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「え?いいんですかぁ?」
わーい、やったぁ。はしゃいでいる姿をみて、俺はなんだかものすごく違和感を覚えた。
数日前まで高校生だったとはいえ、今はもう大学生だ。たかが部室の鍵一つ渡されて、そこまで喜ぶものなんだろうか……?
そんな疑問は、顔に出ていたらしい。近くにいた荒北をみると、不機嫌を隠しもせず黒田をつついている。ここまで眉間に眉間にシワを寄せている荒北をみるのは、初めてかもしれない。
「あのう、部長?真波に合鍵渡すのはちょっと……」
洋南大学自転車競走部は、大学敷地内にある部室棟の一室を使用している。練習にロードバイクは欠かせないが、高価であるがゆえにそれを屋外に置きっぱなしにすることはできない。日中は部室に置いておくことになるのだが、大抵誰かしらが空き時間だから、休講になったからといるのだが、ふいに誰もいなくなる時がある。その時施錠を確実に行うために各学年に1つ合鍵が用意されている。基本日替わりで持つか、空き時間にあたる者が持てるよう調整することになるのが常だ。
新一年が入学してきてその鍵が真波に渡されたわけだが……黒田が部長の前に立ち、やんわりとお断りを入れ始めた。
「なんだよ、箱学は過保護なんだなぁ」
「違いますよ!真波は基本遅刻してくるし……」
「そうなのか?今日はちゃんと練習時間に間に合ってたじゃないか」
「それはオレらが迎えに行ったからですって」
荒北が二人に割って入った。
「高校ン時は、しょっちゅう授業サボって山登りにいっちまうしヨォ……」
「お前だって空き時間金城や黒田と走りにいってんじゃん」
二人は小さく舌打ちをすると(先輩だぞ、我慢しろ)、大きくため息をついてベンチに座り込んだ。
「何かだめなのか?」
「意味がねェんだよ、合鍵のォ!」
「そうですよ、あいつ持つ意味ないんですって……!」
「聞けよ金城ォ!」
「聞いて下さいよ、金城さん!」
部長は大笑いをしながら退室していったが、オレは二人に両腕を掴まれて真波の武勇伝、いや放浪記を聞くことになってしまった。
「わかったァ?そりゃ今年の1年は入部希望者少ネェけど、真波以外で回しゃーいいんだヨ!」
「そうですよ!施錠したい時にいるわけないし、開けたい時にあいつがいるわけもないんですって!!」
まさかインターハイ開催中の夜に抜けだすほどだとは思わなかった。いかに総北が平和だったか、実感しつつ……。確かにその話が全て事実だとすると確かに鍵を渡すメリットはほぼないだろう。でも……。
「そもそも1年は講義が詰まってるから、練習以外で部室には来られないだろう?おそらく真波じゃなくても状況は同じじゃないか?」
「そういや、そうか……」
「ああ、たしかに。特に前期なんて試験まであっという間でしたっけね」
ならいいか、いやでも……とまだまだ二人で相談を続けている姿を見ながら、俺はローラーを回そうと二人のそばを離れた。
総北のメンツも個性的だとは思っていたが、話を聞く限り箱学と比べるとどうもレベルが違うようだ。その中で二人いわく「あいつは規格外」ということだから、少し注意をしたほうがいいかもしれない。
そして、1時間半後。練習から戻った真波は合鍵を紛失したとして、先輩二人から大きな雷を落とされていた。
結局鍵はロッカーの中で発見。真波は卒業まで一度も合鍵を手にすることはなかったという。