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インターハイ自転車競技千葉県予選。
あの日、本格的な夏が始まる前、インハイの熱を味わう前に、オレの高校3年間、最後の夏が終わった。
千葉県柏東高校、不動のエース、それがオレの二つ名。
1年時からエースを任され、3年間、雨の日も晴れの日も暑い日も寒い日もひたすらペダルを回してきた。総北高校という厚い壁に阻まれ、インハイ出場が叶わなくてもいつかはその壁を超えてやる、その気持ちでチームをまとめあげ、鍛え上げてきた。
そして迎えた最終学年、運命の県予選、総北高校にはアクシデントが勃発。先行していた1年生のタイヤがパンクしたのだ。だというのにその1年生のタイヤ交換をチーム全員が足を止めて待つという信じられない戦法で、総北高校は完膚なきまでにオレ達の夢を打ち砕いた。
圧倒的だ、チームとしての地力が違う。そんな観客の声を聞きながら、オレはオレの夏の終わりを受け止めきれずにいた。
柏東高校に進んだことを、後悔したことはない。
総北高校に入学したならば、1年生からレギュラーになり、更にエースに抜擢されるなんてことは有り得なかっただろう。
3年かけてチームはよくまとまっていたと思う。大切な仲間達だ。会えてよかった。
けれどもインハイ出場を逃したことは、いつまでもオレの胸を焦がし、熾火となってくすぶり続けていた。
インカレに出よう、そのために強豪校に行こう。例えレギュラーとして走れなかったとしても、インカレでチームメイトを応援出来たらいい。
そうして選んだ洋南大学。入学式を終え、さっそく訪れた自転車競技部部室でオレはにっくきアイツ、総北元主将、手嶋純太と再会してしまった。
オレは負けたのだから、それを逆恨みするのはお門違いだとオレも思う。けれどもコイツは気にくわない。
「柳田も洋南大だったんだな。これからよろしく」
差し出された手を反射的に叩き落とす。びっくりしたように瞬く目に向かって、馴れあう気はないと宣戦布告した。実際、レギュラーを巡ってのライバルだ。そう思っていたというのに。
「わりーわりー、待たせたな」
街のレトロな喫茶店。ドアベルを鳴らして現れたのはずっと避けていた手嶋純太だった。
「悪いと思うなら呼び出しておいて遅刻するな」
「あ、まだ待ち合わせ時間前だったわ。ずいぶん早くから悪いな、柳田」
先制攻撃のジョブを打つと、席に腰かけながらちらりと時計を確かめての鮮やかなカウンター。とっさに言い返せず、黙り込むオレの前でメニューを広げた手嶋は、ロイヤルミルクティーを頼んでいる。ティータイムセットもいいなって女子か。柳田もどう?ってウインクすんな。思わず舌打ちをすると肩をすくめた手嶋が神妙な顔でこう言った。
「柳田がオレの呼び出しに応じるとは思わなかったわ」
「荒北さんに言われたからな」
「あー」
長めの前髪をかきあげた手嶋は、遠い目をしてオレも言われたとそう言った。お互い、少々怖い思いをしたらしい。
「…わだかまりがあるんなら腹割って話せって」
そう続ける手嶋を遮ってオレの方から爆弾を投げる。
「お前はわだかまりなんてないって言わなかったのか?オレが突っかかってるだけだって」
客観的に見て、子どもっぽい態度を取っているのはオレの方だと思う。だから荒北さんに注意された時には反省したし、手嶋の呼び出しにも応じたのだ。
「んー、わだかまりって言うか、ずっと柳田に言いたいことはあった」
「何が言いたい」
「県予選のこと」
思わず頬が引き攣ったオレの前で手嶋は淡々と続ける。
「あの日、パンクした1年を置き去りに2年だけを逃がして勝たせるという手もあった。その1年前、金城さん達は3人で参加して予選を勝ち抜いてる。少ない人数でも勝てるなら何も全員でゴールする必要はないんだ」
それはそのとおりだ。だからこそチーム全員で足を止めた総北に驚いたし、腹を立てた。絶対追い落とすとムキになって結果は惨敗。トラウマものの敗北だ。
手嶋は届いたミルクティーを意味もなくスプーンでかき混ぜている。オレもブラックコーヒーを無意味にぐるぐるとかき混ぜた。
「こんなこと言うと柳田は怒るだろうけど、あの県予選、オレの目的は2つあった。1つは1年の信頼を得ること、もう1つは2年の信頼を確認すること」
思わず手を止めて見ると、手嶋は困ったように笑っていた。
「知ってのとおり、オレの実績は後輩に遠く及ばない。新1年は生意気で、自分1人でレースに勝つ気でいる。パンクがなければ結構いい勝負できたかもしれねーけど、でもそんなバラバラなチームじゃ箱学にゃ勝てない。チーム6人の力をどれだけ信じて支えて繋いでいけるか、それが重要だった」
「だからって捨て身の戦法すぎるだろ」
「うん、鳴子に今泉が、あ、当時の2年だけどさ、よく足止めてくれたと思うよ。アンタ、何考えてんだ、先に行きますってスタートされてもおかしくなかったよな」
正直に言って、無茶なオーダーだ。反発されても仕方がないとは思っていた。けれども少し前までは自分を舐めて侮っていた後輩から寄せられる信頼。それが確認できたことは大きな収穫だったと、そう告げる手嶋に思わずオレは声を荒げた。
「インハイ出場がかかった県予選で余裕だな。オレ達も甘く見られたものだ」
あの敗北で一番腹立たしいのはこれだ。オレ達を歯牙にもかけないその態度。
「余裕?逆だよ、柳田。必死だった。ここで負けたらシャレになんない。どんな手を使っても6人を逃がさなきゃならない。ヤバくなるだろうとは思ってたけど、後続に顔が見える距離まで追いつかれるなんて最悪だ。特にオレが一番警戒していたのは柏東、不動のエース。お前だよ」
指を差されて驚く。
「先頭がオレ達に追いつこうとせず、大集団のままスピードを保って走られたら大変だ。追いつけなくなる。チーム力、個人の脚力、いろいろ考えあわせた結果、勝敗の鍵を握ってるのは柳田だと思った」
追い詰められた総北高校は脅威となる集団を分断することにした。あえて挑発し、冷静さを奪うことでスプリントに使うはずの足も使わせた。自分達も追われるが、もともと約一周分追いつかなければならない総北チームは全速力で上がる必要があった。
「馬鹿にしてたわけじゃなかったのか」
「他校のエースを馬鹿にできるほどエラくねーよ」
「キャプテンだったろうが」
「凡人のな」
今度のウインクには腹が立たなかった。わかってみれば簡単な話だ。オレはオレの走りを、オレの3年間を取るにたらないものと否定された気がして腹を立てていたのだ。
我ながら単純なもので、勝敗の鍵を握っていたのはオレだと言われただけで、胸のつかえがおりた気さえしてくる。今ならコイツと友達になれるかもしれない。
「それで柳田に言いたいことなんだけど、本当、挑発にのってくれてサンキュ。柏東がゴールスプリント用の足使ってくれて助かったわー」
「やっぱり馬鹿にしてるだろ!」
「してねーって」
前言撤回、手嶋純太とは友達になれそうにない。ただ、チームメイトとしてなら、背中を預けて走ることが出来るかもしれない。
あの夏の思い出が、色を変える。
「改めてよろしく」
差し出された手を、拒む気にはもうなれなかった。