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「郵便ポストに入らなくてね、よかった。在宅で」
アパートの小さな郵便受けでは、配達人がそう言うのも無理ないだろうと思う数の大きな封筒の何処かしらにもれなくAIR MAILの文字が書かれている。サインペンで手書きされていたり、スタンプだったり、やり方は色々だ。その筆致や選択に送り主の性格が出るようで、懐かしい面々が浮かぶ。
「しかし……なんだァ?誕生日は結構前に終わったってのに」
態々ドアまで運んで来た郵便配達員には礼を言って自室に戻る。郵便が届いたということは、いつも通りならばもうすぐ陽が暮れる時間だ。
「そろいもそろってでっけぇ封筒ショ」
手の近くに鋏が見当たらないまま、手でその口を破ろうと難儀する。随分硬い紙を選んだらしい。
「……店の紙袋使った方が良かったんじゃねぇか?……こりゃ後だ後……っと、こっちも……プチプチか何か入ってんな」
随分厄介だ、と口許に笑いを浮かべていそうな差出人の声が甦る。残念ながら鋏無しで開けるのは諦めさせてもらおう。此方はそんなに気が長い方ではない。
改めて並べたそれらを指先で押したり少しだけ破ってみたりして、普通の茶封筒と見えたものを開封する。中身が同じであるはずもないが、今は開けやすさが優先だ。
「……中がこれかヨ!」
ビリビリと適当に破れた封筒の中から出てきたのは、一枚の手紙と空気の入る隙さえ許さないといった様子のビニールで密封された何かだ。ご丁寧に上下を段ボールで挟まれているから、何が入っているのかは結局未だに分からない。便箋の方を開くと、見覚えのある自転車屋のロゴが入っている。通っていた頃は終ぞ目にすることはなかったが、店のものだろうか。
「へぇ、小野田がねぇ……まさか、コレ、全部……」
机の半面をゆうに埋め尽くして半ば見本市の様相を呈する封筒は、よく考えたら大体同じ大きさのものが入りそうなサイズをしている。事務的な茶封筒から派手派手しい赤い封筒、更には一見して輸入物と分かるやけに高そうな紙質のものまで様々だが、どれも大体手に持ったビニール包装がすっぽりと入りそうな大きさであるのは同じだ。
「そんなすげぇのかァ?」
手近にあったボールペンの先で包装をひっかくようにして破ると、中から出てきたのは日本のサイクル誌だ。開いて直ぐの目次を指先で辿る。
「ここ……か」
“
「U-23日本のエースクライマー、小野田坂道選手インタビュー」
――本日はよろしくお願いします。さて、小野田選手は自転車競技を始めたのが高校一年、十五歳の時ということですが?
小野田 はい、入った高校にたまたま自転車競技部があって……ただ僕はあまり運動は得意ではなかったので、多分今泉くん(編集註:U-23代表今泉俊輔選手)に誘われなければ入らなかったでしょうね。
――お二人とも同じ総北高校(千葉)出身でしたね。この年次は非常に選手層が厚いですよね。
小野田 そうですね。僕と同学年に真波くん(編集註:同真波山岳選手)、御堂筋くん(編集註:同御堂筋翔選手)と、U-23が大体同級生みたいな……高校の頃は今泉くん以外別の学校だったから同じチームって今でもなんか不思議ですけど、合宿とかではみんなよく話もしますよ。僕は自転車の話だけじゃないですけど(笑)
――小野田選手は、アニメなど色々多趣味ですよね。
小野田 まぁ色々(笑)元々アニメ研究部に入ろうとしていましたからね。高校に入った時点では。
――それが、自転車競技を始めたのは今泉選手の誘いということですが、続けるのは……なかなか大変だったのでは?
小野田 そうですね。僕はそんなに強い方ではないので……
――いやいや何を(笑)相変わらず謙虚なんですね(笑)
小野田 いや、本当に。いつも何か起きたら慌てちゃうし、山でも。ちょっとしたことでもすぐガタガタになってしまって。
――それでもいつも立て直して、結果を出している。その秘訣は?
小野田 結果が出る時も出ない時もありますけど……そうですね、いい結果が出ている時は……いつも影を追っているんです。僕は、ずっと先頭を走るというよりは、追う方が良い結果が出るので。
――影、ですか。
小野田 はい。影を。誰よりも速く、山を登っていくんです。山って、すぐ見えなくなっちゃうから、それはもう必死に追うんです。それがレースにいる誰よりも速い。それで結果的に一位になっているというか。
――それは、イメージですか?
小野田 いえ、高校一年生の時……初めてのインターハイが終わった後ですね。その時に尊敬していた先輩がいて。でも、遠くに行ってしまう、ちょっと前に峰ヶ山(編集註:小野田選手の地元にある山。総北高校がよく練習に使う)二人で登って。やっぱり勝てなくて。それで言われたんです。どこででも、一緒に、それから僕の前を走っているって。だから、イメージっていうよりは、僕は本当にその影を見ているんです。どの山を登る時も。多分、これからもずっと。
――尊敬しているんですね。
小野田 はい!それはもう……ずっと、目標にしていて、世界一速くてかっこいいクライマーなんです。
“
その後も続くインタビュー記事は、これから始まる大会についてなど、二ページに亘っているようだ。若手選手としては随分とページが割かれている方だろう。それだけ注目されているということだ。
「ク……ッハ……」
喉の奥から笑いが漏れる。
(みんなしてこれ見せるため、かァ?)
並べられた封筒には、雑誌を開く前に何となく想像した通りきっと全く同じものが入っているのだろう。裏返して差出人を見るまでもなく、誰から送られてきたのかもわかる。
「載ってる本人からは来てないみたいだけどなァ」
それを問う機会もないだろうが、訊けばきっと昔と同じく大慌てで大したことがないなどと言うのだろう。
「とっくに前走ってるっショ、小野田、お前は」
しかしそれを伝える機会もそう訪れないだろう。
とても、遠い場所にいる。単なる距離だけの話ではない。
もう遥か前方、それこそ山のカーブがあったらとうに見えない位置に違いない。
(いや、伝わらないからこそ、か)
知らないからこそ、伝わらないからこそ、この先どんな山でも彼は影を追い続ける。それで良い。そうすれば、どんな道でも駆け上れるだろう。
赤い陽射しが窓から注ぐ。
長くなった影が肩を竦めるのが目の端に映った。