼人はお前よりも感受性が高いということだ。さあ、今ならまだ間に合うから仲間に入るがいい! 瞬きせずに十秒、影を見つめてから空を見ろ。地にあったはずの影が天にある様が見られるぞ」
「なんで上から目線なんダヨ、テメェは!」
 腹立たし気に呟く靖友の目線が下を向いていた。ちょっとはやる気になったみたいだ。
「ああ、せっかくだから四人で同じものを見てみるとしよう。全員並んで……そうだな、手でも繋ぐか」
「あ、面白そうだな」
「問題ない」
 立ったままこちらに手を伸ばす尽八の手を寿一が取って、もう片方の寿一の手をオレが取る。手を繋いで横並びになったオレたちの姿に靖友の顔が引きつっていた。
「マジかヨ、オメェら……」
「そう照れるな荒北」
「誰が照れるか、このボケナス!」
 大きく吠えてオレの隣に駆け寄ってきた靖友がオレの手を取る。目の前の地面には、横並びになった四つの影。
「では、数えるぞ。瞬きをせずに十秒だからな。一、二……」
 カウントが響く。この四人で何かをするなんて、きっとこれが最後だ。
「八、九……十!」
 カウントが終わると同時に、オレたちは一斉に空を仰いだ。
「うわ、凄えな」
「なるほど、こういうものなのか」
「思ったよりデカくネェ?」
 目の前の青空には、手を繋いだ四つの影。
 三年間、並んで走ってきた姿が青空に浮かんでいた。
「悪くはないだろう?」
 誰も空から目を逸らせないまま、時間が過ぎていく。
「世界中どこにいようと、空はある。一人で走っていて辛くなった時でも、空を見上げれば今日のことが……箱根で過ごした日々が背中を押してくれるはずだ」
 噛み締めるように呟く尽八の声に滲む重さに、ふと気がついた。
 ああ、そうか。
 きっと尽八は彼とも影を送ったんだ。空を見れば思い出せるように。互いの背を押せるように。
「さあ、そろそろ寮に戻るか。部屋の片付けも終わらせてしまわなくてはな」
 尽八の声をきっかけに、繋いでいた手を離してオレたちは前を向いて歩きだす。
 それが卒業式の前日、四人でいられた最後の日の思い出だった。

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