【C01】勝者の光

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 前方から、歓声があがった。
 
 レースが終わった。壇上には、小さな台。一番高い所には、一人の男がのぼる。誰よりも早く、一番最初にゴールラインを割った一人だけ、その場所へ立つことが許される。称えられる。それまでの努力が報われて、次への意欲が沸く。たった、一人だ。それを味わうのはたった、一人だけ。それ以外の者は頭を垂れて悔しさに唇をかむ。次のレースは奮起できるものはいい。努力不足を痛感するものはいい。それだけまだ、余白があるのだから。毎日毎日血のにじむような努力を重ねても、あの壇上に届かないものはどうしたらいいのか。
「あっつ……」
 体力はほとんど残っていない。今だってロードバイクを引いてテントに戻るだけだというのに、膝が笑い全身がだるい。出し切った水分を補給しなくちゃ、走り終わったのだからクールダウンをしなくちゃと思うのに、気力が沸かない。
 表彰台の周りは観客や走り終わった選手たちが取り囲んでいる。オレはその脇を、ヘルメットをハンドルにひっかけながら、横切っていくだけだ。
 太陽はいくぶん傾いてきていたが、立っているだけでうなじや手が焼ける。日焼け止めは塗ったが、汗で大部分が流れてしまっていることだろう。
 わぁっ!と歓声が再びあがり、拍手が巻き起こった。
 惨めさに拍車がかかる。さっさと着替えてしまおうと、顔を上げた。
「寒咲さん……」
「よう」
「来てたんですか」
「まあな」
 カラカラ、と自転車のたてる音と、シューズが地面を蹴る音。
「まぶしいよな」
 寒咲さんは、表彰台を振り返って言った。
「……」
「輝いてるだろ、勝ったやつってのはよ。自信に満ちあふれて、勝てた喜び全開でさ」
 知ってる。そういう奴らを、オレはいつも低い場所から見上げてきた。一度だってあの高い所には登った事がない。
 惨めさで、寒咲さんの顔が見られない。OBとして、きっと勝ちを期待して見に来ていたんだろうに……。
「去年より、タイム良くなってたな」
「えっ?」
 あまりの惨敗具合にタイムなんて見てなかった。ほら、といわれてやっと把握した。去年のタイムより、確かに少しだけ早かった。でも。
「惨敗、ですよ」
 トップ5にも入っちゃいない。惜しかった、なんてタイム差でもない。
 ああ、情けなくて涙が出てくる。部員は少ないけれど、総北のレギュラージャージを着ることができるのは数人だけ。オレはその中に加わることができない。こんな、タイムじゃ。こんな、順位じゃ。
せっかく応援してくれても、こんなんじゃ惨めすぎる。卒業生とはいえ、日頃から色々世話になってるとはいえ、正直、今会いたい相手じゃない。
「なあ、手嶋」
「はい」
「今日の試合の出来、不本意って顔してるな」
「はい……」
「インターハイ、みてどう思ったよ」
 少し前のインターハイ。総北は、惨敗に終わった。走ってもいない自分は、ただ茫然と結果を見るだけしかできなかった。
「なあ、手嶋。今の3年が抜けて、金城・田所・巻島が中心になったチームが出来る。オレは期待してるんだぜ、お前らに」
「ら?」
「ら、だろ。青八木と一緒になんかやってる、って田所から聞いてるぞ」
「はあ、まあ」
 でも、それは……まだ未完成だ。田所さんとインターハイを走りたい、なんて壮大な願いを確実に叶えられるもんじゃない。まして、今日のレースの結果では……。
「総北はさ、選手層が薄いのが欠点なんだが……いいチームだと思ってんだ。あいつらは、全員弱さを知ってるからな。どん底を知った選手ってのは、強いんだ。這い上がるにはどうしたって根性がいる気合がいる。ここぞって時に 必要になるもんがないと、這い上がって来られない。手嶋、お前も持ってるだろ。それ」
弱さ……。
 それは、きっと……誰よりも持ってる。でも……。
 立ち止まって、俯いた。ビンディングシューズに、濃い影が落ちる。
「レース走りきったやつも、リタイアしたやつも、頑張ったのは同じだからな」
「え?」
「まぶし過ぎてさ、忘れちまうけど……頑張って走りきったら、自分を褒めてやれよ」
 寒咲さんは、そういってオレの肩に手を置いた。
「やめんなよ。オレ、お前を買ってんだぜ」
「でも、結果でないのは」
 辛い。報われない努力をいつまでも続けられるほど、オレは強くない。弱い。
「苦しいと思うぜ。でも、続けるのも才能のひとつだ。去年のレースに出てたのに、今回居ないやつなんていっぱいいるだろ」
「でも」
「手嶋、ロードレースってな……ほんと報われねぇスポーツだって思うんだよ。バスケでもバレーでも、もうちょっと報われるぜ。だってこんだけ走って、一人なんだぜ?たった一人決めちゃうんだぜ。トーナメント式のスポーツなら何度か勝つやつでてくるのにさ」
 でも、自転車は、ロードレースというのはそういうものなんじゃないのか。
「お前にはまだ、チャンスが2回ある。来年のインターハイまで、約1年。努力続けんのは、正直つらいことの連続だろうけど……ちょっとオレに騙されてみろよ」
 来年のインターハイ。最初で最後、田所さんと一緒に走るインターハイ。出られるだろうか。出たい。青八木と一緒に。
「期待、してっからさ」
 ノド乾いたろ、もうちょっと水分のんどけ。
 手渡されたペットボトルから落ちた水滴が、焼けたアスファルトににじむ。
 
 先ほどより少しだけ伸びた影は、俯いてはいなかった。

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